井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

最初に聴衆ありき、のオーケストラ

2015-03-31 23:47:14 | オーケストラ

オーケストラが創設されるとする。作ろうとするのは誰か?

プロのオーケストラの場合は、マスコミだったり地方自治体が作ろうとするケースが多い。アマチュア・オーケストラが母体でプロ化もある。個人の場合もあった。多くは指揮者だが、演奏家複数名の場合もある。

アマチュア・オーケストラもほぼ同じだが、「演奏したい人」が作るケースが最近では多いかもしれない。

そのような中、全く違った発想で作られたオーケストラがあることを最近知った。

山口県宇部市で活動中の「宇部市民オーケストラ」である。

そのオーケストラの後援会の会報に、以下のように後援会事務局長が書かれていた。

発足の経緯を考えてみると演奏者が集まってオケを立ち上げたのではなくて、後の後援会員となる音楽ファンが集まって演奏者を集め結成したものが母体です。初めに聴衆ありきです。選曲の際はそのあたりを考慮してポピュラーな曲も入れて頂きたいと思います。もともと市民のクラシック熱はそんなに期待するほどではなくて、ただ珍しさが薄れただけという見方もあるかもしれません。いずれにしてもオケの存続に対して由々しき問題です。

宇部には元々「好楽協会」というクラシック音楽の愛好家団体のようなものがあり、その存在も大きく後押ししてくれたことと思われる。

それにしても、何と熱い想いがこもった文章だろうか。人口17万人の街に、これだけのことを考える人々がいる例は、そうそうあることではないと思う。とても羨ましく思った。

その熱い想いを受けて、いろいろ考えてみた。

後援会の想いに応えてか、先日のプログラムは、魔笛序曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、運命、という名曲シリーズ。さすがに(?)お客さんの入りは悪くなかった。

オケの力がついてくるとともに、より難しい曲に挑戦していき、自分たちの力をつけていこうとするが、聴衆はそれについていけずにだんだんと置いてきぼりになる、という構図もあるでしょう。より上達を図る演奏者にしてみれば当然のことかもしれません。

という文章もある。

演奏者にしてみれば、力をつけるという意味合い以上に、やってみたい曲がたくさんあって、ということだと思う。このオーケストラが演奏した「難しい曲」はベルリオーズの「幻想」、デュカスの「魔法使いの弟子」、プーランクの「牝鹿」あたりだから、プロ・オーケストラならば立派にポピュラーな曲に入れるものだろう。

多分、選曲は大した問題ではないと思う。

結論は、一回一回の演奏会を面白いものにする、また聴いてみたいと思わせるものにする、それに尽きるのではないか。

演奏会を聴きに行くという行為、これが文化として定着するのは、まだまだ先のことだと思う。地方都市で演奏会が催されるようになって百年弱、それだけかかってまだ定着しないのだから、定着することを狙うのならば、あと何十年かかるかわからない。

定着するまでは、半強制的に引っ張ってくるしか無いのである、満員にしたければ。

そうやってかき集められたお客様、満足しなければ、二度と来たくないと思うだろう。だから完成度の高い公演にせざるを得ない。

いやはや、これはプロに課せられているものと全く同じ課題である。

ただし、完成度の高いと書いたが、これは必ずしも技術的なものを意味する訳ではない。聴衆が感動しさえすれば良いのだ。

熱い想い enthusiasm である。

これを巻き起こさないと聴衆は退屈するだろう。これは指揮者に負うところが大きい。

いやはや、これまたプロと同じ課題が見えてきた。

もし、上記のような熱心な支援者がいるオーケストラならば、それなりの指揮者を招かないと、成功はおぼつかない、ということだろう。新人指揮者にはかなり荷が重い。

ただ、もしそこで、会場にエンスージアズムが巻き起こせたら、プロを振っても恐くないということだ。

そんな面白い展開が起こりますように・・・。