goo

頼富 本宏・著“空海と密教―「情報」と「癒し」の扉をひらく”を読んで

今回紹介したい本は頼富 本宏・著“空海と密教―「情報」と「癒し」の扉をひらく”である。書店の仏教セクションで見つけた本書、未だに空海についてすっきり理解できていないので、私の注意を惹いた。そして、著者の経歴を見てこれは間違いない方、とすぐに思った。そして買った。そういう本だった。 著者は空海を総括して次のように言う。“歴史上の人間空海の中に、聖俗の垂直構造と俗俗の水平構造をあわせ持っており、その有効な調和が空海の思想と行動の顕著な特徴であるのみならず、インドと中国という二種の性格の異なる密教を統合止揚した日本密教の体現であるといってよかろう。そして最後に歴史的空海をより哲学的、宗教的にレヴェル・アップさせたのが「弘法大師」という存在である。” だが、この本では歴史的文献や空海の著作物の名称の説明で終わっていて、その内容についての解説は無くさっぱり理解不能なのだ。まぁ結局この本だけでは、結局空海の人生は分かったが、密教は分かったようで良く分からない。これで表題にある“癒し”となったか?体よくはぐらかされているのではないか。残念・無念と言わざるを得ない。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

中石和良・著“サーキュラー・エコノミー―企業がやるべきSDGs実践の書”を読んで

ここで、“サーキュラー・エコノミー”の紹介本の紹介としたい。これまでRoHS指令やREACH規則で日本の電器メーカーが規制され、さらには車ではHVよりもEV車だなどとヨーロッパが動いて、日本メーカーを競争の土俵から外そうとしてきたが、今度は“サーキュラー・エコノミー”で製品規格を策定して日本製品に規制をかけようとしているという話が聞こえてきているので、それが一体どういう内容になるのか、気になり読んでみた次第だ。とにかく欧米の白人どもは実は日本を外しにかかってきているのだ。 サーキュラー・エコノミーにはどうやら業界毎の規格・協定の乱立が予想される気配は感じたが、それが統一的動きになってEU一円からグローバルなものになるかどうかは、これからのように感じた。オールラウンドな規定であるSDGsとの関連で業界ごとの規格を作るのには矛盾に遭遇しているようにも見受けられる。しかし今後の動向には要注意であろう。過度にまじめにならず、さりとて不真面目にもならず真摯に対応することが肝要のようだ。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

本郷和人・著“日本史を疑え”を読んで

今回は本郷和人氏の“日本史を疑え”を読んだので紹介したい。日本史の何を疑うのか?何故、“日本史”に限るのか、若干不思議を感じながら読み始めた。まぁ日本史に限るのは、一般人には馴染みが深いからだろう・・・その程度の興味であった。だが、結果的には「出版社内容情報」の宣伝文句には見事にはまったのだ。 「出版社内容情報」曰く、“日本史は何の役に立つのか?丸暗記を脱却し、「時代の変化はなぜ起きたのか?」を考えることで、歴史は何倍も面白くなる。人気の歴史学者が明快に語る「史料」の読み方、「史実」の確かめ方、そして「定説」「最新学説」の疑い方。自分の頭で歴史を考えたい人への絶好の水先案内。” . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

本郷和人・著“「失敗」の日本史”を読んで

今回は本郷和人・著“「失敗」の日本史”の読後感想としたい。誰が失敗したのか、それはどういう影響を後世に与えたのかなど、あまり詮索せず当事者の身になって考えるというよりも思って、見るのも面白いではないか。というのと、本郷先生は何を日本史上の失敗と見ているのかを見てみるのも面白い、てな訳で取り上げて読んでみた訳だ。 “はじめに”で、“戦後の歴史学は唯物史観の影響を受けていた。そのため「歴史にもしもはない」というのが常識であり、歴史学はそうしたことを考える必要はないのだ”、つまり“(時代ごとの)生産構造は人間一人の判断や努力では簡単に変えられないものであるから、生産構造を基礎とする上部の変遷は「もしも」では本質的には変化しない”という考え方が主流だったが、歴史の大枠ではそうでも“上部構造内部での置換”あるいは小さな変化はありうるのではないか、と著者は書いている。 当然のことだが日本史上様々な失敗があるのだが、歴史上重要で大きな失敗は、私は元寇と、豊臣政権の簒奪の芽を摘まなかったことではあるまいか、と思っている。だからここでは、この2点に限って取り上げたい。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

