昨年に引き続いてのアムステルダム・マラソンへの出場。昨年は涙のゴールだったので(こちら→)、今年はその雪辱戦。でも、やっぱり今年もマラソンの厳しさを思い知らされたレースとなった。37キロまでは思い通りの走り、最後の5キロは試練、そして最後の50メートルは未体験ゾーンだった。
この日は朝から快晴。気温は5度と寒いが、これ以上はないようなマラソン日和。昨年同様、スタート一時間前に合わせて会場についた。往路のメトロはさながらマラソン列車である。
(メトロの駅から朝日を臨む)
(メトロ車内)
今年は仲間がいるのである。オランダオフィスの同僚で、週末には走っているもののレースは未経験と言う同僚を今回誘った。もちろんフルマラソンは初めてというこの同僚と会場で落ち合う。靴に着けるタイム計測のチップを指して、「このチップ、どうすればいいんですか?」という質問は私をかなり不安にさせたが、やっぱり仲間がいるのはいい。
荷物を預けてオリンピックスタジアムに入る。もう歓声で盛り上がっている。この高揚感はこのぐらいの大きな大会ならではだ。 雲ひとつない空に、ヘリコプターが飛んでいる。お祭り気分を盛り上げる。
(スタジアム内)
(青空にヘリコプターが)
9時45分スタート。自分がスタートラインに着くのに8分ほどかかったが、さあいよいよ4時間半近くのドラマが始まった。どんな出来事がこの間に待っているのか?ワクワク感一杯である。
ここのマラソン・コースは本当に良くできている。最初の10キロちょっとは市内の街並みを観ながら、その後25キロまではこれぞオランダとも言うべき運河沿いの道、そして新興ビジネスエリアを経由して市内に戻ってくる。飽きることがない上に、オランダだから坂が全くない。
まず市内を走る。まだ朝の新鮮な空気が残り気持ちの良いことこの上ない。街路や公園の木々が紅葉し美しい。走りも極めて快調。10キロのラップが54分と早くも遅くもなく理想的。できればこのペースを30kまで持続させ、あとは気合いで4時間切りが頭に描いたペース配分だ。
運河沿いの道に出る。ちょうどこの14k付近だ。昨年、不慮の転倒をしたのは(結局完治に怪我1ヶ月以上かかった)。足元のレンガ色のブロックを敷き詰めた遊歩道を見て、昨年の記憶がよみがえる。今年は去年の轍は踏まないぞ、足元をしっかり見て走ろうと思った。丁度そんなとき、自分のすぐ後方で、どっどっと大きな音が。何事かと思い振り返ると、一人のランナーが転倒していた。ことの偶然と、転倒したランナーは大丈夫だろうかという心配と、昨年の記憶が再び蘇る複雑な心境で、背中にすごい悪寒が走った。集団の流れにのって走っているうちに転倒のランナーもすぐに見えなくなってしまったが、どうしただろうか、あのランナー。あと少しで赤十字があることを教えてあげたかった。
運河沿いの道は相変わらず素晴らしい。風車があり、のどかで、走っているのを忘れるほどだ。夢の中を浮遊しているような感覚だ。運河を左手に、牧場を右手に走る。20kも1:49と順調。ちょっと風が出てきたので難渋した。オランダ人の大男の後ろについて走ろうとしたが、歩幅が違いすぎて、なんかうまく合わない。で、25kを過ぎてビジネス街へ。
(運河の折り返しポイント)
はた目で見ていると、オヤジがただ、のたくた走っているように見えるだけだろうが、実は今回はこれまでと走り方をかなり変えている。今年買った靴はどうも踵のクッションが弱いので、踵から着地してけりあげて前進するという走りではなく、意識としては靴裏全体で着地して、足をあげずに忍者のように摺り足イメージで走るのである。どうせ疲れてきたら足が上がらなくなり、忍者走りのようになる(5月のエジンバラマラソンの時がそうだった→)のでどうせなら最初からそう走ってみようと思ったのだ。走ることの指導を受けたことは一度もないので単なる素人のトライアンドエラーだが結構うまくいっているような気がした。30キロでも足は疲れてはいるものの、いつものふくらはぎの痙攣とかが全く感じられなかったからだ。 30キロのラップが2時間44分。あいかわらず、予定通り完璧だ。あと、12キロを1時間15分で。これは行けるかも、初めて着地が見えてきた。
しかし、35キロを過ぎたところで、流石に足に来た。いつもはふくらはぎに来る張りや痛みがこの日は、ふくらはぎ、腿などの全体に襲ってくる感じだ。吊ると言うほどではいが、もう足全体が棒のようになってしまっている。「やっぱり、そんなに良いことばかりでは終わらないよな」とは思いつつ、「ここまで来たのだから、走り抜かねば」という気持ちはまだ持てた。そして、残り38キロ過ぎに唯一と言ってもいい幹線道路を潜るダウン、アップの道があり、その上り道が駄目を押した。
