虹色仮面 通信

神出鬼没なオッサンが毎日感じたことを取り留めなく書き連ねます

「運動会」観察

2010-05-30 09:43:13 | 社会
昨日は札幌市内の多くの小学校で『運動会』が行われてました。

私も「運動個別指導」という仕事に従事しているので、朝から3校の『運動会』を見学に行ってきました。

昨日、確認したかったことは以下の3点。
1、子どもたちが楽しそうに運動会に臨めているか?
2、昨今の子どもたちの運動能力をチェック~ホントに運動能力が劣るのか?
3、先生たちの対応はどうなのか?

我々の仕事は、常に「観察する=見る」⇒「問題点を探す」⇒「仮想・想定してみる」⇒「我々が出来ることを考える」⇒「具体的な形にする」⇒「形にした物を実行する」を繰り返し(トライ&エラー)ているだけである。
それを、日々継続的に行って、徐々に改善しながらプログラムに落とし込んでいるだけなのだ。
このこと自体は、恐らくほとんどの仕事に共通する要素だと思うのだが…。

また、我々は運動・スポーツを扱う仕事(業種)なので、極めて客観的(=普通)にスポーツを観察するように『運動会』も見る。
そうすると、プロ野球の選手やチームの状況を分析するように、出来る子と出来ない子(または、勝てるチームと勝てないチーム)の違いも相対的に見えてくるし、ある子の「ここを改善すれば、このように変わる」というポイントの抽出も出来てくる。
そこが「運動個別指導」の重要なポイントでもあるのだが…。

その点で『運動会』は、子どもたちの運動状況や体力を見極めるのには絶好の機会であるし、多くのデータ・生身の資料を入手することが出来る。
『運動会』は、全校一斉のイベントなので、一度に多くの子どもたちを観察できるし、受売りの情報と自らの感覚のギャップを埋め合わせることも出来る。

昨日、見させてもらった3校の『運動会』から得られた情報を、どう生かして社会に還元するかが、我々「運動個別指導 フィットネスアカデミー」http://homepage3.nifty.com/tpa/の課題であり、使命でもある。

今後の我々の展開、充分に期待してください!
いいアイディアがいくつも頭を駆け巡っています。今から楽しみでなりません。

祭りの後

2010-05-29 08:45:24 | スポーツ
ラリーというのは、一般的に農道や林道、私有道を借り切って行われます。
そのため、開催前にはしっかり整地しますし、開催後は元の状態に戻します。

今回の「ラリー北海道」の場合、23日に大会が終わったので、翌日の24日から原状回復の作業に入ります。
ただ、昨日は雨だったようなので、今日から作業なのかもしれませんが…

また、北海道の農道や林道は比較的、路面が柔らかく(=火山灰が積もっている地質だからか?)パワフルで駆動力が大きいラリー車が何十台も走ると大きな轍ができてしまいます。
場所によっては、40~50cmくらいの深さになり、競技中もラリー車の底を引きずって走行しているのが(「ガガッ」という音を聞いていて)分かります。

この経費は全て大会事務局が基本的に負担しますが、地元の皆さんの協力なしでは行えないのも現実なのです。
この点で、十勝には脈々と受け継がれてきたラリーの歴史があり、地元の人たちに支えられて開催されていることをいつも実感します。
それだけ地元にも馴染んでいますし、多くのラリーファンにも支持されているのです。

足寄温泉

2010-05-28 08:35:55 | 旅行
毎日寒いですねぇ。
どうなってるんでしょうか?

