白石顕二『ザンジバルの娘子軍(からゆきさん)』(現代教養文庫)
ザンジバルです。ザンジバルにいたからゆきさんのお話。
ザンジバル? どこかで聞いた記憶がありますよね、最近。
そう、フレディ・マーキュリーですよーーー。
この本、かなり前に図書館で借りて読んだことがありました。
ザンジバルという文字が目に飛び込んできて、すぐに借りたのです。
ザンジバルはもちろんフレディ・マーキュリーの生まれ故郷といういことで、
気になる場所ではありました。
最近忘れていたけれど、フレディ・マーキュリーの映画にザンジバルが出てきて、
急にまた読みたくなって、図書館で借りて読んだというわけです。
ザンジバルはタンザニアの沖に浮かぶ島。
昔から交通の要衝で、いろいろな人種が住んでいました。
悲しい歴史としては、奴隷貿易の中継地点だったということ。
私の大好きなスパイス絡みとしては、クローブの産地ということ。
ザンジバルへ行くには、現在でも飛行機を乗り継ぎ乗り継ぎ
行かなければたどり着かない、遠いところです。
そんな遠いところに、明治時代から大正~昭和の初期にかけて
日本人女性が何人も住んでいたのです。
明治と昭和の時代に挟まれて、大正時代のことはあまり知られていませんが、
実は大正は非常に活気ある、また海外に出かけていった興味深い時代なのです。
(ただ今、研究中です)
商社が支店を開設するよりも前に、日本の領事館が開設されるよりも前に
彼女たちは東南アジアだけでなく、インドやスリランカ、果てはアフリカまで
流れ流れて行きました。アフリカの東海岸各地に住んでいたそうです。
そしてザンジバルのからゆきさんたち。
数少ない資料、日本人女性がザンジバルにいたことを記憶している
ザンジバルのお年寄りたち、ザンジバルに赴いたことがある船会社の人たち、
そこから情報をたぐり寄せて、からゆきさんたちにスポットを当てて紹介。
大正初期に日本を出て、東南アジアを経てザンジバルに長く滞在、
昭和30年代に約50年ぶりに神戸の港に戻ってきたおまきさんの話は
感動的でもあります。
情報が乏しかった時代に海外へ出かけていった日本人、
そして日本へやってきた外国人、そんな人たちに興味があります。
ザビエルもモースも天正少年遣欧使節の少年たちもジョン万次郎も
だから興味があります。
でも、後世に名の残らないからゆきさんたち。気になる存在です。
つまり、この本自体が貴重な存在ということですね。
ザンジバルです。ザンジバルにいたからゆきさんのお話。
ザンジバル? どこかで聞いた記憶がありますよね、最近。
そう、フレディ・マーキュリーですよーーー。
この本、かなり前に図書館で借りて読んだことがありました。
ザンジバルという文字が目に飛び込んできて、すぐに借りたのです。
ザンジバルはもちろんフレディ・マーキュリーの生まれ故郷といういことで、
気になる場所ではありました。
最近忘れていたけれど、フレディ・マーキュリーの映画にザンジバルが出てきて、
急にまた読みたくなって、図書館で借りて読んだというわけです。
ザンジバルはタンザニアの沖に浮かぶ島。
昔から交通の要衝で、いろいろな人種が住んでいました。
悲しい歴史としては、奴隷貿易の中継地点だったということ。
私の大好きなスパイス絡みとしては、クローブの産地ということ。
ザンジバルへ行くには、現在でも飛行機を乗り継ぎ乗り継ぎ
行かなければたどり着かない、遠いところです。
そんな遠いところに、明治時代から大正~昭和の初期にかけて
日本人女性が何人も住んでいたのです。
明治と昭和の時代に挟まれて、大正時代のことはあまり知られていませんが、
実は大正は非常に活気ある、また海外に出かけていった興味深い時代なのです。
(ただ今、研究中です)
商社が支店を開設するよりも前に、日本の領事館が開設されるよりも前に
彼女たちは東南アジアだけでなく、インドやスリランカ、果てはアフリカまで
流れ流れて行きました。アフリカの東海岸各地に住んでいたそうです。
そしてザンジバルのからゆきさんたち。
数少ない資料、日本人女性がザンジバルにいたことを記憶している
ザンジバルのお年寄りたち、ザンジバルに赴いたことがある船会社の人たち、
そこから情報をたぐり寄せて、からゆきさんたちにスポットを当てて紹介。
大正初期に日本を出て、東南アジアを経てザンジバルに長く滞在、
昭和30年代に約50年ぶりに神戸の港に戻ってきたおまきさんの話は
感動的でもあります。
情報が乏しかった時代に海外へ出かけていった日本人、
そして日本へやってきた外国人、そんな人たちに興味があります。
ザビエルもモースも天正少年遣欧使節の少年たちもジョン万次郎も
だから興味があります。
でも、後世に名の残らないからゆきさんたち。気になる存在です。
つまり、この本自体が貴重な存在ということですね。