かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

我が国が発祥した記念すべき日の扱いが、あまりに薄すぎるのではないでしょうか?

2007-02-11 23:16:28 | Weblog
 今日は久々に寒さを覚える一日でした。雨も降って天気は荒れ模様でしたし、なるべくなら外に出たくないところでしたが、どうしても欲しい買い物があって、少しだけ外出しました。でも、やはり今日は一日家にこもっているべきでした。2月11日は、うちの近所は間違っても車で外出してはならない日だったのです。建国記念日は、橿原神宮に集まる人、人、人。車も一般車両に混じって、墨痕鮮やかな極太毛筆漢字な派手な装いを凝らし、頭にスピーカーを飾った車が多数いて、道際にずらりと機動隊の整列。おかげで周辺道路は大渋滞でうっかりはまり込むといつ抜け出せるか判らない状態になるのです。すっかりそのことを失念していたおかげで、あやうく普段ならわずか数分の道を何十分もかけて通行しそうになりました。

 さて、そんな建国記念日など、歴史的・考古学的には全くの無意味で、2667年前の今日、この聖地で神武天皇が即位した、というのは単なる伝説に過ぎない、というのは簡単ではあります。神武天皇以下数台までは架空というのが我が国の学術的な公式見解ということになるのでしょうし、事実おそらくはそういうことなのでしょう。だから今日のこの日に全国各地からむやみに人が集まってくるのは、地域社会として大迷惑だ、と言えないことも無いのですが、それはそれとしても、この日を祝日にして祝う、というのは、我が国にとっては結構大事なことなのではないか、と思ったりもいたします。要は天皇陛下と同じで、我が国の成り立ちを語るための象徴、あるいは物語としての装置として、橿原神宮や神武天皇は必要なのではないか、と思うのです。そのことを史実として信じる人はほとんどいなくても、日本人の源流をなす物語として理解することは、史実ではない、といって切り捨てるよりも、はるかに国民の心を豊かにし、日本そのものの繁栄にも結びつくのではないでしょうか。
 ゆえに私としては、靖国神社でおおもめにもめる馬鹿馬鹿しくも不毛なやり取りなどよりも、いっそこの日に天皇陛下をはじめとする皇族の方々や内閣総理大臣が、橿原神宮を参拝なさるのが大事なのではないか、と思います。日程や警備の都合や色々問題もあるでしょうけれど、また、そんなことになればますます地元の生活には不都合を生じることにもなるのでしょうけれど、そんなこんなのデメリットを圧するに足る「何か」を、その行動でこの国が得られるのではないか。そんな幻想を抱くのです。第一、今日の朝刊では本日が建国記念日であることを示す一行の文章も無く、テレビはもちろん、ネットでもほとんどそのことを報じるものは無かったのではないでしょうか? いろいろな意味で、我が国の成り立ちに思いをはせることが出来るこの日にこそ、一部の方々だけの過剰な思い入れだけでなく、国民全ての関心を集めるべきではないでしょうか。そのためにも、特に陛下には即位のときだけじゃなく、いま少し頻繁にお越しいただけないものか、せめて名代に皇太子なりその他の皇族の方なりを派してもらえないものかと切に願います。

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