今日は寒いときに嬉しくなる温泉のお話。
今回は先週末の「ラリー北海道」観戦の途中で立ち寄った『足寄温泉』について。

ここは足寄町中心部から十勝道・足寄インターチェンジの間(国道242号線沿い)にあり、町民の皆さんも気軽に利用している公共温泉です。

この『足寄温泉』は黄色っぽい食塩泉で、毎分1580リットルも自噴している天然温泉で、この豊富な湯量のため、循環はさせておらず、常に湯船からお湯があふれ出しています。
もちろん、洗い場のお湯も源泉を利用していますので、どこでも「源泉掛け流し」が楽しめます。

こんなに充実の内容なのに、入浴料がたったの300円。
普通の銭湯よりも安価なので、心身ともにとっても贅沢な気分が得られます。
ただ、銭湯スタイルなので、石鹸やシャンプーはありません。自ら持参していく必要があります。
源泉100%なのですから、何度も鮮度のいいお湯で洗い流せば、石鹸やシャンプーは必要ないかもしれませんね。これ、本当の話ですよ!

また、湯船(内風呂のみ)も広く、ざっと30人くらいは入れるのではないでしょうか?
とても広くて、開放的な気分になれます。
営業時間も夜11時迄で、年中無休らしいので、キャンパーや車内泊をする皆さんにも大助かりです。

足寄方面に行く機会があれば、是非立ち寄ってみてください!
きっと身も心も温かくなれますから。

危険!

2010-05-27 08:34:20 | スポーツ
写真のものは、今回の「ラリー北海道」の個人スポンサーのパスですが、裏面には『モータースポーツは危険です』と記されています。

ラリーの場合、競技車両が撒き散らす砂が飛んでくるのは当たり前で、場合によっては親指大の石が飛んでくることもあります。
今回は陸別オフロードサーキットの林道で砂利を浴びました。
また、足寄の林道でもカッパごしに泥を(背中に)浴びました。この日は朝から雨だったので、泥混じりの石が飛んできましたよ!

現地のコースマーシャル(関係者)に聞いたのですが、顔に石が当たって軽い怪我をした方(女性)もいたとか。
この砂利の避け方にも方法があるのです。
ベテランになると、この避け方もサマになっています。
私も30年来のモータースポーツファンなので手馴れたものです。

こんばんは!

2010-05-26 08:38:38 | スポーツ
元プロレスラー・ラッシャー木村さんが亡くなった。

北海道中川町出身で、大相撲を経てプロレス入り。
国際プロレス時代に「金網デスマッチ」で一世を風靡。
国際プロレス解散後、新日本プロレスに参戦。
1981年9月、田園コロシアム(東京)の大会に乱入し、新日本プロレスの関係者・ファンに参戦のアピールをしに来たのだが、つい人柄の良さが出て、思わず『こんばんは』とマイクアピール。
悪役(ヒール)だったのに、そのギャップがうけたし、今でも伝説として語り継がれる。
その後、全日本プロレスに活躍の場を移し、ジャイアント馬場との抗争、その後の馬場との兄弟タッグ結成などと話題提供には事欠かないレスラーだった。

また『こんばんは』事件からマイク使いに目覚めたのか、晩年は試合後の「マイクパフォーマンス」で人気を博していた。
とても思い出深いレスラーだが、全盛期はガチンコ勝負でも充分に強い骨太のレスラーだった。それゆえ、真剣勝負がウリだった第1期UWFにも参戦していた。知っている人はかなりのプロレス通ですねぇ。

心よりご冥福をお祈りいたします。
あの世で馬場さんなどと昔話に花を咲かせて下さい。きっと止め処なく話してるんじゃないでしょうか?

ps、ジャンボ鶴田(故人)が現役引退して大学教授を目指し、大学院に進む際、ラッシャー木村に「ボク、マスター(教授)を目指すんですよ」と告げたら、何を勘違いしたのか「マスター(飲み屋)になったら、店に顔出すよ!小さくてもいいから、良い店にしろよ」と言われ、鶴田は苦笑したという。

写真:国際プロレス時代(左がラッシャー木村)

老朽化した総合公園

2010-05-25 08:28:07 | 社会
先日、仕事で月寒公園へ行ってました。

久々に公園をぐるりと歩いてみたら、何となく汚らしい感じが…。
事実、グランドは石ころが転がっていたり、凹凸も多いし、アチコチに散乱するゴミも妙に目立つ。
また、カラスが至るどころにいて、なんとも薄気味悪い。
カラスがあんなにたくさんいるってことは、公園自体が基本的に汚いのではないでしょうか?

