予定が狂い、急に「どこに行きたいのか?」と尋ねられ、
考えた挙句、「広隆寺」 と答える。
奈良の中宮寺で 初めて見た国宝 菩薩半跏思推像 の美しさ・・・
結婚し、子どもが産まれ、お寺を訪ねる ということもなかったが、
問われて、心から思い浮かんだ言葉が 広隆寺の木造弥勒菩薩半跏思推像。
弥勒菩薩を前に
この微笑みにどうしてこんなに癒されるのだろう という思い(問い)。
篠田桃江さん著の 「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」 にて
その翌日、答えが見つかる。
天地にわれ一人いて立つごとき この寂しさを君は微笑む (会津八一)
私は一人で天と地の間に立っている。この寂しさを観音様は微笑む・・・
そうか、私は 救いを求め、受け止めていただいたことに 救われたのだと。
自分の心が欲するものは、決して偶然ではなく、
その時に必要なものであったからこそなのであろう。
桃田桃江さんの死生観と出会えたのも ありがたき偶然の出会い。(以下、抜粋)
人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えてもわかることではありません。
現に、私になにか考えがあって生まれたわけではありませんし、
私の好みでこの世に出てきたわけでもありません。
自然のはからいによるもので、人の知能の外、人の領域ではないと思うからです。
(略)
人の領域でないことに、思いをめぐらせても真理に近づくことはできません。
それなら私は一切を考えず、
毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。
(この前後が気になる方は、幻冬舎の書籍をご拝読ください)