1945年3月10日東京大空襲。
3月10日の前の日、9日に「世田谷の戦跡めぐり」に参加しました。
空は快晴、なんですが、強風。肌に強く吹き付ける冷たい風。
これにはまいったなー。
集合場所は、太子堂区民センター。
その周辺には100万平方メートルにも及ぶ軍事施設がありました。
現在の昭和女子大学~都営住宅~世田谷公園あたり、かなり広範囲です。
近代的な軍隊を組織するため、明治20年代から設営が始まったそうです。
元々、江戸時代にはこの地域の一部は鷹場だったところで、
鷹を使ってキツネ狩りなどをすることで戦の訓練をしていました。
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現在、東京世田谷韓國会館と呼ばれているこの建物は、
兵舎として実際に使われていたもので、明治20年代に建てられたもの。
それが残っているのは奇跡です。耐震性は大丈夫かと思ったりしますが。
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都営住宅近くにある馬魂碑。
軍隊では、訓練時や大砲を運ぶ際など、馬が使われていました。
その中で死んでしまう馬も数知れず。
世田谷公園にある世田谷区平和資料館では、
暖かい室内!で、戦争に関する展示を見学。
区民から提供された軍服や飯盒、当時の手紙など、
また、赤紙と呼ばれる召集令状もありました。
話には聞いていましたが、本当に赤い紙だから赤紙。
初めて見たと思います。
戦後は、この広大な土地は、GHQの指示により、
戦争とは無関係なもの、
教育施設(昭和女子大学)、都営住宅、公園となりました。
以前から、このあたりは都営住宅がかなり多いと思っていましたが、
そういう理由があったわけですね。
がやがや館を越えて、その先には、馬糧倉庫がありました。
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現在、パルシステムとヤマト運輸が使っています。
ちょうどパルシステムの内部を見せてもらうことができました。
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土曜日だから配送はなく、倉庫内に車両がぎっしり。
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馬の餌を保管しておく倉庫だったため、通気性が良く、
また、骨組みもしっかりしたもの。
昭和23年の写真には、この倉庫が写っているから、
それより前には確実にあったはず、とのことでした。
戦争中にも使われていたと。
それが今も使われているのは、すごいですね。
でも、こういった講座に参加しないと、
倉庫がそれほど前から存在していることは知る由もないですよね。
外観は、普通の倉庫に見えますから。
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「陸軍用地境界石」の存在も大発見でした。
がやがや館から池尻大橋駅まで行く時の横道(旧大山道から入ったほうの道)にあって、
何度も前を通ったことがあるんですよ。
この隣に、かなり古くからあると思われる墓地があり、見たことがあります。
墓地は動かすことができず、ここが陸軍用地の境界線となっていたのですね。
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説明もありました。これは私設らしいです。
この先に東京栄養食糧専門学校がありますが、
戦前から存在していて、兵隊の食糧に関する研究?なども行っていた
歴史ある学校だとの説明がありました。
知らなかった!!
大正9年当時、世田谷の人口3万人に対して、兵隊は3500人いて、
経済効果は大きかった。
当然、農家では大量の野菜などを納入、
その他、日常生活に必要なものも買ってもらうことができ、
周辺の商店街なども潤っていた。
3月10日の東京大空襲では、世田谷での被害は少なかった。
5月24、25日の大空襲のほうが被害が大きかった。
東京の東部には、鉄砲の弾を作ったりする工場が多かったことから
狙われて、大空襲により大きな被害を受けたが、
世田谷ではそういった工場はあまりなく、畑に爆弾を落とすこともなく、
狙われたのは鉄道(輸送手段を絶つということで)。
下北沢~明大前あたりは被害を受けた。
などなど、非常に貴重なお話をたくさん伺うことができました。
兵舎として使われていた建物が現存することにも驚きました。
帰り道、下高井戸でお昼。
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自然薯がいただける和食 眞太。メインは鯛胡麻醤油漬けを選びました。
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胡麻醤油にワサビでいただきます。
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自然薯が嬉しい!なかなか食べる機会がないですからね。
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こちらのコーナーも、とてもいい顔ぶれ。温泉玉子まであります。
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もちろん、こういったお店での漬け物はおいしい、糠漬け。
3月末に閉鎖する下高井戸駅前市場では、お茶屋さんがすでに閉店、
魚屋さんは移転のため閉店、もう一つ、奥にある魚屋さんはまだやっていて、
大賑わいでした。お豆腐屋さんもまだやっています。
下高井戸の駅前が大きく変わってしまう、ちょっと悲しいですね。
