昔から学校では、「最後までやり抜くこと」「あきらめないこと」が大切だと教わってきたけれど、大人になって気づくのは「いかに上手くあきらめるか」も大切だということ。
合わないと思ったら手を引く、向いてないと思ったら方向転換、こういう「器用な撤退」ができる人はストレスが少ない。
そうなのだ。
撤退が一番難しい。
間違えると大怪我をするのだ。
方向転換は大切。
逃げるのも大切。
この考え方を娘たちにも伝えておかなければどう今は思う。
そんなこと。
ふと考えた。
素敵な詩をみつけた。
自分に言い聞かせるためにも、引用して
書いておこうと思う。
素晴らしい考えかた。
当たり前のようで気づけない真理。
そんな気がする。
一瞬でも幸せになりたいなら
好きなものを食べなさい
1時間幸せになりたいなら
仲のいい人と話しなさい
1日幸せになりたいなら
大好きな人と出かけなさい
毎日幸せになりたいなら
今が幸せであることに気づきなさい
yumekanau2-より引用
至言
WEBで至言を見つけた。
私なりに至言。
なんというか。
自分に言い聞かせようと思う
2つ目なんて、ものすごくストンと腑に落ちた。
ああ、そうだったんだなって。
うん。
至言だわ。
備忘録しておきます。
「自分がされて嬉しいことを人にする」、「自分がされて嫌なことは人にしない」という教育は、間違ってはないと思うけど、「自分がされて嬉しいことでも、喜ばない人もいる」、「自分がされて嫌じゃないことでも、嫌がる人もいる」も、同時に教えていくべきだと思う。
大人の「好き」は多くの場合「この人を大切にしてあげたい」だが、子どもの「好き」は「この人に自分の機嫌をとってほしい」である。しかし、大人になっても子どもの心ままに「好き」を使う人がいるので、横から見ると「どうして好きと言いながら、こんな酷いことをするのだろう」という事例が出る。
石田ゆり子さんの名言。
なるほどなと思った。
今日も妻と喧嘩して今をなくした。
理由は明日明後日の過ごし方。
他にも、四月からのお姉ちゃんの部屋や生活について。
喧嘩の中で、過去の話が妻から飛び交う。
ああ。
いけないな。
今を生きなければね。
そう思うけれど、周りがそれを許さないときもある。
そうなんだけれど。
そういう意識だけは持っていたいなと、つくづく感じました。
はい。
私の母が、さりげなくお姉ちゃんにプレゼントしてくれた本。
母が助産師時代に、様々な辛いことをシスターに相談していた時の本。
それをわが娘に。
ありがたい。本当にありがたい。
一つ一つの言葉が心に響く。
こんな気持ちで毎日を過ごせたらと心から思う。
書いたのは、インド出身の神父さん
心に刺さるけど、自分を見直すきっかけにもなります。
一言一言、短く取り上げているし、薄い本なので読みやすい。
バレンタイン・デ・スーザ神父は、インド出身のイエズス会の司祭さまだそう。
当たり前のように思いがちですが、真剣に向き合うとどれも大切な生き方のヒントです。
年末に、心静かにもう一度、思い出してみたい。
<特に覚えているフレーズ>
優しさで培われた心は成熟し、批判で培われた心は未熟にとどまります。
幸せを運ぶ人になりましょう。ひとをくつろがせる寛容な人、優しい人、一度会えば、また会いたくなる、そんな人になりましょう。そのような人の周囲には、いつも人が集まります。人を幸せにすれば自分も幸せで、いつも生き生きとしていられます。
嫌われている人に出会ったら、その人に味方になってあげてください。あなたはきっと主の祝福をうけるでしょう。
一日に始まりに祈りがあるように、毎日仕事に就くまえに十五分、一人の静かな時間を持つこと。心を静めなければ何も始まりません。これを習慣にしてください。日々新たな出発に主の助けを求めましょう。
人とのかかわりの中で、相手の反応を気にしないでください。あなたの行動は相手によって左右されるものではなく、あなたから積極的に働きかけるものであってほしいからです。
人と話をするときには言葉に気を付けましょう。一度口から出た言葉は二度と取り返しがつかないからです。言葉で人を傷つけることは、肉体を傷つけるのと同じです。
以下、備忘録。(読みかえし用)
「愛と優しさについて」
人は人に対して壁を作らず、橋を作るように。橋は愛によって作られます。
苦手な相手は誰にでもあるものですが、そこにこそ愛を注いで付き合ってください。裏切られても愛をもって応えること。これこそ人のできる最も美しい行為といえるのではないでしょうか。
優しさは大きな力です。優しさより大きな力はありません。
私たちがこの世に遣わすことのできる最も貴いものは、優しさです。
人を憎むとは、その人の一部しか見ていないことです。
愛するとは、その人の全体を見ることです。
優しさで培われた心は成熟し、批判で培われた心は未熟にとどまります。
「祈りについて」
心の成長のために何をすればいいのでしょうか。
誰にでもできて、確かに効果のある方法、それは祈りです。
祈りの効果はすぐには現れません。
種を蒔いて花が咲くまでに時間がかかるように、祈りの効果が現れるまでには時を必要とします。
祈りに必要なのは言葉でも、時間でもありません。神に対する純粋な信頼心です。
一日の初めに祈りがあるように、毎日仕事に就く前に15分、ひとり静かな時間を持つこと。心を静めなければ何も始まりません。
キリストはたびたび弟子たちから離れ、ひとりで祈られました。
私たちも、ひとりになって祈ることが大切なのはいうまでもありません。
神の恵みへの賛美と感謝があれば、生き方そのものが祈りになり、神の恵みで満たされます。
「信仰について」
私たちが大きな困難に出会った時、主は私たちの最も近いところにいてくださるということを忘れてはなりません。
聖書は読むものではなく、味わうものです。神様から私たちへの愛の手紙なのですから。
お金というものは必要なだけあればよいもので、必要以上に持つと不安が生じ、争いを招きます。
お金に頼らず主に頼る人は、いつも心が穏やかです。
主に頼る人がお金を無くしても、銀杏の木が葉を落としたようなもので、また時が来れば葉を茂らせます。
弱者の味方、これこそキリストの心です。
同じ目で、ひとを見なければなりません。肩書きでひとを判断してはなりません。
いらいらして、人を傷つける時は、神様を忘れて自分がちっぽけになっているのです。
神様を身近に感じている人は、とても寛大になれます。
「悟りについて」
悟りを求めて歩かないようにしましょう。
悟りは、あなたの中にあります。
主よ、私があなたの先を歩むのでなく、
あなたの後を歩むのでもなく、
あなたと共に歩ませてください。
「日々の生活について」
神様がお創りになったものに、無駄なものは一つもありません。
心に余裕があれば、無駄なように見えるものでも役に立つことが分かるでしょう。
誰かを悪と決め付けることは、ひとにはできません。
「私は悪人の死を望むであろうか。むしろその者が悪い行いから離れて、生きることを望む」(エゼキエル18・23)
主は悪人の改心を、その死の瞬間まで待っていてくださるのです。
ひとを責めることは時間の無駄であり、自己の成長の妨げになります。
このような状態はまるで生き地獄であり、ひとに与えるものなど何もなくなってしまいます。
失敗したことについて、いつまでも悩まないようにしましょう。
プライドを持つことも大切です。よい意味での自尊心は必要です。
悩むことは、贅沢な遊びのように思えます。悩んでも解決は得られません。
時間を無駄にしているだけです。