この公園、幼児期より馴染みがあり、今でもこの近くが基本的な生活圏なのですが、今では老朽化が著しく、管理もお粗末に感じて帰ってきました。
行政予算が少ないから、やむを得ないのかもしれませんが、市内屈指の総合公園がこの姿じゃいけませんよ!

どうやら5年くらいのうちに「全面改修」するらしい http://e-kensin.net/modules/bulletin/index.php?page=print&storyid=4251 ので、改修されたら雰囲気が変わるんでしょうが、直ぐに汚くなっちゃうんでしょうね。

この状況を見て、利用者のモラルの低さを、感じずにはいられませんでした。
公共の場所は、みんなできれいに使いましょうね!
子どもじゃないんだから、分かるよねぇ…!?

写真:冒険ひろば~昔はターザンロープがありましたが、老朽化のため使われておりませんでした。

分速95mでWALKING

2010-05-24 08:11:30 | スポーツ
1週間前のお話。

16日は、JRヘルシーウォーキングに参加してきました。
http://www.jrhokkaido.co.jp/travel/walking/2010_05.html#0516

この日は、苗穂駅開業100周年記念「サッポロ開拓の歴史と豊平川・中島公園ウォーク」約12.5kmの行程です。

今回はサッポロビール園までの約10kmを、分速95mで歩く目標設定をして、手持ちの歩数計(携帯電話に内蔵)でしっかり確認しながら歩きました。
豊平川河川敷は分速95mになんら問題がなかったのですが、市街地に入ると信号があったりするので、ややペースダウン。
それでも、トータルで分速85mはキープできました。

人それぞれ歩く目的や体力も異なりますので、一概に言えない部分もありますが、脂肪燃焼と代謝向上には、分速80m以上のスピードが求められると言われます。

分速80mといえば、時速5kmくらいということになりますから、目標距離の10kmの行程は約2時間で歩き終えなければなりません。
最初はこれでもなかなか大変なのです。

この日は、桜も満開でキレイでしたし、天気も最高だったので、ほんのり陽に焼けながら、いい汗をかくことができました。
これからはWALKINGするには最適の季節ですよ!

写真:サッポロビール園と桜

プロアマ交流戦

2010-05-21 17:40:40 | スポーツ
今日は午後から、担当しているラジオ番組の取材(=ネタを拾い)に野幌運動公園硬式野球場へ出かけてました。
この「プロアマ交流戦」の関連ニュースは↓
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/232034_all.html

このプロアマ交流戦の目的は、日本ハム球団の「スポーツと生活が近くにある社会・スポーツコミュニティの実現」という理念を通じ、同じ北海道で頑張っているアマチュア(チーム・選手)との交流とスポーツ振興を目的に企画された。

これからのスポーツは「地域を活気づけ、そして地域に支えられる」ものであるべきだと、私はかねてより思っていました。
その点で、興味深いイベント(試合)でしたし、今後もできる限り続けていってもらいたいと願います。
とくにアマチュア選手たちには、何事にも換え難い経験ができたと思います。
また、ファイターズ以外のスポーツ運営会社も、より一層地域で頑張るアマチュア(チーム・選手)と交流する機会を設けていって欲しいものです。

ちなみに結果は7-1でファイターズ2軍の勝利でしたが、5回表に北海道社会人野球選抜が追いつき、1-1と競りあっていました。予想外の展開に、微妙な緊張感の漂う試合ではありました。

実力的に7~8点の差が付くと思っていたので、北海道社会人野球選抜の健闘が光った試合でした。

写真:試合開始直後

ps.本来は明日掲載する内容なのですが、明日から「ラリー北海道」にパーソナルスポンサー(番組取材もかねて)として帯同するので(=明日は早朝3時に陸別へ向けて出発予定)この時間にアップしました。

