モモに話を聞いてもらっていると、
ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。
略
しゃべっているうちに、ふしぎなことに
じぶんがまちがっていることがわかってくるのです。
いや、おれはおれなんだ、
世界じゅうの人間のなかで、
おれという人間はひとりしかいない、
だからおれはおれなりに、
この世のなかでたいせつな者なんだ。
(ミヒャエル・エンデ著「モモ」より抜粋)
息子の話を 傾聴できていたら・・・
その日、息子から伝えられた話は、
先生から言われた「論外」発言について。
息子と一緒になって
「それは、めっちゃ腹が立つね。
そんなん言ったら あかんなぁ」
これが、息子の望む答えだったのだが・・・
先生のことを悪くいうことができず、
「そこは怒らず、奮発。
頑張って 見返してやればいいのでは?」
息子の話を肯定することなく、
提案したところ、
息子から 話しても無駄 の烙印。
こちらから意見を言わず、
自分の中から答えを見つけていただく。
これが 思った以上に 難しい。
話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
でもそれはまちがいです。
ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。
(「モモ」より抜粋)
傾聴、これは・・・修行がいるね。(明日につづく)