かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

10.3月23日夕 遭遇 その4

2008-03-20 08:22:58 | 麗夢小説『悪夢の純情』
 がっしと相手の首根っこを押さえた榊は、根の深い大木に取り付いたかのような手応えに当惑した。見かけと実力の差に相当の隔たりがあろう事は予測しないでもなかったが、相手の力量は榊の予測をはるかに上回っていたのである。それでも何とかしがみついていた榊へ向かって、都はおいたをする孫に向けるような苦笑いを浮かべて見せた。
「仕様がありませんねえ。無駄だと申し上げておりますのに」
 背後から首を締め上げていた榊の剛腕、その肱から少し下辺りの丁度喉に入っていた所を、都は小さな手でつまみ取った。
「ぐわあぁっ!」
 都のひからびた紅葉の様な手が、固く盛り上がった榊の上腕筋に、それがまるで柔らかい脂肪でできているのかと疑うほどにぐいと食い込んだ。痛みの余り思わず手を離した榊を、都はそのまま片手で振り回し、扉とは反対の方向に放り投げた。床に激突した榊は、軽い脳震盪と深刻な打撲痛にうめき声を上げながら、化け物としか言い様のない相手の膂力に死への恐怖を呼び覚まされた。冷や汗にまみれる榊の前に、間髪を入れず都が滑り寄った。
「もうあきらめましたか?」
 涼しい顔をして問いかける都を、榊は歯ぎしりして睨み付けた。その怒りでさっきまでの恐怖を身体から追い出した榊は、突如身を起こして都の身体に突っ込んだ。
「うおおおぉおっ!」
 どすん! 鈍い激突音が榊の耳に届いた。岩に衝突したような激痛が肩を刺し、痛みに悲鳴を上げる間もなく、榊の身体はふっと無重力状態に放り出された。背中から吊り上げられた榊の身体は、今度は一瞬のうちに反対の扉へ吹っ飛ばされた。
「これまでですね。とどめを刺して上げませう」
 猛然と突っ込んできた都に対し、榊は、ほとんど無意識に扉の取っ手を支えに起き上がろうとあがいた。が、強打した足が思うように榊の体重を支えない。勢い扉にぶら下がる格好になった榊の体重が、その取っ手を引き下げた。がちゃり、とロックのはずれる音が榊の耳に届き、僅かに開いたドアの隙間がちらりと見えた瞬間である。榊は、左胸に鋭い強烈な衝撃を喰らった。丁度防弾チョッキの上から銃弾を撃ち込まれたような感じである。肋骨の折れる激痛が立ち直りかけた榊の神経を完全に叩きのめした。榊は、取っ手を掴んだまま突き飛ばされるように倒れ込み、禁断の扉を全開する事になった。
「ぎゃあっ!」
 余裕綽々の老婆の表情が、恐怖に瞬間凍結した。辛うじて都は踏みとどまろうともがいたが、ドアの向こうで生じた強力な吸引力が榊をして化け物と言わしめた都の膂力を上回った。扉の向こうに突っ込んでいった都の悲鳴は、切れかけた榊の意識をもう一度呼び覚ました。と同時に、途方もなく強烈で陰惨な雰囲気が榊の精神に直接かみついた。その絶望的な恐怖は都に感じたものですら笑い飛ばせるほどな、圧倒的な圧力で榊をパニックに陥れた。日頃の冷静沈着ぶりも、この時ばかりは何の役にも立たなかった。自己防衛本能だけが、何とかして扉を閉めようともがきあがく。が、左胸の圧力は益々強く、榊は自由に呼吸すら出来ない。それを、狼狽の極みでただただ必死に支えるばかりな榊は、壁に押し付けられながらも、両足で扉を渾身の力を込めて押し返した。その努力の前に、扉はようやく榊の希望を受け入れた。閉じ始めた扉は、数瞬の大激闘の末、ようやくがちゃりと大きなロックの音を残して、榊から黄泉の国を切り放した。だが、それでも榊は恐怖から解放されなかった。左胸の圧力が急に消えた事にも気づかないまま、榊は感情のほとばしるままに必死になってその場を逃げた。観測機器のケーブルに足を取られて転んだ後は、はいつくばったまま一〇センチでもその場を離れようと榊はもがいた。ようやく榊は、幸田との通信が途絶えた幻の枝道出口まで這い出てきた。が、榊の頑張りもそこまでだった。突然回復した通信機が榊の耳に幸田の狂ったような叫び声を叩き付けたとき、榊の緊張はその声に押しつぶされる様にふっつりと切れたのである。
「・・・ああ、幸田さんか・・・、助か・・・」
 榊の視野が急速に闇に閉ざされ、その喉は言いたい事を最後まで紡ぐ事が出来なかった。
「警部? 榊警部! しっかり、しっかりして下さい!」
 耳を打つ声はむなしく榊の肉体にこだまし、榊の精神は、完全に沈黙した。
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10.3月23日夕 遭遇 その3

2008-03-20 08:22:48 | 麗夢小説『悪夢の純情』
 幸田が一目散に自分を置き去りにした頃、榊はその幻の枝道の終点にたどりついていた。車二〇台分ほどの地下駐車場位だろうか。突然開けた空間に、榊の緊張がぴんと張りつめた。壁も、さっきまでの均質なコンクリートと違って、ここはむき出しの土である。その様子に、榊は思わず鍾乳洞を連想したが、裸電球に照らされた薄暗い洞内には、明らかに異質な物体が幾つも並べられていた。大きな台の上に据えられているのは、ノート型のコンピューターである。その周囲は様々な機械で埋め尽くされ、お互いの間に幾本ものケーブルが、雑然と渡されてあった。榊は近づいてコンピューターの液晶ディスプレイをのぞき込んだ。そこには画面を四つに分割して幾つかのグラフが彩りも鮮やかに並んでいたが、さてその意味はというと、榊にはてんで理解できなかった。
(まるで鬼童君の研究室だな)
 そう思いながらなおも丹念に画面を見ていた榊は、左隅のグラフに気になる単語を見いだした。
(RUMINO・・・ルミノタイト!)
 それが何のグラフかはやはり判らなかった。横軸はしばらくして時間だと気がついたが、ルミノタイト、と言う単語がはめられている縦軸の意味が、榊には理解できないのである。だが、もはや榊にはその意味などどうでもよい事であった。少なくともこの装置が、何らかの形で桜乃宮ルミ子とつながっている事が判ったからである。意を強くした榊は、更に鬼童達の痕跡を探し廻った。が、それらしいものは何もない。榊には見当もつかない実験器具以外、ここには何もないのである。ひとしきり調査した榊は、その機械群から伸びるケーブルを追って、更に奥へと歩を進めた。
 その奥は次第に細く、狭くなり、やがてビルの廊下ほどの大きさになったかと思うと、突然表から見ただけでもその分厚さがうかがえる頑丈な扉に行く手を阻まれた。ステンレスで出来ているらしい銀の扉には、業務用冷蔵庫のような巨大な取っ手があるばかりで、窓もついていない。榊は、思い切ってその取っ手に手をかけた。ぐいと力を入れると、以外に軽く扉が反応した。
「おや、その扉を開けてはなりませんよ」
 ! 
