暫くぶりで「東京」へ行ってきました。先日、「王子」の話しを書いていたら、「三河島・尾久・王子」辺りを歩きたくなったのです。
「三河島・尾久・王子」は、東京の「端っこ」です。何でも「端っこ」が「好き」です。「羊羹」は「端っこ」が美味しい!
三河島は「寂しい駅」なのです。私にとって「三河島」と聞くと、「三河島事故」が頭に浮かびます。当時、世の中が大騒ぎした事を覚えています。
※45年前の1962年(昭和37年)に発生。二重衝突・脱線事故:死者160人、負傷者296人。
「遠い過去」の「暗く」て「不気味」な「モノトーン」の世界です。
それで。この日は、10時過ぎ三河島に到着。
歩くに先だって「寒い季節」の「鉄則」である、「トイレを見つけたら兎に角用を足す」を実行しました。
ここの「トイレ」は「母屋」と「厠」に分かれた「分離方式」になっています。「トイレ」が「かなり臭う」時代の「面影」を残しています。
改札の手前を左に折れ「トイレ専用通路」を歩いた先にあります。現在、これだけ駅舎から、「トイレ」まで「距離を取る」のはホントに珍しい。
ホントに、ここのトイレは「懐かし昔」の「臭い」がするのです。書いていたら「臭い」が「鼻に甦って」きたりして・・・・・・。失礼しました!
これが「トイレ」。いや!「厠」です。ここだけ「駅の敷地」から「出っ張って」います。地方によくある「タイプ」です。
改札は、尾竹橋通りに面した「ガード下」に一カ所です。寂しく「うらぶれ感」漂う「風景」に、「懐かしさ」があります。
「外れ感」、「端っこ感」が漂う、淋しい通りの風景です。
「淋しい町」には、「大学いも」が似合います。若い人が「先端のファション」で歩いても、ここではすべて「昭和」に戻ります。
この先は「次回」に「つづき」ます。
「三河島・尾久・王子」は、東京の「端っこ」です。何でも「端っこ」が「好き」です。「羊羹」は「端っこ」が美味しい!
三河島は「寂しい駅」なのです。私にとって「三河島」と聞くと、「三河島事故」が頭に浮かびます。当時、世の中が大騒ぎした事を覚えています。
※45年前の1962年(昭和37年)に発生。二重衝突・脱線事故:死者160人、負傷者296人。
「遠い過去」の「暗く」て「不気味」な「モノトーン」の世界です。
それで。この日は、10時過ぎ三河島に到着。
歩くに先だって「寒い季節」の「鉄則」である、「トイレを見つけたら兎に角用を足す」を実行しました。
ここの「トイレ」は「母屋」と「厠」に分かれた「分離方式」になっています。「トイレ」が「かなり臭う」時代の「面影」を残しています。
改札の手前を左に折れ「トイレ専用通路」を歩いた先にあります。現在、これだけ駅舎から、「トイレ」まで「距離を取る」のはホントに珍しい。
ホントに、ここのトイレは「懐かし昔」の「臭い」がするのです。書いていたら「臭い」が「鼻に甦って」きたりして・・・・・・。失礼しました!
これが「トイレ」。いや!「厠」です。ここだけ「駅の敷地」から「出っ張って」います。地方によくある「タイプ」です。
改札は、尾竹橋通りに面した「ガード下」に一カ所です。寂しく「うらぶれ感」漂う「風景」に、「懐かしさ」があります。
「外れ感」、「端っこ感」が漂う、淋しい通りの風景です。
「淋しい町」には、「大学いも」が似合います。若い人が「先端のファション」で歩いても、ここではすべて「昭和」に戻ります。
この先は「次回」に「つづき」ます。