今を遡ること33年前の12月の今頃、私は大阪城ホールにいた。
ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトン、今では考えられない、2人のビッグ・ネームの大阪公演だ。
発案者がどちらだったのか、今でも定かではないが、そんなことはどうでもよかった。
ビートルズの武道館公演以来、4半世紀ぶりのジョージの来日、それもギターの神様クラプトンを引き連れてのコンサートだ。
ビートルズを生で見ることは叶わなかったけど、そのメンバーのひとりを見られるということに心は踊った。
会社の後輩の知り合いが「チケットぴあ」にいて、そのツテでステージ正面2列目の席を確保できた。
目と鼻の先に、写真でしか見ることがなかった、ジョージとクラプトンがいることに、興奮を通り越して不思議な感覚になったものだ。
ジョージはビートルズ時代の自作曲も惜しげもなく披露した。
メンバー構成も違うし、レコードには及ばないものの、生の臨場感はやはり鳥肌モノだった。
惜しむらくは、クラプトンが格の違いなのか、ジョージを立てたのか、あまり目立つことなく、遠慮気味に演奏していたことだ。
唯一『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィーブス』で、ギターソロを聴かせてくれたのが救いだ。
もちろん、レコードとはだいぶ違うアレンジで、すすり泣きというより、噓泣きみたいだったけどね。
ジョージには、ビートルズ時代の全盛期を求めるべくもなかったけど、クラプトンと一緒に目の前のステージで演奏しているだけで、十分、チケット代の元は取れた。
その後、クラプトンのコンサートには今まで3回行ったけど、ビートルズ・メンバーのコンサートは、それから22年の時を経た、ポールの京セラドーム大阪でのコンサートだ。
その時には、興奮よりも、中学時代に知ったビートルズだけど、還暦一歩手前で、またそのメンバーのひとりに出会うことができた、という感慨に浸ったものだ。
ジョージ、ポールどちらのコンサートも、それなりに素晴らしかったけど、4人が揃ったビートルズを観たかったなあ、というのが正直な感想だった。
ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトン、今では考えられない、2人のビッグ・ネームの大阪公演だ。
発案者がどちらだったのか、今でも定かではないが、そんなことはどうでもよかった。
ビートルズの武道館公演以来、4半世紀ぶりのジョージの来日、それもギターの神様クラプトンを引き連れてのコンサートだ。
ビートルズを生で見ることは叶わなかったけど、そのメンバーのひとりを見られるということに心は踊った。
会社の後輩の知り合いが「チケットぴあ」にいて、そのツテでステージ正面2列目の席を確保できた。
目と鼻の先に、写真でしか見ることがなかった、ジョージとクラプトンがいることに、興奮を通り越して不思議な感覚になったものだ。
ジョージはビートルズ時代の自作曲も惜しげもなく披露した。
メンバー構成も違うし、レコードには及ばないものの、生の臨場感はやはり鳥肌モノだった。
惜しむらくは、クラプトンが格の違いなのか、ジョージを立てたのか、あまり目立つことなく、遠慮気味に演奏していたことだ。
唯一『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィーブス』で、ギターソロを聴かせてくれたのが救いだ。
もちろん、レコードとはだいぶ違うアレンジで、すすり泣きというより、噓泣きみたいだったけどね。
ジョージには、ビートルズ時代の全盛期を求めるべくもなかったけど、クラプトンと一緒に目の前のステージで演奏しているだけで、十分、チケット代の元は取れた。
その後、クラプトンのコンサートには今まで3回行ったけど、ビートルズ・メンバーのコンサートは、それから22年の時を経た、ポールの京セラドーム大阪でのコンサートだ。
その時には、興奮よりも、中学時代に知ったビートルズだけど、還暦一歩手前で、またそのメンバーのひとりに出会うことができた、という感慨に浸ったものだ。
ジョージ、ポールどちらのコンサートも、それなりに素晴らしかったけど、4人が揃ったビートルズを観たかったなあ、というのが正直な感想だった。
ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もする。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
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