和歌山県内で今月初めだったか放送された『なんでも鑑定団』で、勝海舟の額装が
紹介されていました。そのとき、私の知っている某所に勝海舟の同じような額装が
あった・・・ということを思い出し、撮影してきました。
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自慢じゃないけど何を書いているのかわかりません。判りませんが、テレビで
紹介されていた額装よりはきれいです。というのも、表装をし直した、と持ち主が
言っていました。番組で紹介された文字は四文字か三文字、こっちは五文字ですか
ら、字数なら負けてはいません。あちらは本物だったようで30万円という評価だ
ったと思います。たしか本物だけど、表装が汚い・・・のでという30万円。なら
こちらは表装はいい方だ・・・(もう完全に取らぬ狸の皮算用……状態です)。
写真は一応、加工しました。真贋はわかりませんが。古美術などは、その作者の
サインや落款で本物、制作年代がわかるそうなので一応海舟さんの落款?も撮影。

インターネットで勝海舟さんの額装を検索しましたが、あまり見つかりませんで
したし、『なんでも鑑定団』のページでも勝海舟さんの額装自体出てきません。
私は夢をみたのかなぁ・・・マボロシ?
勝海舟って、咸臨丸でアメリカへ行ったんだよね、なになに艦長だけど船酔いがひ
どかったらしい、福沢諭吉やジョン万次郎も乗船してたって・・、通訳かな。いい
な、二ヶ国語を操れる人は。昨年は勝海舟さんも大河ドラマ『篤姫』で登場してい
ました。篤姫のよき相談相手かなと思っていましたが(詳しくは観ていないので。
野球シーズンはそっち優先なので)、民放の番組では、なにやら篤姫が海舟さんに
惚れていたような説を放送していたので、どっちなんじゃい!と・・。北大路欣也
が海舟を演じていましたが、どうも携帯電話のCMの犬のお父さんを想像してしまっ
て。話はそれましたが、『篤姫』の義理の息子・十四代将軍徳川家茂が串本へ上陸
して、無量寺に一泊した・・という事実があるんだって(ひょえ~。家茂ってのは
故・松田優作の二男松田翔太が演じていたよね。)。家茂は、紀州徳川家の生まれ
で、十三代将軍家定と篤姫の間に子どもがなかったので紀州家から迎えられ十三歳
で将軍になりました。家茂は朝廷が勢いを盛り返してきたので、朝廷側との交渉の
ため、通算三回上洛したそうな。二回目の上洛に幕府の軍艦を利用したので、その
際串本に寄港して、大島に上陸、蓮生寺で休息して、庄屋の船で串本に渡り、その
晩は無量寺に一泊した・・という記述が『大島浦庄屋の古文書』にあるそうです。
さて、実はその前年幕府軍艦奉行「勝麟太郎」が串本の神田家へ投宿していて
その際に近くの無量寺へ寄ったと推測されることから、家茂が無量寺へ泊まったの
は、勝の勧めがあったからではないか・・と考えられるんだって。串本小学校へ行
く道を「公方通り」と呼んだのは、将軍が通ったから。時は元治元年一月五日。
将軍が来た時の詳細な費用の明細書が古文書として串本町役場古座分庁舎に保管さ
れているそうです。家茂さんはこのあと、第二次長州征伐の時に、大阪城で病死し
てしまいます。その時、二十一歳「幕末激動のまっただなか将軍に担ぎ出され、
在位僅か八年、苦衷の内に世を去った悲劇の人だった」と串本町史に書かれている
そうです。・・・・ここまでは町内の田並地区の『広報たなみ第四十六号』の
「将軍家茂の串本上陸」という項を引用しました。家茂さんは朝廷側から皇女和宮
さんを正室に迎えられたのよね、武家に降嫁した公武合体の政略結婚だったけど
ドラマの中ではなかなか堀北真希がかわいそうな境遇を演じていましたね。で、
勝麟太郎、号が海舟なんだ。海舟さんが串本に泊まられたときに神田さんの家に
記念として一筆(一筆というのでしょうか)書いてもらったものが、この額装だと
か・・真偽はわかりませんよ、それを家を建てた時に頂いたとか・・この額装の持
ち主が説明してくれました。海舟が没後の話なんでしょうけど、新築祝いに頂くに
しても、もう海舟は有名人だったからそんな大事なものを贈るかなぁ・・・。この
話のどこまでが本当なのかはわからない。ゆうべも『なんでも鑑定団』では、持ち
主が知らなかった長谷川利行という画家の一枚きりの、今まで専門家も見たことの
なかった絵が 1800万円という鑑定評価でした。「こんなもの持っていると
おちおち留守できへんやん。」という 個人的にサモシイ会話をしたのでありまし
た。
串本に家茂さんのみならず勝海舟が来たこと、まさか「公方通り」なんて呼ばれ
る通りがあったなんて知りませんでした。
紹介されていました。そのとき、私の知っている某所に勝海舟の同じような額装が
あった・・・ということを思い出し、撮影してきました。
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自慢じゃないけど何を書いているのかわかりません。判りませんが、テレビで
紹介されていた額装よりはきれいです。というのも、表装をし直した、と持ち主が
言っていました。番組で紹介された文字は四文字か三文字、こっちは五文字ですか
ら、字数なら負けてはいません。あちらは本物だったようで30万円という評価だ
ったと思います。たしか本物だけど、表装が汚い・・・のでという30万円。なら
こちらは表装はいい方だ・・・(もう完全に取らぬ狸の皮算用……状態です)。
写真は一応、加工しました。真贋はわかりませんが。古美術などは、その作者の
サインや落款で本物、制作年代がわかるそうなので一応海舟さんの落款?も撮影。
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インターネットで勝海舟さんの額装を検索しましたが、あまり見つかりませんで
したし、『なんでも鑑定団』のページでも勝海舟さんの額装自体出てきません。
私は夢をみたのかなぁ・・・マボロシ?