公園を出て、最後の2キロ。沿道の応援も最高潮だ。近くにイタリア人が走っているらしく、やたらと「イタリア人頑張れ!!」ときっと言っている声援は聞こえるが、今年は日本人の声援はあまり聞こえてこない。それでも、声援は背中を押してくれる。オリンピックスタジアムのゲートが見えてきた。「よーし、ゴールまでは写真も撮られているから格好つけて走るぞ~」と折れ曲がった体を正そうとする。
そしてコーナーを廻って、ゴールが見えた最後の直線。いきなり、ポキンと何かが折れたように、足が完全に吊って、その瞬間、自分と時間が止まった。
足が全く動かないのである。昔、オリンピックの女子マラソンでゴール寸前で(たしか)脱水症状で倒れてしまった選手が居たが、まさにそんな感じだった。自分の足であって、自分の足じゃない。何が起こったんだか自分でも良く分からない。屈伸しようとするが、それもままならない。うずくまるように、足をたたいて見る。「どうした。もう、すごそこだぞ」と声をかけてみる。でも、応える声はない。後ろからの来るランナーが何人も、背中をポンとたたいて一言言ってくれる。きっと「もうすぐそこだから、がんばれ」と言ってくれているのだろう。ただ、自分には、何を言ってくれているのか全く耳に入らなかった。
時間にしたら1分ぐらいなのだろうか?ようやく、足が動き始めた。だまし、だまし前に進んでみる。大丈夫、あと2分ちょいあるから、と言い聞かせる。そして、最後の50メートルはカメラに向かってポーズどころではなく、よれよれの、朦朧としたゴールだった。タイムはなんとか4時間寸前の3時間59分前後。
ゴールした感動も、達成感もなく、あらゆる感覚、感情が麻痺した状態で、ただ茫然と流れに沿って進む。おじさんがビニールのウインドブレーカーをかけてくれる。おばさんがメダルを掛けてくれた。ちっとも、嬉しそうな顔をしていない自分を観て、不思議そうな顔をしていた。そして、カメラ班がメダルと一緒に写真をとってくれる。Smileと4回言われて、やっと、なんとか無理に笑顔を作った。どんな、顔をしていただろうか。
レース後、着替え場所で着替え。4時間を切れた喜びよりも、やっぱり甘くないなあという思いと、何故、あと5キロを走り抜けなかったのか?最後の50mの痙攣は何が原因なのか、いろんな?が浮かび上がってくる。
しかし、そんな時、初マラソンの同僚から電話が「今、ゴールしました!」。なんと初マラソンで、4時間59分の5時間切りの素晴らしいタイム。スポーツセンターで再び待ち合わせて、ハイネケンで乾杯!!!お互いの4,5時間の闘いを振り返りながら、初めて充実感を味わった瞬間だった。
いや~。マラソンは本当に奥が深い。
(完走メダルとTシャツ)
2010年10月17日完走
この日は朝から快晴。気温は5度と寒いが、これ以上はないようなマラソン日和。昨年同様、スタート一時間前に合わせて会場についた。往路のメトロはさながらマラソン列車である。
(メトロの駅から朝日を臨む)
(メトロ車内)
今年は仲間がいるのである。オランダオフィスの同僚で、週末には走っているもののレースは未経験と言う同僚を今回誘った。もちろんフルマラソンは初めてというこの同僚と会場で落ち合う。靴に着けるタイム計測のチップを指して、「このチップ、どうすればいいんですか?」という質問は私をかなり不安にさせたが、やっぱり仲間がいるのはいい。
荷物を預けてオリンピックスタジアムに入る。もう歓声で盛り上がっている。この高揚感はこのぐらいの大きな大会ならではだ。 雲ひとつない空に、ヘリコプターが飛んでいる。お祭り気分を盛り上げる。
(スタジアム内)
(青空にヘリコプターが)
9時45分スタート。自分がスタートラインに着くのに8分ほどかかったが、さあいよいよ4時間半近くのドラマが始まった。どんな出来事がこの間に待っているのか?ワクワク感一杯である。
ここのマラソン・コースは本当に良くできている。最初の10キロちょっとは市内の街並みを観ながら、その後25キロまではこれぞオランダとも言うべき運河沿いの道、そして新興ビジネスエリアを経由して市内に戻ってくる。飽きることがない上に、オランダだから坂が全くない。
まず市内を走る。まだ朝の新鮮な空気が残り気持ちの良いことこの上ない。街路や公園の木々が紅葉し美しい。走りも極めて快調。10キロのラップが54分と早くも遅くもなく理想的。できればこのペースを30kまで持続させ、あとは気合いで4時間切りが頭に描いたペース配分だ。
運河沿いの道に出る。ちょうどこの14k付近だ。昨年、不慮の転倒をしたのは(結局完治に怪我1ヶ月以上かかった)。足元のレンガ色のブロックを敷き詰めた遊歩道を見て、昨年の記憶がよみがえる。今年は去年の轍は踏まないぞ、足元をしっかり見て走ろうと思った。丁度そんなとき、自分のすぐ後方で、どっどっと大きな音が。何事かと思い振り返ると、一人のランナーが転倒していた。ことの偶然と、転倒したランナーは大丈夫だろうかという心配と、昨年の記憶が再び蘇る複雑な心境で、背中にすごい悪寒が走った。集団の流れにのって走っているうちに転倒のランナーもすぐに見えなくなってしまったが、どうしただろうか、あのランナー。あと少しで赤十字があることを教えてあげたかった。
