ホリスティックライフ in 世田谷

都会の中の田舎に住み、ウキウキ、ワクワク楽しく暮らす。
キーワードは、ホリスティックライフ。

被災地応援ファンドツアー’22<4>

2022-06-01 17:03:17 | 東日本大震災
つなかんの女将の話を伺った後は、気仙沼の内湾へ。
ボランティアバスで何度も訪れた懐かしい地域です。

気仙沼の街も津波の被害にあっていて、大きな船が陸に乗り上げた様子は
何度もニュースで伝えられたので記憶している方も多いかと思います。
乗り上げたままの状態だった時期、実際に見たので、はっきり覚えています。



ボランティア活動後、丘の上に建つ気仙沼プラザホテル(手前中央にある塔はエレベーター)で
温泉に入って、夕食もその周辺で食べるパターンでした。
近くにあった銭湯にも行ったことがあります。

久しぶりに訪れた気仙沼は、当時とは全く変わってしまって、
プラザホテル以外は何がどこにあるか分からない状態。



きれいに整備されています。



アンカーコーヒー内湾店。
本店には、以前に参加したファンドツアーで訪問しています(こちら)。



お店の並びにある、港が見える施設でアンカーコーヒー(こちら参照)の小野寺社長と
石渡商店(こちら参照)の石渡社長の話を伺います。
石渡商店はふかひれ専門店ですが、津波で大打撃を受け、その後、事業展開すべく
気仙沼完熟牡蠣のオイスターソースを開発。
牡蠣は唐桑地区で獲れた良質の牡蠣にこだわり、発売当初からつなかんのご主人が経営していた
盛屋水産の牡蠣を使っていたそうです。
ご主人が亡くなって、盛屋水産が廃業した後は、同じ地区のほかの事業者から仕入れています。
また、開発した際、香港メーカーの李錦記や他社のオイスターソースとの差別化を図ることを意識し、
パッケージも瓶を使って、ラベルもオイスターソースとは思えないようなものにしました。

実はこのオイスターソース、発売した時に購入したので、おいしさは知っています。



うわ~、嬉しいことに、お土産としていただきました!
石渡社長から、オイスターソースへの想い(こちらも参照)を伺って、ますます注目です。
オイスターソース好きな方には、絶対オススメします!

さて、ファンドツアーも終盤。お昼の時間です。
コロナの影響もあって、30人ほどの団体がレストランで食べることもままならず、
魚市場にあるクッキングスタジオで事業者の方々が準備してくださることになりました。



新鮮な刺身やウニ、イクラ、ホタテがずらりと並びます。





たくさん盛り付けていただきました!
ウニは正直苦手ですが、朝早くから新鮮なウニを準備してくださったという話を聞いて、
やはりいただいておこうと。確かに、新鮮そのもので、臭みなど全くなく、おいしくいただきました。
写真撮り忘れですが、その場で炊いた、出来立ての煮魚もいただきました。



デザート。名前は忘れました。生クリームとヨーグルトを和えたもの。
海藻入りのクッキーは初体験。新鮮な驚きが。



クッキングスタジオの外にはデッキがあって、青い海と青い空!が楽しめます。
そう、ツアー中、晴れ女パワーで、お天気に恵まれました。
前日金曜日は嵐のような雨だったと言っていましたから。
東京でも昼ぐらいにどしゃ降りでしたよね。



三陸道の橋(気仙沼湾横断橋)と、その向こうに大島へ渡る気仙沼大島大橋が見えます。
なんだか、単純に、気持ちいい~~~。



最後、道の駅大谷海岸へ。目の前が海岸となっています。
津波の後、砂浜の部分に防潮堤を作る計画があったそうですが、地元住民が反対して、
協議を重ねた結果、砂浜を残すことになりました。
こちらに説明があります。
この美しい景色には、そのような背景があったかと思うと、余計に美しさに感動します。

