★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

唱歌は日本人の心の故郷だ

2025年02月09日 11時56分06秒 | 徒然(つれづれ)
 歳をとると色んな好みが変わってくる。
 音楽というか、歌の好みもそのひとつだ。

 若い頃はビートルズを筆頭に洋楽ロック一辺倒だった。
 五十路を過ぎた頃から、昔は無関心だった昭和歌謡や演歌を受け入れるようになり、古希を過ぎた今ではそちらのほうがメインになった。

 その理由は歌詞にあるようだ。
 シンプルでわかりやすいのはもちろんだけど、歌詞の背景や行間が見えるようになり、感情移入できるからだ。
 そんなわけで、カラオケでも昭和歌謡、それも昭和40年代の曲を中心に熱唱している。

 最近では、昭和歌謡を通り越して、小学生の時に習った唱歌に心惹かれるようになった。
 昭和歌謡よりももっとシンプルで、懐かしさや愁い、やるせなさといった感情を喚起させる。
 
 例えば『赤とんぼ』だ。
 歌詞を以下に転記する。

  1. 夕やけ小やけの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か

  2. 山の畑の桑の実を 小籠に摘んだはまぼろしか

  3. 十五で姐やは嫁にゆき お里の便りは絶えはてた

  4. 夕やけ小やけの赤とんぼ 止まっているよ竿の先

 この歌詞に関しては、作詞の三木露風の生い立ちや証言などから、いろんな解説があるけど、自分なりに解釈するのが本来の味わい方だろう。

 1番の " (子守の姐やに)負われて見た " は私の幼児期の記憶とダブる。
 先天性股関節脱臼の私が、祖母に背負われて通院していた時の想い出だ。

 それが1歳半くらいの私の原風景だ。
 祖母の背から見えていたのは、赤とんぼではなく、神社の暗い森と、一本道の踏切のモノクロームの風景だったけどね。

 2番の "山の畑の桑の実 " は私にとっては、家の近くの海で釣った小魚や潮干狩りのアサリだ。
 故郷が小さな漁村だったので、遊び場はもっぱら海のそばだった。
 工業化が進み、そんな漁村はなくなってしまった。
 まさしく " まぼろしか " だ。
 
 3番の " お里の便りは絶えはてた " はまさに私の今の状態で、両親も祖母も亡くなり、実家じまいもしたので、久しく帰省していない。

『赤とんぼ』を聴くと、そんな故郷の懐かしい風景が浮かんでくる。


ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もする。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
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