運河沿いの道は相変わらず素晴らしい。風車があり、のどかで、走っているのを忘れるほどだ。夢の中を浮遊しているような感覚だ。運河を左手に、牧場を右手に走る。20kも1:49と順調。ちょっと風が出てきたので難渋した。オランダ人の大男の後ろについて走ろうとしたが、歩幅が違いすぎて、なんかうまく合わない。で、25kを過ぎてビジネス街へ。
(運河の折り返しポイント)
はた目で見ていると、オヤジがただ、のたくた走っているように見えるだけだろうが、実は今回はこれまでと走り方をかなり変えている。今年買った靴はどうも踵のクッションが弱いので、踵から着地してけりあげて前進するという走りではなく、意識としては靴裏全体で着地して、足をあげずに忍者のように摺り足イメージで走るのである。どうせ疲れてきたら足が上がらなくなり、忍者走りのようになる(5月のエジンバラマラソンの時がそうだった→)のでどうせなら最初からそう走ってみようと思ったのだ。走ることの指導を受けたことは一度もないので単なる素人のトライアンドエラーだが結構うまくいっているような気がした。30キロでも足は疲れてはいるものの、いつものふくらはぎの痙攣とかが全く感じられなかったからだ。 30キロのラップが2時間44分。あいかわらず、予定通り完璧だ。あと、12キロを1時間15分で。これは行けるかも、初めて着地が見えてきた。
しかし、35キロを過ぎたところで、流石に足に来た。いつもはふくらはぎに来る張りや痛みがこの日は、ふくらはぎ、腿などの全体に襲ってくる感じだ。吊ると言うほどではいが、もう足全体が棒のようになってしまっている。「やっぱり、そんなに良いことばかりでは終わらないよな」とは思いつつ、「ここまで来たのだから、走り抜かねば」という気持ちはまだ持てた。そして、残り38キロ過ぎに唯一と言ってもいい幹線道路を潜るダウン、アップの道があり、その上り道が駄目を押した。
公園を出て、最後の2キロ。沿道の応援も最高潮だ。近くにイタリア人が走っているらしく、やたらと「イタリア人頑張れ!!」ときっと言っている声援は聞こえるが、今年は日本人の声援はあまり聞こえてこない。それでも、声援は背中を押してくれる。オリンピックスタジアムのゲートが見えてきた。「よーし、ゴールまでは写真も撮られているから格好つけて走るぞ~」と折れ曲がった体を正そうとする。
そしてコーナーを廻って、ゴールが見えた最後の直線。いきなり、ポキンと何かが折れたように、足が完全に吊って、その瞬間、自分と時間が止まった。
足が全く動かないのである。昔、オリンピックの女子マラソンでゴール寸前で(たしか)脱水症状で倒れてしまった選手が居たが、まさにそんな感じだった。自分の足であって、自分の足じゃない。何が起こったんだか自分でも良く分からない。屈伸しようとするが、それもままならない。うずくまるように、足をたたいて見る。「どうした。もう、すごそこだぞ」と声をかけてみる。でも、応える声はない。後ろからの来るランナーが何人も、背中をポンとたたいて一言言ってくれる。きっと「もうすぐそこだから、がんばれ」と言ってくれているのだろう。ただ、自分には、何を言ってくれているのか全く耳に入らなかった。
時間にしたら1分ぐらいなのだろうか?ようやく、足が動き始めた。だまし、だまし前に進んでみる。大丈夫、あと2分ちょいあるから、と言い聞かせる。そして、最後の50メートルはカメラに向かってポーズどころではなく、よれよれの、朦朧としたゴールだった。タイムはなんとか4時間寸前の3時間59分前後。
ゴールした感動も、達成感もなく、あらゆる感覚、感情が麻痺した状態で、ただ茫然と流れに沿って進む。おじさんがビニールのウインドブレーカーをかけてくれる。おばさんがメダルを掛けてくれた。ちっとも、嬉しそうな顔をしていない自分を観て、不思議そうな顔をしていた。そして、カメラ班がメダルと一緒に写真をとってくれる。Smileと4回言われて、やっと、なんとか無理に笑顔を作った。どんな、顔をしていただろうか。
レース後、着替え場所で着替え。4時間を切れた喜びよりも、やっぱり甘くないなあという思いと、何故、あと5キロを走り抜けなかったのか?最後の50mの痙攣は何が原因なのか、いろんな?が浮かび上がってくる。
しかし、そんな時、初マラソンの同僚から電話が「今、ゴールしました!」。なんと初マラソンで、4時間59分の5時間切りの素晴らしいタイム。スポーツセンターで再び待ち合わせて、ハイネケンで乾杯!!!お互いの4,5時間の闘いを振り返りながら、初めて充実感を味わった瞬間だった。
いや~。マラソンは本当に奥が深い。
(完走メダルとTシャツ)
2010年10月17日完走