充実しすぎのファンドツアー、あっという間の2日間は、いよいよ仙台駅で終了。
事業者の方々からさまざまな話を直接伺うことができて本当に良かったです。
まだ苦しい現状はあるものの、自社のことだけでなく地域全体の発展を考えながら
さまざまな活動を展開している若き経営者たちがとても頼もしく、
すでに未来に向かって進んでいる、その姿を拝見することができました。

ただ、街の賑わいという点では、大きな課題となっています。
昔ながらの商店街も消えてしまって、高齢者の方々などは買い物に不便を感じていたり、
コミュニティ自体の形成もどうなっているのか、
今回は普通の地元住民との接触はなかったので、そのあたりは分かりませんでした。
本当は、ボランティアで伺ったところなどもその後どうなっているか見たかったですが、
今回はファンドのツアーなので、それはちょっと無理でした。
とはいえ、南三陸、陸前高田、気仙沼と、気になっていた3つの地域を一度に訪問し、
実際に見て確かめることができたのは大収穫でした。
今度は民宿に泊まって、のんびり過ごすのもいいかもしれませんね。

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被災地応援ファンドツアー’22<3>

2022-05-31 19:56:23 | 東日本大震災
カモシーでおいしい夕食をいただきながら、事業者やツアー参加者の方々と
楽しいひと時を過ごした後、気仙沼の唐桑半島にある宿泊場所へ移動。
今回はホテルに泊まる人と民宿に泊まる人と半分に分かれました。
当然ながら民宿のほうが参加費は安く、民宿なら宿の方と話もできる、
そんな単純な理由で民宿希望としました。
ところが、その民宿は名物女将がいる、とても有名な
すごい民宿だったのです。その名も「唐桑御殿(からくわごてん)つなかん」(こちら参照)。



夜遅く着いたので、真っ暗な道をくねくね曲がって、どんなところを走っているか
分からないまま到着。
朝、明るくなってから見たら、こんな立派な御殿でした。
この地域では、漁に出た漁師が帰ってくる時、自分の家がすぐに分かるように、
御殿を建てたそうです。集落の中に、同じような御殿はいくつかありました。



防潮堤を作っているところで、高さは8.1メートル。つなかんから海が見えていたのに、
防潮堤が完成すると、もう見えなくなってしまうそうです。
津波が来た高さは18メートルだったので、防潮堤の8.1メートルは疑問との話。
それに、防潮堤を超えて来た波は、引き波とならず、こちら側に溜まってしまうのではないかと。

朝食の前、みんなでお散歩。
まずは、すぐ裏の八幡神社へ。階段の途中にあった碑。



昭和8年3月3日に発生した昭和三陸津波の被害にこの地域もあっていて、
「地震があったら 津浪の用心」と記されています。



神社の境内からは静かな海が見えます。





急な階段で、ガタガタしていて、こわごわ上がりましたよ。下る時も。



牡蠣の養殖が盛んな地域です。



防潮堤は目の前で見ると圧巻。



宮城県のゆるキャラ、むすび丸がこんなところで活躍中!



充実した朝食。自家製の味噌を使った味噌汁や、ばっけ味噌(ふき味噌)が民宿ならでは。



こんなお土産もいただきました。気仙沼のミヤカンというメーカーがあって、
ツナ缶を販売しているのですが、ネットで検索すると民宿のつなかんのほうが上に出てきてしまう
(会社としては悔しい)、それならコラボしてみよう!というアイデアで、
つなかんに宿泊した人にプレゼントしてほしいと、何箱も持ってきたそうです。
人気のツナ缶のようで、帰りに寄った道の駅でも売っていました。
ありがたや~。



ホテルに宿泊した参加者のつなかんに集合。女将の一代(いちよ)さんのお話を伺います。
つなかんは東日本大震災後に一代さんが始めた民宿です。
詳しい経緯はHPにも説明してあります(こちら)。