勝海舟って、咸臨丸でアメリカへ行ったんだよね、なになに艦長だけど船酔いがひ
どかったらしい、福沢諭吉やジョン万次郎も乗船してたって・・、通訳かな。いい
な、二ヶ国語を操れる人は。昨年は勝海舟さんも大河ドラマ『篤姫』で登場してい
ました。篤姫のよき相談相手かなと思っていましたが(詳しくは観ていないので。
野球シーズンはそっち優先なので)、民放の番組では、なにやら篤姫が海舟さんに
惚れていたような説を放送していたので、どっちなんじゃい!と・・。北大路欣也
が海舟を演じていましたが、どうも携帯電話のCMの犬のお父さんを想像してしまっ
て。話はそれましたが、『篤姫』の義理の息子・十四代将軍徳川家茂が串本へ上陸
して、無量寺に一泊した・・という事実があるんだって(ひょえ~。家茂ってのは
故・松田優作の二男松田翔太が演じていたよね。)。家茂は、紀州徳川家の生まれ
で、十三代将軍家定と篤姫の間に子どもがなかったので紀州家から迎えられ十三歳
で将軍になりました。家茂は朝廷が勢いを盛り返してきたので、朝廷側との交渉の
ため、通算三回上洛したそうな。二回目の上洛に幕府の軍艦を利用したので、その
際串本に寄港して、大島に上陸、蓮生寺で休息して、庄屋の船で串本に渡り、その
晩は無量寺に一泊した・・という記述が『大島浦庄屋の古文書』にあるそうです。
さて、実はその前年幕府軍艦奉行「勝麟太郎」が串本の神田家へ投宿していて
その際に近くの無量寺へ寄ったと推測されることから、家茂が無量寺へ泊まったの
は、勝の勧めがあったからではないか・・と考えられるんだって。串本小学校へ行
く道を「公方通り」と呼んだのは、将軍が通ったから。時は元治元年一月五日。
将軍が来た時の詳細な費用の明細書が古文書として串本町役場古座分庁舎に保管さ
れているそうです。家茂さんはこのあと、第二次長州征伐の時に、大阪城で病死し
てしまいます。その時、二十一歳「幕末激動のまっただなか将軍に担ぎ出され、
在位僅か八年、苦衷の内に世を去った悲劇の人だった」と串本町史に書かれている
そうです。・・・・ここまでは町内の田並地区の『広報たなみ第四十六号』の
「将軍家茂の串本上陸」という項を引用しました。家茂さんは朝廷側から皇女和宮
さんを正室に迎えられたのよね、武家に降嫁した公武合体の政略結婚だったけど
ドラマの中ではなかなか堀北真希がかわいそうな境遇を演じていましたね。で、
勝麟太郎、号が海舟なんだ。海舟さんが串本に泊まられたときに神田さんの家に
記念として一筆(一筆というのでしょうか)書いてもらったものが、この額装だと
か・・真偽はわかりませんよ、それを家を建てた時に頂いたとか・・この額装の持
ち主が説明してくれました。海舟が没後の話なんでしょうけど、新築祝いに頂くに
しても、もう海舟は有名人だったからそんな大事なものを贈るかなぁ・・・。この
話のどこまでが本当なのかはわからない。ゆうべも『なんでも鑑定団』では、持ち
主が知らなかった長谷川利行という画家の一枚きりの、今まで専門家も見たことの
なかった絵が 1800万円という鑑定評価でした。「こんなもの持っていると
おちおち留守できへんやん。」という 個人的にサモシイ会話をしたのでありまし
た。
串本に家茂さんのみならず勝海舟が来たこと、まさか「公方通り」なんて呼ばれ
る通りがあったなんて知りませんでした。