宮城谷昌光・著“長城のかげ”(文庫本)を読んで

このブログへの投稿ネタが無い!読後感想しかない!何を読むか?お気楽に小説でも?そうだ、久々に宮城谷昌光氏を取り上げようと、読んだのがこの本。短編集だったとは知らなかったが、劉邦という古代の雄大な人物の“影”の周辺の英雄譚だった。 その内の『逃げる』は、項羽の忠良なる将・季布の敗残から逃亡の果ての話。捕らえられた季布に劉邦は、最期に項羽は何と言っていたか尋ねた。季布はそれをいなして“江水がみたい、と仰せになりました。”と誤魔化した。ところが劉邦は“汝は旧主おもいよな。逃げるといったのであろう。”とズバリ言い当ててみせた。そして劉邦は続けて項羽を鮮やかに総括してみせている。劉邦の性格や人となり、全人格をここまで作家は読み切って、このような台詞を吐かせるのか・・・・。この作家の想像力・表現力は凄い。この感動で、さらにもっと読み繋ぎたくなったのだ。面目躍如である。 実は、この作家には『劉邦』という長編がある。残念ながら長編は手に負えぬと怯えて、私はこれを未だ読んでいない。この書評によれば、作家はこれら短編を書きあげてから、この長編を著作したという。それを知ってホッと一安心した。それならば、この長編『劉邦』をゆっくりと今後の楽しみとしたい。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

加藤陽子・著“戦争の日本近現代史”を読んで

今回は加藤陽子・著“戦争の日本近現代史”を読んだので紹介したい。8月15日は終戦記念日。少し以前だと、例年TV番組は終戦記念日特集を組んだり、映画もそれに関連したものを放映したりしていたが、最近はそういうことをしなくなった。今年は関東大震災100年だった。だが私個人としては、あの戦争を最早不問に付したり、無視することは少し憚れる気がする。そこで、“日本はなぜ太平洋戦争に突入していったのか”という疑問に少しでも回答を得られるような本を得たいと、この本を取り上げた次第だ。 この本の第1講では“歴史に埋没した「問い」を発掘するためには、精力的な資料発掘と、それを精緻に読み込む努力が絶対に必要”と述べている。そして、E.H.カーを引用して“歴史を動かす深部の力について、史料を用いて考えなければならないのが、歴史の研究である”とも述べていて、この本への期待を煽っている。 しかし、残念ながらこの本には、これが日米開戦の重要な鍵・分水嶺だった、という指摘はない。何だか史実を積み上げて、御存知の結果となったと暗黙の内に言って、終わっているという期待外れの内容だったのだ。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

白取春彦・著“完全版 仏教「超」入門”を読んで

今回は・・・書店で久々に“仏教”の本が目に入った。白取春彦・著“完全版 仏教「超」入門”である。手に取って読んでみるとこれまで愛読した“ひろさちや”氏とは表現の仕方の違う点が目に入って、それが何だか心地よいものがあったので、迷わず買ってしまったのだ。できるだけ穏やかに表現しているはずのところを、直截に言い切っている印象があったのだ。 仏教ではブッダ、すなわち仏は実在の人物・ゴータマ・シッダールタただ一人だが、“彼の徹底した実際性や、高齢になって最後は食中毒で死んだことなども考えれば、ブッダはわたしたちと同じ人間であったと分かる。”と言って、“仏と神を混同”してはいけないと著者は言う。 また著者は禅僧の抜隊得勝の言葉を引用して、“自分自身の心がすでに仏である。そのことが分かれば、それが成仏である。しかし、いつまでも自分に迷っているのでは仏ではない”と言っている。また、著者は言う。“「真理を身につけること」とは、悟りの体感のことである。悟りとは、知的な理解ばかりではなく、体感することもできる。”“とにかく、悟りは観念でも神秘体験でもなく、悟りの体感はごく身近にある。自分の心が散漫な状態でない限り、いつどこで体感してもおかしくない。” . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