東日本大震災の津波で3階建ての建物は柱と屋根を残して、すべて失いました。
牡蠣の養殖をしていた筏もすべて。
当時、気仙沼にボランティアで来ていた学生たちに、屋根さえあれば寝ることはできるからと、
寝る場所を提供していました。延べ1000人以上が泊まり、人々に触れている中、
人とのつながり、触れ合いの大切さを痛感し、民宿を始めました。
被災地応援ファンドの力も借りて、ボランティアにも手伝ってもらい、
始めたのですが、2017年、事故が起こります。
漁業を続けていたご主人たちが乗った船が転覆し、
長女が亡くなり、ご主人と三女のご主人は行方不明となりました。
津波では生き延びたのに、転覆事故で一度に3人の大切な家族を失ったわけです。
その後、民宿は休業。それでも、3カ月後に再開。
忙しくしていないと、悲しくなってしまうばかりと。
そして、苦しみを乗り越え、いえ、乗り越えてはいないかもしれませんが、
明るくて元気な名物女将が戻ってきました(こちら参照)。

少し前のNHK朝ドラ「おかえりモネ」の前、何度も取材に来たそうです。
ストーリーの中に、そういった体験談が盛り込まれているとか。
撮影の時には気仙沼の人がエキストラでたくさん協力していて、
女将もバッチリ出ていたそうです。
でも、ドラマは悲しいことを思い出してしまうかもしれないと、
全然見ていないそうです。
また、船には一生乗らないと決めているとも。
明日は何が起こるか分からないから、今を生きる、
つらい経験をした人の言葉はとても重かったです。
今を生きる。
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被災地応援ファンドツアー’22<2>

2022-05-30 19:25:14 | 東日本大震災
南三陸の次に向かったのは陸前高田。
本当は南三陸の各地域(特にボランティアでよく行った歌津)を巡りながら
北上したかったのですが、三陸道が先のほうまで開通しているため、
三陸道でスイスイ走って陸前高田に到着。

もう街は全く変わってしまっています。
高田松原津波復興祈念公園として整備されている場所は広大な緑が。



まずは、防潮堤を見学に行きます。高さは12.5メートル。



震災前は高田松原として松の名所でした。それが津波で奇跡の一本松を残して、すべて流されて。
防潮堤の向こう側には、その松を取り戻そうと植林されています。



写真の中央に見えるのが奇跡の一本松。もう植物の松としては死んでしまっているそうですが、
残すことにしました。確かに、色がもう茶色っぽくなっていて、生気がありません。



右の先にある三角の建物は、道の駅高田松原だった建物で、下から3分の2ぐらいの高さまで津波が来ました。
伝承館では、震災や津波の様子を後世に伝えるための展示がしてあり、
津波の大きな被害を受けた消防の車の展示などもありました。
私は最初にボランティアバスに参加した時は、ぺっちゃんこになった車を何十台も積み上げてある
車の墓場のような場所がまだ残っている時期で、その光景はまだはっきり覚えています。



被災地応援ファンドに関わる陸前高田の事業者の代表ともいえる八木澤商店の社長が
陸前高田の街をバスで案内してくださいました。
このあたりは三陸復興国立公園に指定され、人が住むことはできないそうです。

人口18000人の陸前高田で、86%の企業が震災・津波の被害を受け、事業を再開できたのは
そのうち6割だけだそうです。
ただ、若者を中心に、新しく会社を立ち上げる動きも活発になっていて、小さな会社が多いとはいえ、
140社もの会社が立ち上がっているそうです。
ほかの地域ではほとんど取り組んでいない夏のいちご栽培、東北では唯一といえる青のり栽培など、
陸前高田ならではということを意識して事業を進めています。
大阪の企業がピーカンナッツを植えることにも取り組んでいて、
これからピーカンナッツで盛り上げていこうという動きもあるそうです。





