かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

「もったいない」の意味をはき違えてなければいいんですが。

2006-02-16 23:10:09 | Weblog
 神戸空港いよいよ開港ですね。思えば関西国際空港をどこに作るかで本命視されていながら旧社会党の横槍に屈して以来、実現までずいぶん遠回りした悲願ではありました。そういえば阪神大震災の時も旧社会党政権に祟られておりましたね。神戸にとって旧社会党はよくよく凶運を招く相手であったようです。
 まあそんなことはともかくとして、とりあえずはおめでたいのだとは思います。こんな狭い地域に3つも空港がいるのか、という疑問は私も抱きますけど、交通網が整備されるのは悪くない話ですし、伊丹や関空で万一アクシデントがあって飛行機が降りられなくなっても、神戸で降りてくれるなら関西人としてはまあ許せるというものではないですか、と飛行機には滅多に乗らない私が言うのもなんですが。
 ただやっぱり滑走路の大きさは2500mしかないのですね。柳田邦男の「マッハの恐怖」だったか、あるいはその手のドキュメンタリーだったんじゃないかと思うのですが、ジェット旅客機にとって2500mの滑走路というのは確かぎりぎりなサイズと書いてあったような気がするのです。いや、2000mだったかな? うろ覚えなのでちょっといい加減ですが、どちらにせよあまり余裕がある大きさではないのではと思われます。いくら国内線だけに限った地方空港だといっても、滑走路が大きければ、飛行機を操縦する側からみても使いやすい空港ということになるのでしょうし、そのゆとりは安全に直結するようにも思えます。また、将来飛行機がより大型化したりしても、対応がとりやすいのではないでしょうか? どうもみてますととかく日本人はぎりぎりの性能を狙うのが病的に好きなようで、第4艦隊事件を引き起こした艦艇達や零式艦上戦闘機、相次いで失敗した人工衛星やH2ロケットとか、今昔取り混ぜて余裕のなさからくる失敗例が多すぎる気がいたします。零戦は失敗とは言えないかもしれませんが、貧弱な技術でぎりぎりの性能を狙ったがために全く設計に余裕がなく、戦争中を通じてほとんど性能アップできなかったという点をとれば、あえて失敗といってもいいんじゃないかと思います。

「もったいない」といういい日本語がありますけど、日本人の場合、その「もったいない」感覚があまりに近視眼的すぎるんじゃないでしょうか? 目前の「もったいない」に拘泥するあまり、結局壮大な無駄を生み出しているようで、それこそ「もったいない」なあとため息が出ます。もう少し長い目でもって、ゆとりあるものの見方ができてもいいんじゃないかと思うんですが、そういう性質をはぐくんでこその「ゆとり教育」ならよかったんですが。それともこれは教育でどうこうできるものではなく、日本人の遺伝子にしっかり書き込まれた特質だったりするのかもしれません。
 
コメント (1)
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