
写真の通り、6月6日は『梅の日』だそうだ。すっかり忘れていた・・というか、
わざわざそれを教えてくれる報道もなかったし、6日にAコープくしもとに行って
レジで初めて「きょうは『梅の日』なので、これをお渡ししています」と南高梅を
手渡されて「そうなんだ」と気がつきました。いや、惣菜コーナーのAコープの
手作りお弁当の蓋の上に同じ南高梅の包みが一つテープで貼られているのを見て
「試供品の梅干かぁ?」と思ったくらいでした。過去にも一行書いていました。
あれ?いつものようにリンクを貼ろうとしてもできないやん。きのうの画像フォル
ダの変更から、これもおかしいのかな(あ、一度電源切って再度トライしたらでき
ました)

リンク貼りはあとにして、このチラシは梅干をもらったあとでカウンターに置かれ
ていたのをもらってきました。
6月6日「梅の日」はお中元の日って知っていました?
写真の文字が小さいのでかいつまんでみますと。。。。
古来よりお中元のさきがけは6月6日の「梅の日」からと言われています。
460余年(1545年)前の6月6日、時の天皇が京都「葵祭」で有名な賀茂神
社に詣で、梅を奉納して祈ったところ、たちまち雷鳴とともに雨が降りはじめ、五
穀豊穣をもたらしました。人々はその天恵の雨を「梅雨」と呼び、梅に感謝すると
共に、災いや疫病を除き、福を招く梅を「梅法師」と呼んで贈り物にするようにな
ったと言われています。≪宮中日記「御湯殿 上の日記≫
このように薬膳としても貴重な梅は、宮中での天皇や上司に贈り物として地元の
賀茂なすと共に、献上されお中元の品として重宝されたと言われています。
やがて江戸時代に入り庶民にも梅干が親しまれて今日を迎えています。
その故事にちなみ、日本一の梅の産地・紀州梅の会では、6月6日を「梅の日」
と制定し、毎年宮中とご縁のある賀茂神社に、そして世界遺産の地、熊野本宮大社
をはじめ地元須賀神社に人々の無病息災と平穏を祈願して梅を献上し、さらには
10月10日、豊穣を岩って梅干を奉納しております。日本人のおもてなしの原点
ともいえるお中元は梅からはじまります。 紀州梅の会 ということだ
当時の天皇ってだれ?後奈良天皇の御時だな・・・そうか、この時代は
皇室が衰微っていうから、賀茂神社に神頼み・・でもないか、皇室の安寧、国の安
泰なんかの祈願にいらしたんだろうな。そのお供物が梅かぁ・・まさか生梅じゃな
いやろうなぁ・・・。
梅干の由来平安時代には梅干になっていたんだ・・・
この日のお月様は梅の実ののようなまん丸なお月様でした。