ワタミの子会社が関係しているオーガニックランドというテーマパーク?もできていて、
修学旅行生が農業体験したり、大人数で食事を取ったりできる施設となっています。
ブドウの栽培も始まっていて、ワインを作る計画があります。

社長の話を伺っていると、陸前高田がしっかり未来に向かって動いている、
それを実感しました。



その象徴ともなるのが、発酵パーク CAMOCY(カモシー)。
八木澤商店は震災前、気仙という地域にお店がありましたが、津波ですべて流され、
一旦はほかの地域で本社を構えることにしました。
その後、10年の時を経て、元の場所に戻ることを決心し、10メートルかさ上げされた
この地域に味噌工場を建て、本社も移転しました。

陸前高田は味噌・醤油や酒などの醸造所が昔からあり、発酵に関わってきました。
そこで、発酵をテーマにしたこの施設をオープン。
八木澤商店のほか、クラフトビールの醸造所、パン屋、発酵をテーマにしたデリなどが入っています
こちら参照)。



木造りの建物は、陸前高田で取れた間伐材などを使ってあり、太陽光発電なども利用し、
持続可能性を意識した事業を進めています。
小さなことを一つずつと社長はおっしゃっていましたが、
最先端を行っていると思いましたね。
すべてを失って、言ってみればゼロからのスタート。だからこそ、最先端で行けるのです。
素晴らしいことです。他の地方からたくさんの人が訪れたり、見学に来たりするといいですね。





薬剤師監修のフェアトレードチョコレートもウリです。カカオ77%のチョコを購入。



せっかくなので、八木澤商店を代表する醤油とぽん酢も買いました。久しぶりです!



夕食もこちらでいただきます。





すてきな字ですね。カレンダーの裏に書いてあるところが、またいい!
カモシーで店を構えるジャンティーと発酵食堂やぎさわの方々が準備してくださいました。



参加者や事業者の方々とお話ししながら、おいしくいただきましたよ。



なかでも、ホタテのぶ厚さと大きさが衝撃でしたね。こんなに大きなものは初めてです。





お菓子の木村屋からは、社長がやはりご挨拶にいらっしゃっていて、お土産をいただきました。
こちらでもピーカンナッツを使ったお菓子を開発しています。
陸前高田のピーカンナッツの展開に今後も注目していきたいです。

さて、お宿は気仙沼の民宿「唐桑御殿つなかん」。有名な民宿で、名物女将が待っています。
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被災地応援ファンドツアー’22

2022-05-29 18:05:50 | 東日本大震災
被災地応援ファンドツアー、1日目。
仙台に集合してバスで最初の目的地、南三陸に向かいます。
と、その前に、バスが出発する前、ご挨拶にいらした事業者がいて、
すでにお土産をいただいてしまいました。



ほやのしぐれ煮と味噌漬け。
ほやは、以前に船の上で新鮮なものをいただいたことがあります(こちら)が、
それ以来、食べていません。しぐれ煮や味噌漬けなら、ご飯と一緒にいいかもね。
笹かまぼこは、別の事業者から。
被災地応援ファンドのツアーに参加すると、自分が支援していない事業者からも
いろいろいただいて恐縮してしまうんですよね。
でも、事業者の方々にとってみれば、私たち参加者は、
応援していただいているファンドのツアーで来た人々、ということなので、
とにかく感謝されるわけです。
これは、ツアー中、続きます。



三陸道をスイスイ走って、南三陸町のさんさん商店街に到着。
ボランティアバスに参加していた時は、まだ仮設だったさんさん商店街に最後に寄って、
昼食を食べたりお土産を買ったりした懐かしい場所です。
川の反対側にオープンしてから行くのは初めて。



