今日は久々にCGなど描いております。今年は「かっこうの本棚」7周年ということでもありますし、いつまでも前回イベントの告知では、といい加減サイトの表紙を仕替えようと思ったわけですが、やっぱり久々、というのは良くないですね。なかなかタブレットで思うような線が引けません。まあ長い線は以前からベジェ曲線に頼りきりでしたからその点はまったく一緒なのですが、フリーハンドのほうがもうぼろぼろで、もともと大したことのない腕前だけに、時間ばっかりかかってなかなか前に進みません。これは、今週いっぱいくらいかかってしまうことでしょう。こうなったら、じっくり取り組むよりなさそうですね。
そういうわけで、今日の更新もいつもながらの長編小説連載でした。ちょこちょこ古い原稿を手直ししながらアップ続けているのですが、書いた当時には気づかなかったあらとか未熟な書き込みとかが散見されて、結構恥ずかしいものがあります。特にこのころは、ぎりぎりまで書き出さずに短時間に一気に書き上げるようになり出したころの原稿のためか、文章自体の練りが今ひとつで、手直しするにしても手の入れ具合に悩まされます。あんまり筆を入れすぎたら別の作品になりかねないですし、そこはやはり当時の想いと言うか、この作品にかけた熱意と愛情を損なうようなことはしたくないわけで、勢い、さすがにこれは、と思うような部分意外は、なるべく手をつけないようにしております。若気の至り、というほど若いころの作品でもないですが、まあ我が成長の軌跡、ということで、残る文章もがんばって直していきましょう。
さて、脳波の一種、ある特定の音を聞くと頭がよくなる、とでっち上げた番組が打ち切りになるんだそうです。局によると予定通りの番組終了で、でっち上げによる打ち切りではない、と説明しているようですが、まあ納豆事件からこっち、この手の問題に対して世間様が敏感になっているようなので、局の説明もどうもいいわけじみているように聞こえてしまうキライがあります。まあいずれにしてもいい加減なことを垂れ流す番組が一つ消えるというのは喜ばしいことで、少しはマスコミの心胆を寒からしめているのかもしれません。一方、「放送倫理・番組向上機構」という視聴者からの苦情や批判を受け付ける機関によると、先月の月間意見数が、発足以来最高の1348件に達したとの事です。通常、多い月でも800件程度なので、あの納豆事件はこういうところにも大きな足跡を残しているということなのでしょう。あと、ワイドショー批判も多いとのことで、興味本位な覗き見趣味とただの憶測を事実であるかのごとく垂れ流す無責任習性に対する批判が多いのだそうです。そう思うと結構まともなことを言う人もいるものだと思うのですが、一方でそれらの番組は結構視聴率を稼いでもおり、ともかく観ている人がいる、というのもまた変わらない構図なのでしょう。テレビ放送というのはほとんど唯一、今も国によって手厚く保護されている産業なのだそうですが、公共放送にしろ民法にしろ、かくまで腐敗したのは、放送停止、放送免許剥奪、といったその姿勢を正すためのツールを持ちながら行使しようとせず、いつまでもあまやかしてすねかじりを許してきた国の責任でもあるのではないかと思います。捏造等マスコミ機関として許しがたい悪行をなし、社会的な悪影響を及ぼしたマスコミをばっさりやっても、国民の大多数は喝采こそすれ「表現の自由」「報道の自由」に対する侵害だ、と文句を言うことはほとんどないと思います。
そういうわけで、今日の更新もいつもながらの長編小説連載でした。ちょこちょこ古い原稿を手直ししながらアップ続けているのですが、書いた当時には気づかなかったあらとか未熟な書き込みとかが散見されて、結構恥ずかしいものがあります。特にこのころは、ぎりぎりまで書き出さずに短時間に一気に書き上げるようになり出したころの原稿のためか、文章自体の練りが今ひとつで、手直しするにしても手の入れ具合に悩まされます。あんまり筆を入れすぎたら別の作品になりかねないですし、そこはやはり当時の想いと言うか、この作品にかけた熱意と愛情を損なうようなことはしたくないわけで、勢い、さすがにこれは、と思うような部分意外は、なるべく手をつけないようにしております。若気の至り、というほど若いころの作品でもないですが、まあ我が成長の軌跡、ということで、残る文章もがんばって直していきましょう。
さて、脳波の一種、ある特定の音を聞くと頭がよくなる、とでっち上げた番組が打ち切りになるんだそうです。局によると予定通りの番組終了で、でっち上げによる打ち切りではない、と説明しているようですが、まあ納豆事件からこっち、この手の問題に対して世間様が敏感になっているようなので、局の説明もどうもいいわけじみているように聞こえてしまうキライがあります。まあいずれにしてもいい加減なことを垂れ流す番組が一つ消えるというのは喜ばしいことで、少しはマスコミの心胆を寒からしめているのかもしれません。一方、「放送倫理・番組向上機構」という視聴者からの苦情や批判を受け付ける機関によると、先月の月間意見数が、発足以来最高の1348件に達したとの事です。通常、多い月でも800件程度なので、あの納豆事件はこういうところにも大きな足跡を残しているということなのでしょう。あと、ワイドショー批判も多いとのことで、興味本位な覗き見趣味とただの憶測を事実であるかのごとく垂れ流す無責任習性に対する批判が多いのだそうです。そう思うと結構まともなことを言う人もいるものだと思うのですが、一方でそれらの番組は結構視聴率を稼いでもおり、ともかく観ている人がいる、というのもまた変わらない構図なのでしょう。テレビ放送というのはほとんど唯一、今も国によって手厚く保護されている産業なのだそうですが、公共放送にしろ民法にしろ、かくまで腐敗したのは、放送停止、放送免許剥奪、といったその姿勢を正すためのツールを持ちながら行使しようとせず、いつまでもあまやかしてすねかじりを許してきた国の責任でもあるのではないかと思います。捏造等マスコミ機関として許しがたい悪行をなし、社会的な悪影響を及ぼしたマスコミをばっさりやっても、国民の大多数は喝采こそすれ「表現の自由」「報道の自由」に対する侵害だ、と文句を言うことはほとんどないと思います。