20話を過ぎても、まだ中宗とチョ・グァンジョは出会っていません。
だいじょうぶでしょうか。
時代としては「女人天下」と重なっているんですが、「女人天下」の内容はだいぶ忘れてきています。
20話を過ぎても、まだ中宗とチョ・グァンジョは出会っていません。
だいじょうぶでしょうか。
時代としては「女人天下」と重なっているんですが、「女人天下」の内容はだいぶ忘れてきています。
バンウォンは父のイ・ソンゲに対しては、何もしないけれど、腹違いの弟達は殺してしまう。
「父殺し」の代わりにバンウォンは父の身代わりに、父の忠臣のチョン・ドジョンを殺します。
それが、バンウォンの父への復讐なのでしょうね。
でも、この事件が朝鮮王朝にもたらしたものは、暗い血なまぐさい歴史なんでしょうね。
時を待つ。
敵の失策を逃さない。
一気に攻める。
情けをかけない。
ついに第一王子の乱となりました。
この後、バンウォンが王となるまでまだまだ波乱がありそうです。
どうなるんでしょ。
BS日テレ夜9時なので、録画を待てず、直接見ています。
それくらい、おもしろいです。
母とジョンインが家出をして、ヒョンスはだんだんジョンインが気になってきました。
ヒョンスの母役のソン・オクスクさんってなんでも演じちゃうんですねー。
こんな、おばさんが冬ソナのチュンサンのクールなお母さんだったなんて…信じられないです。
ヒョンスのお父さんも「雪の女王」のボラのお父さんとか、だいたいクールな役しか見ていませんでした。
コメディドラマっていいですねー。
雑居時代って、放送当時のカレンダーに沿ってドラマが作られているので、14話は大みそかと元日のお話でした。
で、私は子どものころから、1年のうち、大みそかが一番好きで、その大みそかがドラマに出てくると、とってもうれしいのです。
みんなが、貧乏で、お腹をすかしているのが、あたりまえみたいな、この時代が、本当に今の韓国ドラマと重なるんですよねー。
BS日テレ「王と妃」の後番組で、始まりました。
目新しいのは、「ソドンヨ」以来の百済が舞台の歴史ドラマということですかね。
主役のカム・ウソンがかっこいいです。
ピリュ王(ユン・スンウォン)と第一王子(イ・ジョンス)が、「ヨンゲソムン」のときのキム・ユシンの大人役・青年役つながりでした。
王妃は「龍の涙」ですっかりお馴染になったチェ・ミョンギルさん、また、陰謀をめぐらしそうです。
タイトルの王の名前が覚えづらいのが、ちょっとつらい。
当時の百済の首都が今のソウル付近ということは、百済=韓国、高句麗=北朝鮮という見立てなのかなー。
あいかわらずの疾走感。
戦闘シーンがうつくしいです。
でも、8話まで見たのに、ストーリーはほとんど展開していないのが、またすごい。
1話1話がすぐに終わってしまうように、感じるのもすごいです。
いままでのドラマだったら、主役はオ・ジホの演じるソン・テハで、チャン・ヒョクのイ・デギルはただの悪役、わき役にしかならなかったはずなのに、そこを逆転させたことが、ドラマの幅を拡げています。
テギルとテハを結ぶ存在としてイ・ダヘのオンニョンがいるわけで、この三人の関係をどう設定するかで、このドラマの骨格ができたんでしょうね。
「不滅の李舜臣」を見ていて、景福宮を焼いたのは日本軍ではなく、朝鮮の人たちだとはっきり描かれていました。
なーんだ、なんでもかんでも、豊臣秀吉のせいじゃなかったんじゃないのーと思ってしまいました。
間接的に、豊臣秀吉が悪いんでしょうけれど、直接の責任はないって、知りませんでした。
ホームドラマチャンネルで放送が始まりました。
CSって、見逃しても、すぐ再放送してくれるところがいいですねー。
13日の夜9時、出だし見逃してしまったのですが、深夜に再放送したのを録画しました。
このドラマは途中回から見たので、初回がどう始まるのか、とても興味がありました。
ソグンゲって、母親思いのいい人だったんだなー。
ドヤンと初回から絡んでいたんですねー。
初回ではソグンゲとソンナンが同じ画面にいても、まったく関係性がないのが、おもしろかったです。
韓国ドラマって、さらっと白丁とか、6本指の登場人物とか出しちゃうところがすごいですねー。
日本じゃあり得ないでしょう。
韓国はおもしろドラマのためなら、何でもありなんでしょうね。
あと、日本人のワタナベさんスズキさんってこういうふうに、ソグンゲと絡んでいたのかーと納得。
やっと、複雑な人間関係をそれぞれの登場人物が知るようになってきました。
ベコはソンジェがジヨンの元彼だと知り、ミエはペコの義妹がスアだと知ります。
ベコは、まだソンジェがダンプンの兄だと知らないので、そこでまた一騒動あるんでしょうね。
今のところ、このドラマが一番の楽しみになっています。
うちに帰るとまずこのドラマを見ます。
燕山君の破綻。
お決まりの「中宗反正」。
なんてドラマチックなんでしょう。
燕山君は自分で、自分の呪いを解くことができず、クーデターによって、やっと自由になれたんでしょうね。
「王と私」がどうやって「王と妃」を変容させ、さらにドラマチックにしたのか、よくわかりました。
最終話でチェ・ガンヒが燕山君に付き添う側室役で出てきたのが、一筋の光みたいな、救いを感じました。
GYAOで「王道」が始まりました。
これが、また「イ・サン」と重なっていて、違いが楽しめそうです。
正祖役を頼りない感じのカン・ソグ氏が演じているのが、意外でした。