土曜日のお昼時とあって、たくさんの車が止まっていて、
名物のキラキラ丼目当てのお客さんの行列が店の前にできていました。



私たちは事業者が準備してくださったスペシャルな丼を。
ほたては事業者からの差し入れです。毎回こういったサービスをしてくださるんですよね。



志津川名物のタコものっていました。どれも2切れづつの豪華版。ありがたや~。



例によって、ご挨拶のお時間も。現状報告や感謝の言葉など。本当にいつも感謝の言葉をいただきます。



昼食後は、震災復興祈念公園へ。



橋をわたった反対側に、例の防災対策庁舎が震災遺構として残されています。





周辺は公園として整備されていて、緑を楽しみながら、丘の上までくるくる上ります



犠牲者の名簿が入っているそうです。
向こう側には、高野会館がまだ残っていて、
その先にはホテル観洋が見えます。
高野会館といえば、震災当日そこにいて、九死に一生を得た方の話を伺ったことがあります。

前日の土砂降りの雨とは打って変わって、いいお天気。
静かな南三陸の午後。



さんさん商店街のシンボル、モアイ像にも会ってきました。
お久しぶり!!
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7年ぶりの被災地応援ファンドツアーへ

2022-05-27 19:58:11 | 東日本大震災
順番待ちのネタは数あれど、優先順位の関係で、
被災地応援ファンドツアーの件。
週末、7年ぶりに被災地応援ファンドのツアーに参加します。
2020年4月にツアーが計画されていて、久しぶりに申し込んで、
とても楽しみにしていたのですが、コロナの影響で中止となってしまいました。
そんなこともあったので、今回、ツアーの連絡をもらってすぐに申し込んだわけです。

東日本大震災後は、ボランティアバスに参加して陸前高田や南三陸に何度も行きました。
特に南三陸へはよく行きましたね。
カテゴリーの「東日本大震災」にまとめてあります。
被災地応援ファンドのツアーも過去の記事を見てみたら、3回参加しています。
懐かしい~~~。

前回参加の様子はこちら()。
最初の記事の中に、その前の記事のリンク貼っていますので、
それもよかったらご覧ください。

今回は南三陸、陸前高田、気仙沼と一気に巡ることができ、
応援している事業者の方々にもお会いできるので、とても楽しみです。
10年以上経っても、まだ課題は山積だと思います。
そのあたり、現状と本音もしっかりお伺いしたいです。
街の様子もすっかり変わっているでしょうね。
もちろん、おいしいものも食べるぞー--!
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あれから10年。

2021-03-11 23:27:16 | 東日本大震災
東日本大震災から10年。
あの日は交通機関がストップしてしまって、
会社から4時間以上かけて歩き&バスで帰ったんですよね。
次の週はインドネシアへ行く予定だったので
1週間休みにしていました。
そのインドネシア行きも中止(延期)となり、
1週間は街の様子を観察しながら過ごしました。
当時のブログ、見てみましょう。
当日から16日まで(123456)、
うわ~、懐かしいですね!
そうそう、シンディー・ローパーにも行きました(こちら)。

ボランティアバスで被災地ボランティアにも何度も行きました。
最初は2011年9月。
カテゴリーの「東日本大震災」をずーっとさかのぼってみました(こちら)。
こちらもご覧ください。
最初のころは、津波被害の爪痕がはっきり残っていました。

「東日本大震災」をずーっとさかのぼってみると、
これまでに参加したそれぞれのボランティアバスが思い出されます。
4種類参加しました。2011年秋から2016年にかけて、
年に5回ぐらい参加した年もありました。
後半は漁業支援が中心となり、
特にワカメの季節にはいろいろお手伝いしたり、
船にも乗せてもらったり、
ホタテの収穫作業のお手伝いしたりたくさん食べさせていただいたり。

被災地応援ファンドのツアーでも気仙沼や陸前高田を訪れました。
それも「東日本大震災」をさかのぼってもらうと、何度かご紹介しています。
本当は去年4月にツアーに参加するつもりで申し込んでいたのですが、
コロナの影響で中止に。
10周年の今年は本当であればツアーを実施したかったと思いますが、
それも無理。とても残念です。
次に企画される時にはぜひ参加したいと思っています。