和田秀樹・著“80歳の壁”を読んで

今回は和田秀樹・著“80歳の壁”を紹介したい。私も高齢者の仲間入りになろうかという年齢だ。いささか血糖値、血圧も気懸りなのだ。精神面・肉体面での老齢の日常について、ここら辺での健康上の注意点を知っておく必要があると思われる。 検査結果を診て薬や手術に入れあげても、80歳過ぎれば意味がない場合がある。過剰の薬摂取は返って副作用がある。手術して臓器を毀損して逆に良くない。節制して我慢してもそれがストレスになり、それが体に良くなかったり、免疫力を低下させる。昔より栄養状態が良くなっているので血管も強くなっており150程度の血圧は心配ない。血糖値を下げると脳に逆に良くない、等々から、「食べたいものを食べる」「血圧・血糖値は下げなくていい」「ガンは切らない」「おむつを味方にする」「ボケることは怖くない」という結論になる訳だ。 最後に著者は、“究極の「幸せとは何か」は、やっぱり楽しむ能力なのだと私は思っています”といって終わっている。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

加谷・高橋・熊野・須田・著“日銀利上げの衝撃”を読んで

前々回、このブログで“河村小百合・著『日本銀行―我が国に迫る危機』(講談社現代新書)”を取り上げた。それでは、その“我が国に迫る危機”がこれからどうなると思われるのか知りたくなる。そこで書店で渉猟して見つけたのがこの本“日銀利上げの衝撃”だった。これは4人の共著である。それも近しい立場ではなく、それぞれ別の見方・別の立場と言って良く、それぞれ個性がにじみ出ている。むしろ、その方が様々な意見が分かって好都合と、飛びついた次第である。 デフレ脱却は未だ未完であり、金融緩和は継続の要あり、金融政策と同時に財政出動が必要あり、がここの著者の一致した見解であった。しかし、従前と同じ財政政策であれば乗数効果がない政策になるとの鋭い指摘は加谷氏だけだった。 また“賃金が上がらない問題”の提起や“コスト削減と価格据え置きがデフレの要因”であると言い、企業経営者が設備投資や研究開発を行うための借り入れを行わず、500兆円に上る内部留保の積み上げに躍起になっているのが問題だというのも一致した見解ではなかったか。 要は日本の経営者の資本主義的マインド、つまり進取の気性の喪失や冒険心の欠如が原因なのだ。であれば、このマインドを変更させる施策が必要なのであり、それは金融政策でも単なる財政出動でも解消できる問題ではないのだ。 日本人社会に資本主義や自由主義は果たして不向きなのだろうか・・・そう考えると絶望的な気分になるのだが。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

河村小百合・著“日本銀行―我が国に迫る危機”を読んで

今回紹介するのは日本の金融の総本山・日銀の金融政策に関する本である。河村小百合・著“日本銀行―我が国に迫る危機”(講談社現代新書)である。実は、著者があるTVのワイド・ショウ番組に出演して、実は日本が金融上の大危機を迎えているとの解説していたのを見て、その著書を検索して購入し、読んだものである。やっぱり、昨年秋の1ドル150円は相当ヤバかったのか? どうやらウクライナ侵攻による品薄と円安によって日本の物価も上昇し始めたが、慌てて取り敢えず為替介入をやって、現状の1ドル130円台に落ち着いている。この間に、日銀は利上げを実施するなどして、金融の正常化に取り組まなければならないが、現状、日銀は簡単に利上げを行うことができないということなのだ。それは、利上げすると“日銀が債務超過”に陥ることになるからだ、という。それはアホアホ失政が原因だというのだ。その説明が、縷々丁寧に本書に書かれている。 結局、アホアホ失政のツケはハイパーインフレとなり巨大である!この結果は日本歴史のアホアホ汚点として大きく残るのだ!! . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 前ページ 次ページ »