かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

やっぱりワンパターンな時代劇は面白いと思うのですよ。

2007-02-06 22:44:20 | Weblog
 最近、火曜日に早く帰ることができた日は、なぜか「遠山の金さん」を見ております。といっても滅多にオープニングから観ることは無く、大体半分以上物語が過ぎてから、ということばかりです。それでもお話が十分理解できるし、そもそも観て楽しいのは金さんがもろ肌脱いで大暴れ! 以降の展開ですから、前半部分はある意味どうでもいいとさえ言えるのです。それに、はじめ随分違和感を覚えた「将軍様」金さんにも、近頃大分慣れてきました。この徹底したワンパターンな展開はすぐに飽きてきそうなものなのですが、なかなかどうして、予定調和なお白州劇は、見ていて実に心地よいものがあります。
 ただ、昔々は特に気にすることも無く「桜吹雪」な名裁きを堪能していたのですが、年をとってひねくれてきたせいか、いくつか気になることが出てきたりもします。
 たとえば、お白州で、並み居る悪党どもの向かって右端で、けなげに控えるたいていは妙齢の女性が、「こいつらの悪事は金さんも知っています!」とお奉行様に訴えたとき、先頭の悪党親玉が、「そんなにおっしゃるなら金さんとやらを出していただきましょう」とか何とか言うのに呼応して、その後ろに並ぶ下っ端たちが口々に「金さんを出せ!」とか何とかヤジを飛ばす、というおなじみの場面。いくらならず者どもとはいえ、お奉行様を前にして、あんな横柄な態度でヤジを飛ばすことなど現実にありえたのでしょうか? とか、結局決め手は桜吹雪で金さん=お奉行様、ということを悪党どもに悟らせて観念させる、という図式なわけですが、あれってそれでもお前など知らぬ存ぜぬと言い募ったらどうなるのだろう? 現代から言えば証拠能力はあんまり無いのでは? とか、まあ正直どうでもいいことなのです。ああもう一つ、今やっている金さんで気になるのは、必ず最後に悪党の一人が自暴自棄になってお奉行様に襲いかかるシーンがあることです。たまたま私の見ている時がそうなだけなのかもしれませんが、昔の金さんでは滅多にああいう場面は無かった気がします。やはり将軍様と見知ってから切りかかる「暴れん坊将軍」の影響を受けていたりするんでしょうか? これもやっぱり動でもいいことなんですけど(苦笑)。
 でも、「水戸黄門」はなんだかイメージがずいぶん変わってしまった気がしますが、「遠山の金さん」は松平健に慣れてしまうと、結構昔のイメージがよく残っているような気がしてくるから不思議です。「水戸黄門」はとにかくキャラが多いですし「風車の矢七」や「うっかり八平衛」のような重要なキャラがいなくなったりとずいぶん変化してしまったのに対し、「金さん」はいわば金さん一人が重要なキャラで、後はいかように変わろうが、金さんが普段は腕っぷしがやたら強い町人、ラストシーンでは正装して北町奉行として君臨、トレードマークは桜吹雪、という図式さえあればそれで良い、という単純さゆえに、昔の雰囲気が残りやすいのかも知れません。あるいはスタッフが古きよき金さん像をかもし出すべく努力されているのかもしれませんが、いずれにせよ王道的ワンパターンの魔力には、学ぶべきものがたくさんあるような気がいたします。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする