大学時代を京都で過ごした。
1973年、九州の辺境の田舎町から出てきた私にとって、京都は十分すぎるほど都会だった。
当時の京都の街には、ビートルズを聴かせてくれる喫茶店やバーが結構あったし、ビアガーデンや大学の音楽サークルでは、コピーバンドの演奏も聴けた。
解散から3年も経っているのに、その人気は衰えるどころか、半ば伝説となって定着していた。
人生を大まかに区切ると、中学の終わりから高校時代が多感な青春の始まりで、大学時代は青春ど真ん中だ。
中学2年の頃にビートルズに出会い、それにハマった私の青春時代は、ビートルズの音楽と共にあったと言えるだろう。
楽しいことがあればビートルズ、嫌なことがあってもビートルズ、暇があればビートルズ、なにはなくともビートルズ・・・。
ユーミンは、悲しいことがあると、卒業アルバムを見てたけど、私はビートルズのアルバムを聴いていた。
そして人生の黄昏に突入した現在も、純然たるリスナーとして断続的に聴き続けている。
いくつになってもビートルズというところか。
もちろん、その間にはハードロックやブルース、ジャズも聴いたし、今は昭和歌謡も聴く。
ボブ・ディランやクラプトンのライブにも行ったし、石破総理と同じくキャンディーズのコンサートにも行った。
グラムロックからパンク、ガレージ、オルタナ等、キワモノもとりあえず聴きまくった。
それらの曲の中には、ビートルズのメロディラインやコード進行を、真似たというか、参考にしたものを随所に見かけた。
いろんな音楽を聴いたけど、結局はビートルズに戻るんだよね。
ビートルズよりあとのバンドの曲が、むやみに複雑怪奇になるのに対して、ビートルズナンバーは至ってシンプルなのが、その理由かもしれない。
同じ曲を青春時代に聴くのと、歳をとってから聴くのでは、印象が違ってくると言われるが、ビートルズに関してはそれがない。
今聴いても、ほとんど同じ印象というか、当時の気分に戻ってしまうんだよね。
私の青春が、朱夏、白秋と変遷したのに対して、ビートルズ・ナンバーは青春のままだ。
1973年、九州の辺境の田舎町から出てきた私にとって、京都は十分すぎるほど都会だった。
当時の京都の街には、ビートルズを聴かせてくれる喫茶店やバーが結構あったし、ビアガーデンや大学の音楽サークルでは、コピーバンドの演奏も聴けた。
解散から3年も経っているのに、その人気は衰えるどころか、半ば伝説となって定着していた。
人生を大まかに区切ると、中学の終わりから高校時代が多感な青春の始まりで、大学時代は青春ど真ん中だ。
中学2年の頃にビートルズに出会い、それにハマった私の青春時代は、ビートルズの音楽と共にあったと言えるだろう。
楽しいことがあればビートルズ、嫌なことがあってもビートルズ、暇があればビートルズ、なにはなくともビートルズ・・・。
ユーミンは、悲しいことがあると、卒業アルバムを見てたけど、私はビートルズのアルバムを聴いていた。
そして人生の黄昏に突入した現在も、純然たるリスナーとして断続的に聴き続けている。
いくつになってもビートルズというところか。
もちろん、その間にはハードロックやブルース、ジャズも聴いたし、今は昭和歌謡も聴く。
ボブ・ディランやクラプトンのライブにも行ったし、石破総理と同じくキャンディーズのコンサートにも行った。
グラムロックからパンク、ガレージ、オルタナ等、キワモノもとりあえず聴きまくった。
それらの曲の中には、ビートルズのメロディラインやコード進行を、真似たというか、参考にしたものを随所に見かけた。
いろんな音楽を聴いたけど、結局はビートルズに戻るんだよね。
ビートルズよりあとのバンドの曲が、むやみに複雑怪奇になるのに対して、ビートルズナンバーは至ってシンプルなのが、その理由かもしれない。
同じ曲を青春時代に聴くのと、歳をとってから聴くのでは、印象が違ってくると言われるが、ビートルズに関してはそれがない。
今聴いても、ほとんど同じ印象というか、当時の気分に戻ってしまうんだよね。
私の青春が、朱夏、白秋と変遷したのに対して、ビートルズ・ナンバーは青春のままだ。
ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もする。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
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