昨日の記事を出したところ、早速追加の内容が送られてきた。
もしかしたら読者の方も不安にさせてしまったかもしれないので、念のためフォローしておきます。
検査機器が要因のばらつき、に関してですが、健康診断等、患者さんの健康を守るため、臨床で使われる機器は、割と精度の高い機器です。(といってもメーカーによる差異は若干あるとは思います。)
病院の機械は、1000万円以上の機械はザラ、1億近い機器ももちろんあります。
ですが、私のような研究者が使う機械はといいますと・・・。
そもそも、科学研究費で研究をしておりますので、1つの研究費全額で1000万円ある研究費をもらえる研究室が、全国にそう転がっているわけでもなく、総額でもっと大きい研究費を取っていたとしても、機器に使用していい額は、全体研究費の○割以内、といった規制があり、実際、ものすごく精度の高い(価格も高い)機械は購入が難しいのが現実です。その上、1000万円以上の機械を「買える」状況になったから買いたい、などと申請しますと、煩雑な事務手続きの上、国際競争入札になり、手間も時間もお金もかかる、えらい事になります。
という研究の事情というか愚痴もあり、それなりの、そこそこの機械を購入して研究するわけですが・・・。
その、それなりのそこそこの機械が、なかなか難儀な輩でして、安かろう悪かろうという感じでばらつくわけです。
研究者の側も、そこは心得ていて、数回「捨て実験」をして、機械の特徴を掴み、検体の置く配置などを決めていきます。
もし、仮に万が一、何らかの測定結果を指標として定量評価した結果を審査結果に反映すると仮定した場合、1000万円以上する精度の高い機械をコンクール事務局が購入可能か・・・と考えたときに、おそらく難しいだろうと勝手に解釈して、機器のばらつきについて言及した次第です。
なるほど、臨床では精度の高い機器、研究ではそれなりの、ですか・・・。
どこも大変ですね。普段の練習では安い楽器で、さも高い楽器を弾いているようなところをイメージしながら音をだして・・・という光景とダブります。
しかし、コンクール審査員が綿を含んだり、注射を打たれたり、ヘッドギアをかぶったり、審査席の後ろには巨大な機械が置いてあったり、というのを想像すると、また笑ってしまいました。
「◯◯先生は、おみたてが良い」という言葉を私は好きです。
井財野先生は「興味、あるいは疑問に感じることには何事にも真摯に取り組む」
自分の人生を悔いることない、心の豊かな方だと思います。
本日の私の内容はおいて置いて、お話出来てとてもとても嬉しかったです。
確かに、感覚的という言葉を考え直すきっかけになりましたね。
感覚的がすばらしい、と言うためには感覚を磨かねばならないということでもありますが、そういう感覚の持ち主になりたいものです。