3月10日の前の日、9日に「世田谷の戦跡めぐり」に参加しました。
空は快晴、なんですが、強風。肌に強く吹き付ける冷たい風。
これにはまいったなー。
集合場所は、太子堂区民センター。
その周辺には100万平方メートルにも及ぶ軍事施設がありました。
現在の昭和女子大学~都営住宅~世田谷公園あたり、かなり広範囲です。
近代的な軍隊を組織するため、明治20年代から設営が始まったそうです。
元々、江戸時代にはこの地域の一部は鷹場だったところで、
鷹を使ってキツネ狩りなどをすることで戦の訓練をしていました。
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現在、東京世田谷韓國会館と呼ばれているこの建物は、
兵舎として実際に使われていたもので、明治20年代に建てられたもの。
それが残っているのは奇跡です。耐震性は大丈夫かと思ったりしますが。
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都営住宅近くにある馬魂碑。
軍隊では、訓練時や大砲を運ぶ際など、馬が使われていました。
その中で死んでしまう馬も数知れず。
世田谷公園にある世田谷区平和資料館では、
暖かい室内!で、戦争に関する展示を見学。
区民から提供された軍服や飯盒、当時の手紙など、
また、赤紙と呼ばれる召集令状もありました。
話には聞いていましたが、本当に赤い紙だから赤紙。
初めて見たと思います。
戦後は、この広大な土地は、GHQの指示により、
戦争とは無関係なもの、
教育施設(昭和女子大学)、都営住宅、公園となりました。
以前から、このあたりは都営住宅がかなり多いと思っていましたが、
そういう理由があったわけですね。
がやがや館を越えて、その先には、馬糧倉庫がありました。
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現在、パルシステムとヤマト運輸が使っています。
ちょうどパルシステムの内部を見せてもらうことができました。
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土曜日だから配送はなく、倉庫内に車両がぎっしり。
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馬の餌を保管しておく倉庫だったため、通気性が良く、
また、骨組みもしっかりしたもの。
昭和23年の写真には、この倉庫が写っているから、
それより前には確実にあったはず、とのことでした。
戦争中にも使われていたと。
それが今も使われているのは、すごいですね。
でも、こういった講座に参加しないと、
倉庫がそれほど前から存在していることは知る由もないですよね。
外観は、普通の倉庫に見えますから。
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「陸軍用地境界石」の存在も大発見でした。
がやがや館から池尻大橋駅まで行く時の横道(旧大山道から入ったほうの道)にあって、
何度も前を通ったことがあるんですよ。
この隣に、かなり古くからあると思われる墓地があり、見たことがあります。
墓地は動かすことができず、ここが陸軍用地の境界線となっていたのですね。
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説明もありました。これは私設らしいです。
この先に東京栄養食糧専門学校がありますが、
戦前から存在していて、兵隊の食糧に関する研究?なども行っていた
歴史ある学校だとの説明がありました。
知らなかった!!
大正9年当時、世田谷の人口3万人に対して、兵隊は3500人いて、
経済効果は大きかった。
当然、農家では大量の野菜などを納入、
その他、日常生活に必要なものも買ってもらうことができ、
周辺の商店街なども潤っていた。
3月10日の東京大空襲では、世田谷での被害は少なかった。
5月24、25日の大空襲のほうが被害が大きかった。
東京の東部には、鉄砲の弾を作ったりする工場が多かったことから
狙われて、大空襲により大きな被害を受けたが、
世田谷ではそういった工場はあまりなく、畑に爆弾を落とすこともなく、
狙われたのは鉄道(輸送手段を絶つということで)。
下北沢~明大前あたりは被害を受けた。
などなど、非常に貴重なお話をたくさん伺うことができました。
兵舎として使われていた建物が現存することにも驚きました。
帰り道、下高井戸でお昼。
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自然薯がいただける和食 眞太。メインは鯛胡麻醤油漬けを選びました。
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胡麻醤油にワサビでいただきます。
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自然薯が嬉しい!なかなか食べる機会がないですからね。
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こちらのコーナーも、とてもいい顔ぶれ。温泉玉子まであります。
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もちろん、こういったお店での漬け物はおいしい、糠漬け。
3月末に閉鎖する下高井戸駅前市場では、お茶屋さんがすでに閉店、
魚屋さんは移転のため閉店、もう一つ、奥にある魚屋さんはまだやっていて、
大賑わいでした。お豆腐屋さんもまだやっています。
下高井戸の駅前が大きく変わってしまう、ちょっと悲しいですね。