 全く思いも寄らなかった背後の声に、榊は反射的に振り返った。
「き、貴様!」
 榊はかっとなって拳銃を抜いた。
「あらあら、私にそんな物が通用しない事、既にご存じではありませぬか」
 身長は榊の半分も無いにも関わらず、突如現れた目の前の老女の威圧感は、圧倒的な重厚さで榊を押しつぶそうとする。榊はそれを振り払うように一息吐くと、拳銃を向けたまま都に言った。
「この先に何がある? 貴様ら将門で何をたくらんでいるんだ?」
「あら、よくご存じです事」
 都は慇懃に榊に言った。
「どうやってお調べになったか存じませんが、ここを知られた以上あなたをこのまま返すわけにはいきませんね。さりとてご案内せよとは、お嬢様に言づかってもおりませんし・・・」
 都はひとしきり首を傾げると、皺だらけの顔に会心の笑みを浮かべて言った。
「やっぱり死んでいただきましょう。お嬢様の実験を邪魔されても何ですし」
「そう簡単に殺されてたまるか! それより麗夢さんや円光さん、アルファ、ベータや鬼童君をどうした?」
「ほほほ、ご心配になる事はありませんよ。近い内に後を追っていただきますから、すぐに再会できますよ。もっとも、海丸様だけはお諦め下さい。あの方は、お嬢様にとって掛け替えのない大事な方でいらっしゃいますから」
「鬼童君が婿入りに同意したとは思えんがな」
「海丸様は、私やお嬢様と同じ永遠の生命を持っていただくのですよ」
「永遠の生命だと?」
「そうですよ。まあこれから死んでしまうあなたには関係ない事ですけど。では無駄話もこれくらいにして、そろそろ参りませうか」
 あくまで丁寧に都が一礼した隙を狙って、榊は先手必勝と飛びかかった。銃が効かないのが判っている以上、出来るのは肉弾戦しかない。榊は警視庁でも指折りの格闘家である。榊が本気になって組み付いて、膝下にねじ伏せられない者などこの世にそうはいない。だが、都は希少な例外となった。
「無駄ですよ」
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10.3月23日夕 遭遇 その2

2008-03-20 08:22:15 | 麗夢小説『悪夢の純情』
 二時間後、現場に到着したのは、ここの管理を任されている、小さな管理請負会社の幸田という男だった。榊と同年輩の幸田は、数年のうちに立派に育った太鼓腹を窮屈そうに穴に沈めながら、榊に言った。
「本当にこんなところに爆弾が仕掛けられているんですか?」
 続けて入り口に身を沈めた榊は、我ながら人が悪くなったと思いつつ、表面は正に実直そのもので幸田に答えた。
「ええ、だがまだ確証がある訳じゃありません。尋問中の容疑者が、確かにこの先に爆弾を仕掛けた、と自白したんです。ただこの男が割と虚言癖のある奴でしてね、結局確かめるしかないと、以前ここに潜った事のある私に、確認してこいと命令がでたんです。まあ、グリフィンの時の事もありますし、もし発見できたら、本庁の爆発物処理班を呼ぶ手はずになっていますからご安心を」
 公式には過激派の破壊活動によるものというあの帝都管理コンピューター、グリフィンの故障を引き合いに出して、榊は自分の嘘に説得力を持たした。東京都が、都市機能の全てを集中管理しようとしたものに間違いがあったなどと公開するはずがない。本来なら榊もその真実を知る立場ではないが、麗夢達のおかげで、万事納得ずくで嘘を突き通す事が出来るのである。やっ、と梯子から最後の数十センチを飛び降りた榊は、保守管理用の電灯に浮かぶそのトンネルを感慨深げに眺めた。直径二メートルほどの穴が榊の前後に無限に続くかのように延びている様子は、数年前に初めて入った時と変わらない。頭上や側面は、榊には判らない様々な太さと色の管で埋まっている。その一本一本が、首都の生命線とも言える血管であり、神経網なのである。
「三井物産ビルの方角はどちらですかな?」
 さすがに将門の首塚とは言いかねて、榊はすぐ隣にある大手企業の建物を尋ねた。
「三井物産ですか。ええと、こっちへ進んで、右手に枝道に入ったところですね」
 共同坑マップを見ながら、三井物産が標的ですか? と聞く幸田に、榊はあいまいにうなづいた。
「じゃあ、危険ですから幸田さんはここで待っていて下さい」
 榊は、危険と言われてひるんだ幸田を置いて、ゆっくりと奥に歩き出した。
 枝道に入ったところで、榊と幸田はお互いの姿が見えなくなった。後は、安全のためにと幸田からもらったヘルメットに付いている、簡易通信機だけが頼りである。
「・・・今、枝道から五十メートルほど入った」
「・・・もう少し進んで下さい。そろそろビルの玄関ですよ」
(ビルの真下なら、将門の首塚はもう少し先だな)
 榊は、心細げに待つ幸田の思いもしない目標に、一歩一歩近づいていった。そして、幸田が思い描いている目標を通り過ぎ、自分が思い描いていた地点にまでたどりついた。
(この辺りの筈だ。何かないか?)