過去の記事を見ていたら、2016年がボランティアバス参加の最後で、
それ以降は行っていません。

何度も訪れた南三陸、気仙沼、陸前高田に
またぜひ行きたいです。

あ~、本当は今日会社お休みで、帯津先生の時空に参加して、
コンスタブル展にも行って、欲しかったレミパン(ミニ)も買って、
新宿駅では、ひよこちゃんバス(都営バス)まで見てしまった!
盛りだくさんな1日だったのですよ。
ブログで3回ぐらいで紹介するような濃密な1日だったのですが、
とりあえずは3月11日ということで、東日本大震災ネタにしてみました。
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東北風土マラソンでマラソンデビュー!@登米<3>

2016-04-27 18:33:43 | 東日本大震災
結局、3時間で計16周走りました。
自分としては、
最初は1周か2周走ればいいと思っていたものの、
3周走れたのは良かったです。

走っている時には
うぐいすの鳴き声が聞こえたり、
大きな長沼がよく見えたり、
ステージで踊っている様子が見えたり、
そんな楽しみもありました。

マラソンだけでなく、
歌あり、踊りありのステージも用意されていて、
はっと汁など郷土料理もあるし、
日本酒の利き酒コーナーまで。

登米では一大イベントとなっているようです。



この日は、さんさん商店街や伊里前商店街、
みなさん館にも寄ってお買い物。

夕方になって泊まらせてもらう食堂に。



じゃ~ん。夕食です。
海鮮あんかけ焼きそばが、どかん!と
(これは食べきれずに朝食になりましたが)。



漁師丼に海鮮たっぷり汁。

おいしくいただきながら、
お喋りお喋りお喋り……。
そして、爆睡。

日曜日は早起きして再びマラソン会場へ。



みんなでお手伝いしました。
うにめし、あさりめし、ほたてめし、
五目うにご飯、海鮮焼きそば、はっと汁などなど、
しっかり売れましたよ。



途中、食べさせていただいた海鮮うどんとミニあんかけご飯。
うんまいっ!

この日はフルマラソンやハーフマラソンなどがあり、
本気で走る人、多数。

すごいですねー。

あ、そうそう、元ヤクルトの古田が来ていて、
ミーハーな同行者が一緒に写真撮るって言うんで
つい、ついですね、
私も!と一緒に撮ってもらいました。
とても感じの良いお方でしたよ。

で、帰りの新幹線にも古田が!
同じ新幹線に乗りました。
私たちは立ち席(自由席のないはやぶさ)で、
古田はグランクラス(こちら参照)、つまりグリーン車より上のクラス。
食事も出るみたいですね。いいなー。

