午前中にウォーキングを終えると、書斎で就寝まで大したこともせずに過ごすのが、引きこもり年金生活の日課だ。
傍から見ると、暇で何もやることがなかったら、時間の流れが遅く感じられると思われがちだが、あにはからんや、私の場合そうやっていると時間の流れは思わぬほど早い。
この歳になると、残り少ない時間を無駄に浪費することの愚かしさを、常々まわりに指摘されるものだが、果たしてそうなのだろうか。
そう言う輩は、砂時計の上の部分しか見ていないのだ。
残り少なくなった砂が残存人生だ。
それがサラサラと流れ落ちていく。
その様子に焦りや苛立ち、後悔を感じるのだろう。
私は砂時計の下の部分しか見ないようにしている。
残された人生の時間などわかるはずもない。
逆に過ごしてきた人生の時間は、砂時計の下の部分のように記憶の中に堆積している。
その時間の堆積の層は、今まで生きてきた人生のいろんな出来事を反映した色に染められている。
暇で何もしない時間は、無色透明の汚れのない時間だ。
何もせずに、ただサラサラと流れる透明な時間を眺めることほど贅沢なことはない。
時間の浪費と思うか、それを贅沢と思うかは人それぞれの価値観、人生観だ。
傍から見ると、暇で何もやることがなかったら、時間の流れが遅く感じられると思われがちだが、あにはからんや、私の場合そうやっていると時間の流れは思わぬほど早い。
この歳になると、残り少ない時間を無駄に浪費することの愚かしさを、常々まわりに指摘されるものだが、果たしてそうなのだろうか。
そう言う輩は、砂時計の上の部分しか見ていないのだ。
残り少なくなった砂が残存人生だ。
それがサラサラと流れ落ちていく。
その様子に焦りや苛立ち、後悔を感じるのだろう。
私は砂時計の下の部分しか見ないようにしている。
残された人生の時間などわかるはずもない。
逆に過ごしてきた人生の時間は、砂時計の下の部分のように記憶の中に堆積している。
その時間の堆積の層は、今まで生きてきた人生のいろんな出来事を反映した色に染められている。
暇で何もしない時間は、無色透明の汚れのない時間だ。
何もせずに、ただサラサラと流れる透明な時間を眺めることほど贅沢なことはない。
時間の浪費と思うか、それを贅沢と思うかは人それぞれの価値観、人生観だ。