今日も蒸し暑いです。へたってしまわないようにと注意しています。
午前6時に、神社に集まって草刈をやりました。宮薙(みやなぎ)と言います。およそ150人くらいが集まりました。
このごろは、刈り払い機を使う人が多いので、注意しなければなりません。本人は怪我しないようになっていますが、近くで仕事をしている人に大怪我をさせることが、ごくたまにあります。
役員の皆さんは、3m四方くらいの大きさの お御手洗 ( おみたらし ) という池の掃除をしていました。木の葉や枯れ枝が落ちて、かなりの汚れていました。
ところで、この おみたらし と言う言葉ですが、御手洗だけで 御 という文字がすでにあるのに、それをまた重ねて丁寧な お を付けて言うのですから、すごい言い方だなと思っています。
四五日前に軽トラの鍵を、どこかに失くしてしまって困りました。軽トラを車庫に入れて、そのあとたぶん家の中か物置か、そのあたりで鍵を置いてちょっとした作業をしたのだと思いますが、ちょっと置いたので、記憶していません。この頃、おなじような失態が多くなってきました。
いろいろと、次に、そしてその次には何をやるかと思いながら作業をすることが多いので、ちょこっと置いたことを記憶しないでしまうことになるみたいです。
すぐに、その作業が終わるようなときです。ところが、その作業の次にまた何かを思って別な作業を始まってしまうと、鍵がそのままになってしまうということになるのでしょう。
ブログとか、ミクシイ、フェイスブックなどのパソコンやスマートフォンを使って通信するものを SNS (ソーシャル・ネットワーキング・サービス) というのだそうです。
このごろは、そのSNSが飽きられてきたのか、若者から先に離れていく傾向にあるのだそうです。
いつまでも、同じことでは飽きてしまいますからね。そうやって、次々と流行するものが変わって行くのでしょうね。それは世の常、仕方の無いことです。
同時に、そうやって文化がどんどん発達してきたのだと思います。いつまでも、古い時代のことに囚われていては発展はしませんからね。
ニワセキショウ
以前も書いたかと思いますが、芭蕉はそういうことを真剣に考えたのでしょうね。彼の心の中には 不易流行(ふえきりゅうこう) と言う言葉が常にあったのかも知れません。
不易というのは変わらないもの。流行はその反対で変わっていくものです。変わらないものと変わるもの。その二つが世の中にあるということです。