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先週、数人の高校の先生たちと会う機会があった。
どこの学校もレベルの低下は悩みの種であることが、話の随所から忍ばれる。
レベルの低下とは通常学力のことを指すのだが、学力だけではないところが実際には深刻かもしれない。
「吹奏楽のセッティング、つまり譜面台といす並べをですね、隣の(学力レベルの高い)学校ならば10分でやるところをですね、(学力レベルの低い)うちの生徒にやらせると40分もかかったりするんですよ。」
学力は低くても、いす並べなど生活に直結したもろもろは手早くやってほしいものだ。
「それが、大体学力に比例しているんですよねぇ。」
学校の勉強はできなくても、生活面はバッチリ、ということはあまり無いようで・・・。
今、大学では「自ら課題を見つけ、それを解決する能力」をどう育成するか、が取りざたされている。これは、例えて言えば英単語を覚えること、歴史の年号を覚えることより、効率的な椅子並べはどうすべきか、の方に近い。
近い、と思っていたが、高校の現状を見ると、椅子並べと英単語の記憶が遠い訳でもなさそうだ。
学力と椅子並べ、この相関関係がどうなっているのかあまりわからないのだが、やはり勉強はするものだ、という平凡な結論に。
椅子並べって単に「椅子を並べる」だけの作業じゃないと思うのよね。
並べてみて初めて判る事って色々あるはずよねv
そこで「判る」って事が想像力なのですねv
わが子にも「判る人」になってもらいたいわ。
↑のコメントがらみですが、私はかつてIT関係の職場で働いていて、多くの方の「プログラム」を観る機会がありました、そこでも「こんがらかった」プログラムを書く人の仕事は遅く、バグも多かったわv考える順序が違ったったり、せっかちな性格で「ちょっとしたひと手間」を省いちゃったり・・・
コンピューターという一見無機質なものにもかかわらず、プログラムはまさに「人そのもの」なのがとても面白かったです。
椅子並べが、その学校の人を現すように、少しでも人の手が入っているものには、人が現れるのですねv
おっしゃる通り、「効率的に進めるたるの具体策を考えられる頭脳」があるかどうかは極めて大きなカギですね。
それにしても、時間がかかる人のものは仕上がりが悪い傾向があるとは・・・。
考えさせられます。
おそらく(私がそう思っているだけかもしれませんが)、”こういう問題が生じたらこう対処しよう”、”この作業が終わったらこの工程を終わらせた方が効率がいい” というような想像力が働くかどうか、が両者の大きな違いではないかと感じています。
英単語を覚えるのも、椅子を並べるのも”効率的に作業を進めるにはどうするか” その具体策を考えきれる”頭脳” が必要なのでしょう。
そして、これは人とのコミュニケーション能力(最終的にはアンサンブル能力とか?)にも影響しているように思っているのですが‥。