井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ツファスマン:ピアノと管弦楽のためのピアノ組曲

2020-07-08 07:43:44 | 音楽
偶然見つけた曲である。
寡聞にして、全く知らない作曲者だった。
しかし、YouTubeだけでも3本上がっているし、あちらでは結構演奏されているようだ。
ヴェルビエ音楽祭ではプレトニョフがケント・ナガノ指揮で演奏している。

なかなか楽しい曲だ。


ウィキペディアによると、ツファスマンはソビエトジャズの重要人物となっていた。「ソビエトジャズ」というジャンルも初耳だった。官製ジャズ、みたいなものだろうか。

しかし、モスクワ音楽院を出ているし、ガーシュインやカプースチンをクラシックに入れるなら、これもクラシック音楽だろう。

なぜ、日本では演奏されないのか、何度か聞きながら考えた。
曲の内容的には、カプースチンとあまり変わらない感じがしたので。

一つには、カプースチンは全音から出版されて普及した、というところがあるだろう。

そして何よりも、このツファスマン、ピアニストが名手でないと、さまにならない感じを強く受けた。
非常に技巧的な部分が多く、そこを支える管弦楽は、わりとありきたりの和声進行をしているから、ピアノで聞かせてくれないと、つまらない部分が増える。ミヨーの《屋根の上の牛》があまり演奏されないのと似た感じだろうか。
ありきたりの和声進行は、良く言えば安心感とつながるから、排除すべきものではない。バッハだってモーツァルトだって、そういう部分はある。
でも、ちょっとつまらないと思ってしまうのは、ショパンのバラード1番のコーダから始まるようなところがあるから。
おいしいテーマの後に、このような技巧的部分は聞きたいなあ。
(ショパンに負けるとなると、相当構成力が弱いことになるが。)

視点を変えれば、ピアニストがこの曲に惚れ込むと、なかなか楽しい世界が作れるだろう。

察するに、ツファスマンもそのような名手だったのだと思う。
そして、それを楽しむソ連邦人民……。

と、そこまで想像すると、ちょっと悲しい、やりきれない思いもわいてくるが、そこはあまり深く考えずにピアノの妙技を楽しみたいところだ。

グルダ:チェロ協奏曲、と「天下御免」

2020-07-03 23:57:43 | 音楽
ピアニスト、フリードリヒ・グルダの作品、正式にはチェロとブラスオルケスターのための協奏曲だが、長いのでチェロ協奏曲と通称されている。

先日、久しぶりにラジオで1楽章だけ聴いた。

どうしても笑ってしまう。しかも、なぜか日本語が聞こえてしまう。

その理由が、やっと今日わかった。
約半世紀前のNHKテレビドラマ「天下御免」の挿入歌に似ているのだ。

♪黙って川を眺めていると
川の流れが聞こえてくるよ
流れ流れて村から町へ
海へ出ようと旅に出る
川は、ハァいいなぁ

みたいな歌詞だったと思う。

作曲は山本直純。

ひょっとして、と思って調べた。

グルダの協奏曲は1980年作曲、天下御免は1971年のドラマ。

どちらかが影響されて作った可能性はなさそうだ(ホッ)。

どちらも、いわゆるブルースの進行だから、ありきたりと言えばありきたり。偶然似る可能性は低くない。

それにしてもよく似ているのだ。

天下御免をお聞かせできないのが残念。

NHKは1976年、テレビ放送50周年を迎え、記念番組を作ろうとした途端、気づいた。過去の番組の記録をほとんど残していないということを。

慌てて、その後は番組を残しまくるのだが……。

1971年は、わずかその5年前。それでも無いものは無いんだねぇ。
1971年と言えば、同じく大人気だった少年ドラマシリーズ「タイムトラベラー」の年だ。
これもスチール写真を残すのみの、幻の名作。

「天下御免」の方は、主演の山口崇がプライベートビデオに少しだけ録っていて、後でNHKがそれを譲ってもらって、ほんの数話だけあるはずだ。
当時のビデオはものすごく高価だったから、NHKでさえ録画を持っていない。ビデオテープが当時2万円したと聞いた。今の数十万円相当だ。機械にいたっては多分、現在の百万円以上だろう。

音楽の山本直純、ご子息達が遺産の楽譜を整理中だとは聞いているので、再現は可能かもしれない。
だけど、この歌を聞きたいと思う人は、いないだろうなあ。

かくして、またもや幻の殿堂に入っていくことになる。

「敵兵を救助せよ」とチャイニーズが言えるか?

2020-07-02 00:06:56 | 国際・政治
大東亜戦争までは、尊敬すべき、素晴らしい、カッコいい日本人がたくさんいたのだな、とこの動画を見て思った。

もちろん戦後だって、それなりにいらっしゃる。だが有事の際、このような振る舞いができるか……。



個人的に最近、武士道という言葉に滅法弱い。

戦争気違いの米ルーズベルト大統領も、武士道には感銘を受けて、新渡戸の本を配りまくったそうだ。

武士道大好きと戦争大好きが同じ人間の中に同居しているとは、なかなか理解が難しいが、多分欧米人には騎士道のバックグラウンドがあるから、ということなのかもしれない。

新渡戸稲造も「欧米に騎士道があるなら」と武士道を書いたのだと思うから。

なので、今我々が考えるべきは「孫子の兵法」で攻めてくるチャイニーズへの対抗策だろう。

「戦いは詭道なり」つまり、戦いは騙し合いだ、と言っている相手に、フェアプレイは通じない。
「敵兵を救助せよ」などといったら発狂したと思われるだけだ。

武士道精神を捨てずに、騙し合いができるか、これが目下日本人に課せられた課題のように思う。