運動個別指導を生業にして、しばらく経ちました。
(運動個別指導フィットネスアカデミー https://blog.goo.ne.jp/fitnessacademy)
ここ2年ほどはコロナ禍にあり、感染状況の推移に翻弄されつつ、現在に至っています。
コロナ禍もついに3年目に入り、中高生競技者のモチベーションが上がらない様子がうかがえます。
当方も中高生競技者の指導に携わっていますが、モチベーションが維持されている選手と、そうじゃない選手がいます。
「試合」や「大会」が普通に行われるのかも定かではなく、現3年生は上級生(先輩たち)が中途半端な形で卒業(引退)していった姿を見てきただけに、そうなるのも無理はないと考えます。
でも、よく考えてみてください。
そのスポーツ(競技)をするのは「大会」や「試合」があるからでしょうか?
「中体連」や「高体連」がないと、それを続ける意義は見いだせないのでしょうか?
確かに、日頃の(練習の)成果を発揮する場として「試合」や「大会」があり、そこへ向けて懸命に準備(練習)するのは何も間違っていません。
でも、私の見解としては、個々の人生を有意義に送るための「手段」として、特定の競技(スポーツ)などをしているのではないでしょうか?
それは「目的」ではなく、あくまでも「通過点」であると思うのです。
平たい言い方をすれば、その人らしく生きるための「ツール」として、そのスポーツや競技があるのではないかと…。
もっといえば、個々の存在を示す「存在証明」に近いのではないかと感じています。
私の感覚では、この2年少々のコロナ禍を経て、モチベーションがあがらない選手たちが7割ほどいると思っています。
反面、どんな状況になろうが、出来うる範囲で実力を積み上げている選手たちもいます。
割合で言えば、2割くらいでしょうか。
それは、受け持っている選手たちの練習(指導)の頻度や取り組み方を見ていれば、わかります。
その2割の選手たちは競技レベルだけじゃなく、人間的にも大きく成長してきています。
甚だ残酷ではありますが、コロナ禍はそれを浮き彫りにさせました。
彼ら、彼女らのいずれもプロなど高いレベルを視野に入れているわけではなく、自己実現のために、そして将来へ向けての無形の財産(自信)を得るために日々頑張っています。
そのモチベーションと付随する取り組みが、大きな差となっているのも確認できています。
時間の経過とともに、どんどん隔たりが大きくなっていると感じます。
将来にも、大きな違いを生み出すでしょう。
スポーツ(競技)を「目的」にするか、「手段」にするのか、各自の考え方次第で、大きな差になるなぁと最近感じているので、あえて書き出してみました。
(運動個別指導フィットネスアカデミー https://blog.goo.ne.jp/fitnessacademy)
ここ2年ほどはコロナ禍にあり、感染状況の推移に翻弄されつつ、現在に至っています。
コロナ禍もついに3年目に入り、中高生競技者のモチベーションが上がらない様子がうかがえます。
当方も中高生競技者の指導に携わっていますが、モチベーションが維持されている選手と、そうじゃない選手がいます。
「試合」や「大会」が普通に行われるのかも定かではなく、現3年生は上級生(先輩たち)が中途半端な形で卒業(引退)していった姿を見てきただけに、そうなるのも無理はないと考えます。
でも、よく考えてみてください。
そのスポーツ(競技)をするのは「大会」や「試合」があるからでしょうか?
「中体連」や「高体連」がないと、それを続ける意義は見いだせないのでしょうか?
確かに、日頃の(練習の)成果を発揮する場として「試合」や「大会」があり、そこへ向けて懸命に準備(練習)するのは何も間違っていません。
でも、私の見解としては、個々の人生を有意義に送るための「手段」として、特定の競技(スポーツ)などをしているのではないでしょうか?
それは「目的」ではなく、あくまでも「通過点」であると思うのです。
平たい言い方をすれば、その人らしく生きるための「ツール」として、そのスポーツや競技があるのではないかと…。
もっといえば、個々の存在を示す「存在証明」に近いのではないかと感じています。
私の感覚では、この2年少々のコロナ禍を経て、モチベーションがあがらない選手たちが7割ほどいると思っています。
反面、どんな状況になろうが、出来うる範囲で実力を積み上げている選手たちもいます。
割合で言えば、2割くらいでしょうか。
それは、受け持っている選手たちの練習(指導)の頻度や取り組み方を見ていれば、わかります。
その2割の選手たちは競技レベルだけじゃなく、人間的にも大きく成長してきています。
甚だ残酷ではありますが、コロナ禍はそれを浮き彫りにさせました。
彼ら、彼女らのいずれもプロなど高いレベルを視野に入れているわけではなく、自己実現のために、そして将来へ向けての無形の財産(自信)を得るために日々頑張っています。
そのモチベーションと付随する取り組みが、大きな差となっているのも確認できています。
時間の経過とともに、どんどん隔たりが大きくなっていると感じます。
将来にも、大きな違いを生み出すでしょう。
スポーツ(競技)を「目的」にするか、「手段」にするのか、各自の考え方次第で、大きな差になるなぁと最近感じているので、あえて書き出してみました。