「ヒロポン」は「違法」な「薬剤」と思っていました。
小さい頃に、「ヒロポン中毒」という言葉を聞いた記憶があります。
そのヒロポンが「新聞広告」に「堂々」と「載って」いたので驚きでした。先日、「阿部定事件」で、「朝日新聞100年の重要紙面」を捲っていた時に、眼に入りました。
この「百年の重要紙面」は「広告」が面白いです。ヒロポンは「大日本製薬」が製造販売元でした。知りませんでした。
【広告は、昭和18年12月2日の夕刊に載っていました】
2005年(平成17年)10月には住友製薬と合併し、社名を大日本住友製薬に変わっています。しかし、よくよく見ると社名の「大日本」は「時代」ですね。
大日本とか、帝國とか、帝都とか、何て「文字」が「頭に」付く、「社名」は今でもありますね。ある意味で「一貫」した「姿勢」の表明なんでしょう。
「アナクロニズム」に見えていたものが、いつの間にか「時代が逆転」して、「時代の先端」に「位置」しているなんて事になっている???・・・・・・・。
まァ! 兎に角です。当時「ヒロポン」は「疲労回復」の「覚醒剤」だったのです。しかし、いくら「時代が逆転」しても、「ヒロポン」が「疲労回復剤」として、「復権」することだけは無いでしょう。
当日の一面に載っていたのは「カイロ会談」です。
--Wikipediaから引用--
1943年11月、アメリカ合衆国大統領フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト、イギリス首相ウィンストン・チャーチル、中華民国主席の蒋介石によってカイロ会談が行われ、その内容を踏まえて11月27日に署名、12月1日に発表された声明が「カイロ宣言」と称される。カイロ宣言はその後、連合国の対日基本方針となった。主要な内容は以下の通りである。
1.米英中の対日戦争継続表明
2.日本の無条件降伏を目指す
3.日本への将来的な軍事行動を協定
4.満洲、台湾、澎湖諸島を中華民国に返還
5.奴隷状態に置かれている朝鮮の独立
6.第一次世界大戦後に日本が獲得した海外領土の剥奪
ここに示された日本の領土に関する取り決めは、1945年のポツダム宣言に受け継がれることになった。
--引用終わり--
敗戦まで「1年8ヶ月」です。
日本中が「疲労、倦怠、睡気、憂鬱」感に覆われていたのでしょう。「覚醒剤」を必要としていたのでしょうね。
やっと「更新」が追いつきました。・・・・・・・