国民車構想②

2010-05-21 08:33:50 | 乗り物
昨日の続き。

「スバル360」は、それまで各メーカーが「実現不可能」と冷遇していた通産省の『国民車構想』をほぼ満足させる内容で、たちまち軽乗用車市場を確立。
ただし、百瀬晋六ら富士重工の開発スタッフは、以下の要求を優先した。
・定員は大人4名
・車両本体価格35万円以下(実際の発売時は42.5万円)
・当時未舗装が多かった日本の主要道路で、60km/hで巡航できること
・生産台数を確保する為、三鷹工場(合併前の富士産業)で生産していた別の生産ラインを転用できること
・簡易的な自動車ではなく、海外メーカーのライセンス生産車やトヨタ・クラウン(初代)と比較して遜色の無い「乗用車」であること

ここらに技術志向の富士重工=スバルの魂が垣間見えるし、決して「スバル360」は『国民車構想』に沿って開発されたものではないことが窺える。

この「スバル360」に続き、1959年秋には鈴木自動車工業が「スズライトTL」を、1960年には東洋工業が「R360」を、1962年10月には新・三菱重工業が「三菱・ミニカ」を、1966年にはダイハツが「フェロー」を発売し、軽自動車市場は一気に活況を呈することになった。

要は現代に至る軽自動車は『国民車構想』によって誕生し、現在も多くの国民に愛用される自動車だということです。
ただ、その端緒だった「スバル360」を生み出した富士重工業=スバルが、軽自動車の自社生産を打ち切り、同じトヨタグループのダイハツからOEM供給されることになり、ここ1年くらいで、スバル製軽自動車は生産されなくなる予定である。

他メーカーの軽自動車とは異なり、エンジンも4気筒(他社は3気筒がメイン)で、足回りも4輪独立懸架(他社は前輪のみ独立懸架)と"こだわり"のクルマ作りをしていたが、時代の流れの影響もあって、系列メーカーのといってしまえばそれまでだが、何となくさびしい感じがしてしまうのは私だろうか?

写真:サンバーバン(軽貨物ではおなじみのクルマ)

国民車構想①

2010-05-20 08:56:56 | 乗り物
『国民車構想』とは、国が関与して提唱する大衆車の生産計画のことをいい、わが国においては1955年(昭和30年)5月18日、通産省(現経済産業省)の『国民車育成要綱案(国民車構想)』が当時の新聞等で伝えられたのに端を発する。

この『国民車構想』は、一定の要件を満たす自動車の開発に成功すれば、国がその製造と販売を支援するというもので、その要件は以下の通りである。
・4名が搭乗した状態で、時速100kmが出せる(ただし、定員のうち2名は子供でも可)
・時速60kmで走行した場合、1リッターのガソリンで30kmは走れる
・月産3,000台(構造が複雑ではなく、生産しやすいこと)
・工場原価が15万円で、販売価格が25万円以下であること
・排気量350~500cc
・走行距離が10万km以上となっても、大きな修理を必要としないこと
・1958年秋には生産開始できること

この計画に、国内各自動車メーカーは「実現不可能」と消極的な反応が多かったが、1956年9月にはトヨタが、空冷4ストローク2気筒700cc・FF方式の「A1型」の計画を発表。また、小松製作所も国民車政策を発表するなどの動きは見られた。

当時、自動車市場への新規参入を狙った富士重工業は、スバル1500の発売断念から、1955年から新規軽自動車規格に沿った新型軽自動車の開発に取り組んでいた。
そして、航空機製造で培った経験(※1)を取り入れ、1957年2月に試作第一号車を完成。
翌1958年3月に「スバル360」(写真)として発表。5月から発売を始めた。

(※1)「富士重工業」はメーカーとしての原点を、戦前の航空機メーカー「中島飛行機」に持ち、創業期に元航空技術者たちが自動車開発に携わってきたという歴史から、航空機に通じる機能性・合理性優先で、既成概念に囚われないユニークなメカニズムを特徴とする自動車を多く送り出してきたことで有名。そのスタンスは日本の自動車メーカーの中でも、特に技術至上主義の傾向が強く、今でも多くのファン(=スバリスト)に支持されているメーカーである。

明日に続く。