かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

眼鏡が壊れた?

2006-02-20 22:59:31 | Weblog
 今日は割とつつがなく過ごした一日だったのですが、帰宅時に結構面倒な目に遭いました。ヘルメットをかぶろうといったんはずした眼鏡を改めてかけようとしましたところ、いきなり、眼鏡本体と左側のツルが分離してしまったのです。慌てて見てみますと、本体とツルを止めているねじが、左側だけすっきり消えてなくなっています。折れたのではなかったので一瞬安堵したのですが、よくよく考えてみるまでもなく、ねじがなければツルを付けることができず、片方のツルのない眼鏡を顔面に固定するなど到底無理な話です。そこで改めてねじ探しに狂奔したのですが、相手はわずか長さ4ミリ直径2ミリのいと小さきものでしかありません。しかも結構強い近視+乱視のおまけ付きな裸眼では、そんな大きさのものは眼前10センチくらいまで寄らないと、識別できません。更に日はとうに落ちて、頼りになるのは少々暗い室内灯のみ。私はてっきり床に落ちたものと信じて、四つんばいになって床を探したのですが、これは? と思ったモノはことごとく小石やホコリのたぐいで、どうしても見つかりません。さして広い場所でもないので、10分も探すとあらかた探す場所はなくなります。とうとうあきらめたとき、ふと思いついてヘルメットをかぶる直前、眼鏡を外して置いた場所を見てみますと、ありました。見覚えのある小さなねじが、そこに転がっていたのです。ほっとすると同時に、なぜ最初にそこを見ようとしなかったのか、自分のうかつさに呆れてしまったのですが、一方で『これで日記のネタが一つできた』と喜ぶ自分がいるのですから、難儀な奴だな、と自分で自分のことを思います。
 さて、私は中学生の時から眼鏡をかけているせいか、普段は全く意識したりはしないのですが、こういうときばかりは眼鏡が煩わしくなります。さりとてコンタクトレンズは入れる気がいたしません。もともとものぐさな私にハードコンタクトの煩雑な日々のお手入れが勤まるとは思えませんし、ソフトの使い捨てとかましてやつけっぱなしで○日いけます、というようなモノには抵抗を感じます。でも何より一番イヤなのは、目にものを入れるという行為そのものです。もちろん未だかつてコンタクトレンズなどはめた経験はありませんけど、それを想像するだけで身の毛がよだってしまいます。多分これは、幼少のみぎりに大東亜戦争の撃墜王 坂井三郎の伝記を読んだせいだと自分自身では解釈しております。その伝記で、被弾して目が見えなくなった坂井が破片を取り出す手術を受ける記述があるのですが、麻酔なしでガラス破片をメスで切り出すというその描写に震え上がったのです。それがトラウマになって、目に何かする、というのが生理的に受け付けなくなったのだと思っています。
 でも、そういいながら機械の目とかには何となくあこがれてしまいますね。現在のところ目を代用する装置は、明暗を見分ける程度の能力しかないようですが、将来例えばオーベルシュタインの義眼とか、本当にああいうレベルのものができたら、それに換えてしまいたくなるに違いありません。コンタクトはイヤなのに、何とも極端なことです(苦笑)。

コメント
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