映画「ロレンツォのオイル/命の詩」を観た。
副腎白質ジストロフィー(ALD)という不治の病に冒された息子を救うため、
奮闘するオドーネ夫妻の実話に基づく物語。
ALDは男の子にしか発生せず(女性は極めて稀)、原因は母親からの遺伝で、
小児発症の場合は・・・
母親にとって残酷すぎる難病を知ったショックで、しばらく立ち直れなかった。
母親からの遺伝という恐怖にネットで「副腎白質ジストロフィー」を調べ、
光を見出したくてロレンツォ君の「その後」を検索、
今は? 今は、治るの?とこの難病の「現在」も探さずにはいられなかった。
旧作のDVD。本来なら一週間見放題なのだが、その壮絶さに繰り返し観ることができなかった。
鑑賞は一回だが、しばらく経った今でも鮮明に思い出すことができる。
医師から死を宣告された直後、両親は絶望の中、息子の元へ向かうのだが、
息子に悟られまいと廊下を一歩一歩、歩くごとに涙をぬぐい、背筋を伸ばし、
何事もなかったように笑顔で抱き上げる強さ。
図書館でALDを調べれば調べるほどに確信する死とあらがいようなく辿る残酷な過程に
胸をかきむしるしかない父の悲しみ。
昼夜を問わない過酷な看護の中、母・ミケーラは周りの人間の助けを排していく。
待ち望んで、やっと生まれたたった一人の息子が自分の遺伝子によって発症するなんて・・・
この残酷な事実が母・ミケーラの徹底的な献身の陰に絶えずあったのではないかと思われる。
けいれんの発作に苦しむ息子に「あなたがもういいと思ったら、パパとママのことはいいから、逝ってもいいのよ」と語る母。
植物人間と化したロレンツォの看護のため、母はコモロ共和国に住んでいた時の息子の友達・
オモウリ青年をアメリカに呼ぶことを決意。私はこの人選にも母を感じる。
息子にとって何が一番大切か? 真の看護としての誠意をオモオリ青年に感じるからだ。
それにしても医学的知識の全くないところから自分たちで治療法を探すなんて
果たして私にできるだろうか・・・
親の思いと医師としての責務。そのはがゆさに夫婦でALDに効く新薬を発見する道のりは、
ただただすごい。
「親」を感じる一品であった・・・が、しばらく観る勇気はない。
親としてなかなか再生できない一品である。(私は)
実は9月にみました。
鑑賞後、しばらくこのブログを更新できない状況にも陥ったほどです。
実話とのことで色々調べていたら、
鑑賞後の感想で「母の看護が異常だ」とか「オモオリ青年をアメリカにまで呼ぶなんて尋常ではない」などの感想を記している方がいたのですが、
私はそこに親の愛情のみならず、母である自分の遺伝子が要因であったことが大いにあるのではないかと思えて、感想文を綴ることにしました。
我が子ではなく、他の子にであったなら・・・
の問いに慟哭し、うなづく母親。
おっしゃるとおり、親としては本当につらい作品であり、
見た後のなんともいえない気持ち、を私も辿りました。
ふっとした時に映像がふっと出てくるかもしれないほど、強烈な印象です。
親としては本当につらい作品であり、見た後のなんともいえない気持ちを覚えています。