授乳室というのはなんと残酷な場所なのだろう・・・当時の私の率直な感想。
初めて授乳室を訪ねた。
たくさん椅子がならぶその部屋のどこに座ろうかと迷っていると、
部屋の隅、一番端っこに私の席を用意するという。
点滴をつけたままの息子が運ばれてきてその理由がわかった。
手足に管がつながっている。
授乳中、その機器類を置いておくためのスペースが必要だったからだ。
その頃黄疸も出ていて光線治療も行っていたので、授乳時間には限りがある。
終わりを告げるアラームまで設置して、いよいよ授乳の開始。
助産師さんが私に息子を託したとたん、息子激泣き。
制限時間内いっぱい、おっぱいを拒絶。
助産師さんに息子を託したとたん泣きやみ保育器に帰っていく。
情けないやら、悔しいやら。
息子は命をつなぐことを最優先に既に糖水を口にし、ミルクを飲んでいた。
人工乳首にすっかり慣れ親しんでいた息子は母乳を拒絶しただけだったであろうが、
私自身を全否定されているような気持ちになり、自信喪失。
母となった喜びをあらわに授乳する女性の神々しい光の中で、
自身の影を余計色濃く感じ、授乳室でよく泣いた。
息子の退院日が定まらず、私もひつこく病院に居座った。
産院不足のうえに夏の出産ラッシュで、新生児室はいっぱいだった。
助産師さんもオーバーワークだったのだろう
2時間おきに授乳室に現れては、授乳に至らず終わる私に、
「そんな母乳にこだわらなくていいんじゃないですか?」・・・
アラームがなっても多忙な助産師さんが来てくれない。
早く息子を保育器に戻さないと悪化してしまう。焦るが、点滴があって動けない。
「すみません、すみませ~ん」呼び続けるしかない私に代わって、
見かねた方が助産師さんを呼びにいってくれたこともある。
自身の情けなさに何度もあきらめようかと思ったが、
息子に会える唯一の場所と足しげく授乳室に通い続けた。
長引く入院中、幾人もの母子像があった。
親が出産後、寝たきり点滴生活を強いられているパターンもあれば、
赤ちゃんの容態が悪化し、深夜NICUのある病院へ搬送された跡も・・・。
見渡すと、授乳がうまくいっていないのは私だけではなかった。
親に、子供に、様々な理由で。
授乳は誰もが簡単にできるものではなかったのか・・・
「母乳でなければ」とこだわるものでなければ、
「母乳だから」と安心材料にも不安材料にもならないと。
主人は100%ミルク育ち。何か不があるのか? 非があるか?
身近に生き証人がいるではないか。
ついに息子の待ちに待った退院日。
喜び勇んで行った会計窓口で目をむいた。
授乳時間を終えた後は搾乳と早朝深夜を問わず日中のほとんどを授乳室で過ごし、
ゆっくり部屋で休んだともいえない私の入院総額は一時金の2倍を超えていた!
高っ・・・授乳室といえば思い出す 涙とあの冷や汗。
初めて授乳室を訪ねた。
たくさん椅子がならぶその部屋のどこに座ろうかと迷っていると、
部屋の隅、一番端っこに私の席を用意するという。
点滴をつけたままの息子が運ばれてきてその理由がわかった。
手足に管がつながっている。
授乳中、その機器類を置いておくためのスペースが必要だったからだ。
その頃黄疸も出ていて光線治療も行っていたので、授乳時間には限りがある。
終わりを告げるアラームまで設置して、いよいよ授乳の開始。
助産師さんが私に息子を託したとたん、息子激泣き。
制限時間内いっぱい、おっぱいを拒絶。
助産師さんに息子を託したとたん泣きやみ保育器に帰っていく。
情けないやら、悔しいやら。
息子は命をつなぐことを最優先に既に糖水を口にし、ミルクを飲んでいた。
人工乳首にすっかり慣れ親しんでいた息子は母乳を拒絶しただけだったであろうが、
私自身を全否定されているような気持ちになり、自信喪失。
母となった喜びをあらわに授乳する女性の神々しい光の中で、
自身の影を余計色濃く感じ、授乳室でよく泣いた。
息子の退院日が定まらず、私もひつこく病院に居座った。
産院不足のうえに夏の出産ラッシュで、新生児室はいっぱいだった。
助産師さんもオーバーワークだったのだろう
2時間おきに授乳室に現れては、授乳に至らず終わる私に、
「そんな母乳にこだわらなくていいんじゃないですか?」・・・
アラームがなっても多忙な助産師さんが来てくれない。
早く息子を保育器に戻さないと悪化してしまう。焦るが、点滴があって動けない。
「すみません、すみませ~ん」呼び続けるしかない私に代わって、
見かねた方が助産師さんを呼びにいってくれたこともある。
自身の情けなさに何度もあきらめようかと思ったが、
息子に会える唯一の場所と足しげく授乳室に通い続けた。
長引く入院中、幾人もの母子像があった。
親が出産後、寝たきり点滴生活を強いられているパターンもあれば、
赤ちゃんの容態が悪化し、深夜NICUのある病院へ搬送された跡も・・・。
見渡すと、授乳がうまくいっていないのは私だけではなかった。
親に、子供に、様々な理由で。
授乳は誰もが簡単にできるものではなかったのか・・・
「母乳でなければ」とこだわるものでなければ、
「母乳だから」と安心材料にも不安材料にもならないと。
主人は100%ミルク育ち。何か不があるのか? 非があるか?
身近に生き証人がいるではないか。
ついに息子の待ちに待った退院日。
喜び勇んで行った会計窓口で目をむいた。
授乳時間を終えた後は搾乳と早朝深夜を問わず日中のほとんどを授乳室で過ごし、
ゆっくり部屋で休んだともいえない私の入院総額は一時金の2倍を超えていた!
高っ・・・授乳室といえば思い出す 涙とあの冷や汗。