5月13日(水)は台風の影響もなく、天気の心配は不要でした。
イーテウォン駅まで歩いて地下鉄に乗りました。下りた駅はヤンウォン養源駅です。
目指すのは忘憂里墓地公園です。
去年の9月に行った山梨県北杜市の浅川伯教・巧兄弟資料館で、浅川巧さんの墓へ行くにはサンボン上鳳駅またはマンウ忘憂駅からタクシーに乗って行くことと展示物に載っていたのを見たときに、お墓にもっと近いヤンウォン駅から歩いて行けば行けそうだと思っていたのでした。
しかし、詳しい地図を用意せずに行ったので、見当で駅前の道を歩いて行きました。
つきあたりを道なりに右に行くと大通りに出ました。横断歩道を探して渡って坂を上っていきました。
山の方にいく道はありましたが墓地公園の案内が見つかりません。
警察の派出所がありましたが、やっぱり墓地公園の案内板が見つからず、今度は坂を下りました。
しかし、やっぱり案内板は見つかりません。しかたなく道行く人に聞きましたが、その人もよくわからず、ただやっぱり坂を上った方がいいことがわかりました。やっぱり、くわしい地図を日本でプリントしていけばよかったと後悔しました。
結局、さっき通り過ぎた入口を入ればいいと掃除しているおばさんに教えてもらいました。
階段を上っていくとようやく入口が見つかりました。
ここから先はネットで見つけた案内に載っていました。
事務所の脇の自販機で用心のためペットボトルの水を買いました。
矢印の反対側を進みます。
お墓の並ぶ山の中の道を歩いて行きます。
最初の目印の人形が出てきました。
電光表示板がこわれています。
そして目印の三角表示板が見えてきました。
表はこんな表示でした。
付近は墓地の工事中で石が転がっていました。そして石垣の上に白磁の壺形の墓碑の先端が見えました。
階段を上ります。
浅川巧さんのお墓がありました。
「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」
この墓碑だけが浅川巧さんの亡くなったころから存在する古いものらしく、なぜか、ぴかぴか輝いて見えました。
「また、きますね」って言いたかったけれど、やめておきました。
すぐ近くに湧水があり、ペットボトルの水は買わなくても大丈夫でした。水はちょろちょろとしか出ていませんでしたが、おいしいお水でした。
入口にあった地図です。下の赤マルのそばがヨンウォン駅で、真ん中の赤マルが墓地入口(現在地)です。
この坂道を下ります。
大通りにバス停があり、乗ろうかなとも思いましたが、もう一度ヤンウォン駅に戻りました。
※行程の写真は帰り道に撮ったものをわかりやすいように並べ替えてあるものもあります。