終わってみれば、大丈夫だったわ!と言える、
初マラソン大会でしたが、出店のお手伝いも含め、
楽しい楽しい時間を過ごすことができました。

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東北風土マラソンでマラソンデビュー!@登米<2>

2016-04-26 18:34:03 | 東日本大震災
さてさて、いよいよリレーマラソン、スタートです。

4人で参加したのですが、
2人は経験豊富なランナー、
あと2人(私も含め)はマラソン未経験。

最初にランナーに走ってもらって、
次は私、その次はもう1人のランナー、
最後はマラソン未経験者、
という順番で走ることにしました。

参加者は思った以上に多く、
100チーム近くいました。
企業で参加している人たちもたくさんいたし、
ランナー仲間のサークルの人たちも
たくさんいました。

今回は「ドレスアップ」というテーマだったので、
ドレスアップした人や、
1本足の下駄を履いた鬼太郎、
バカボンパパなどなど、
いろいろな人がいましたよ。

さて、スタートしてから
おっとびっくり!したことが。

あーーー、坂道があるーーー。

長沼という、湖としか思えない大きさの
沼のほとりを走るのですが、
ちょっとした坂道を登って
小高い丘をくねくね走るコースなんです。

最初に登ってしまえば、そこからはそれほどの
坂道もなかったものの、
坂道があるということは想定外でした。

が、1周走ったら、なんとかなりそうな気がして。

2周目も行きました。

でも、ほかのみんながあっという間に帰ってくるから、
時間がかせげないわけです。

3時間走り続けるため、
すぐに戻ってきてもらっては困る……
と言ってはいけないですが。

思ったより順番がどんどん巡ってきそうで、
ちょっと3週目はお休みしました。
4週目に復活したところで、
みんな走って終了。

いや~、なんとかなりましたよ。



走ったあとにいただいたものがこちら。

参加賞のおにぎりと、食堂の方に
差し入れしてもらったほたて。

おにぎりは何も入っていない塩にぎり。
ちょっと期待ハズレでした。
ご飯はおいしかったけど。
米どころの宮城県ですからね。

*****

ところで、こんな記事発見。

正解は、こちら参照。

すぐ答えは分かったんだけど、
どうして正解率が1000人に1人なのかよく分からなくて。

*****
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東北風土マラソンでマラソンデビュー!@登米

2016-04-25 18:00:21 | 東日本大震災
2週連続で南三陸行き、でも、今回の目的は
そのすぐそばの登米で開催された
東北風土マラソン&フェスティバルへの参加
(大会概要については、こちら参照)。

マラソンといってもリレーマラソンで、
1周2キロのコースを
4~8人のチームで3時間走るもの。

すべての人が最低1周すれば、
あとはどのメンバーが走ってもいいことになっています。

ボラバスで知り合った仲間に誘われて、
去年5月に泊まらせてもらった食堂にもまた
泊まらせてもらうことになり、
成り行きまかせで参加することにしました。

去年5月と同じメンバーです。
去年の様子はこちら()。懐かしい!

出発2週間前から少しだけ練習を始めて、
芦花公園まで朝走ってみたりしましたが、
結局、直前は練習しないまま本番へ。

なんとかいけそうという感触もあったし、
1周だけでも走れればOKかと思い。



会場にはこんな風車とチューリップが。
オランダから持ってきた風車だそうです。



きゃ~、本当に、本当に来てしまいました!

マラソン大会と名の付くものに参加するのは初めて。
いかにもランナー風の人、人、人。

私たちが参加するリレーマラソンは土曜日、
フルマラソンとハーフマラソンは日曜日開催です。

泊まらせてもらう食堂もこのイベントに参加しているので、
日曜日はそのお手伝いです。

まずは、リレーマラソンの前にはっと汁で腹ごしらえ。



これこれ、これです、海鮮はっと汁。


コメント (2)
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ボラバスで南三陸へ、ワカメ!<3>

2016-04-19 18:08:02 | 東日本大震災
食べ物の話ばかりになりますが。



朝は初めてさんさん商店街の朝市へ行きました。
月2回開催されているもので、
ふのりが入った味噌汁はサービスです。
ほたてのご飯と一緒に。

ブロッコリーなど野菜の苗も売っていて
興味ありありだったものの、
持って帰るのが大変だから
諦めました。

日曜の午前中はまた同じわかめの作業を続け、
あっという間に時間も過ぎて終了。

ボラバスのドライバーで参加している方が
個人的に来ていたり、
青森から来ている方がいたりして、
そういった方々からも
貴重なお話や情報を伺うことができました。

お二人ともいろいろなボランティアをやっていて、
飯田市で農家に泊りがけでやる
ボランティアなど興味津々の情報も入手しました。

さて、最後のお楽しみは、
またまた食べること!



メカジキのカマに、メカブ丼。



たくさ~んメカブいただきました。



もちろんホタテも。

今回のボラバス参加者は
大学生がほとんどだった前回と比べて
面白い顔ぶれで、
楽しく興味深く話ができたのも
印象的でした。
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