 榊は、塵一つ逃すまじという集中力でトンネルをなめ回した。
 異変はこの時に起こった。
 榊は、ふと自分の右手を壁につこうとして、そこにあるべきトンネルの内壁が消え去っている事に気がついた。
「そんな馬鹿な?」
「え? どうしたんです?」
 突然耳を打った幸田の不安げな声に、榊は慌ててなんでもないと言い直した。
「それより幸田さん、今私は枝道から百メートルほど入ったところにいるんだが、この向かって右側に、通路がないかね?」
 何でそんな奥まで入ったのか、と幸田はいぶかしんだが、問われるままに確かめた地図には、榊の問う枝道は、全く記載されていなかった。
「榊警部、警部のいる通路には枝道はないですよ。でも、何でそんなに奥まで行く必要があるんです?」
 無い? 榊の琴線にぴんと鋭く響くものがあった。その突然の出現といい、地図にもないところといい、明らかに怪しいではないか。榊は黙ってその道に折れた。途端に幸田と榊の通信が途絶した。榊は何度か相手を呼び出そうとして通信を試みたが、耳にはいるのは神経に障る雑音ばかりである。さもありなん、と榊は真相に近づきつつある興奮にその不安をぬぐい去ったが、事情を知らない幸田の方はたまったものではなかった。
「榊警部! 一体どうしたんです? へ、返事をして下さい! 榊警部!」
 ひとしきり交信を試みてそれが無益であると確認した後、幸田は意を決して榊の後を追った。突然、地鳴りのようなくぐもった音が坑内に充ちて幸田はひっくり返るほど仰天したが、それが地下鉄の通過音だと知るとほっと胸をなで下ろした。幸田は不安との二人三脚で枝道を折れ、榊が最後に交信した、枝道から百メートルほど進んだ辺りに到達した。右手に枝道と警部は言ったが、と幸田は思い出しながら右の壁に触れたが、やはりそこは目にした通り、立派なコンクリートの内壁が、ミクロン単位の微生物さえ通過を許さない堅固さで幸田の手のひらを支えていた。
「どこに行ったと言うんだ?」
 思わず呟きながら足下に視線を移した幸田は、そこに、見慣れた物が落ちている事に気がついた。榊に持たせていた懐中電灯である。それを拾い上げた幸田は、肩に背負いかねる不安と悩みに囚われた。戻って応援を頼むべきか否か。悩む幸田の耳に、再び地下鉄の通過音が飛び込んできた。どきっとした幸田は、それが合図だったかのように突然入り口に向けて走り出した。初めて感じる逼塞感に、幸田は大慌てで地上に出ると、急いで電話をと手にした携帯電話を取り落とし、しゃにむに拾い上げて通話ボタンを押した。警察を呼び出した幸田は、榊警部が地下で行方不明になった事を告げた。こうして榊は、東京の地下迷宮に囚われた最初の犠牲者として、記録される事になったのである。
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10.3月23日夕 遭遇 その1

2008-03-20 08:19:24 | 麗夢小説『悪夢の純情』
警視庁から大手町へ。一見おしゃれなオフィスビルにも見える建物を出た榊は、信号を渡り、まだ修理工事の無粋な枠に取り付かれた桜田門をくぐった。皇居外苑大広場の白砂利を踏みしめながら、榊はまっすぐに北上した。幾つかの皇居に通じる門前の交番で顔なじみに会釈を返した榊は、皇宮警察本部の入り口でも敬礼を返し、右に折れてお堀沿いに歩き続けた。つぼみがほころび始めた枝垂れ桜の並木が柳に代わる頃、その枝越しに見えかくれする消防庁が、榊に目的地が近い事を教えた。更に行くと、道を挟んだ右手の方に、緑のブラインドで全ての窓を埋めた大手銀行の本社ビルが現れた。その向かい側にあるのが、目指す高層ビルである。更にその向こうにあるはずの将門の首塚は、まだ榊の視界に入ってこない。だが、こんな超近代的なビジネス街に千二百年前の武将の首塚があろうとは、そのものを見るまで榊にはちょっと信じられなかった。
「これか・・・」
 信号で道を横断して皇居のお堀に別れを告げた榊は、そのままビルの前を通り、その切れ目に突如現れた小さな空間に足を止めた。五段ばかりの低い石段を挟んで、右側には、まだ真新しい石柱に「都旧跡 将門塚」とある。左側は、「七五三詣では神田明神へ」と書かれた立て看板を挟んで、数本の幟が風に揺らめいていた。榊は何故神田明神なのかと不思議に思ったが、神田明神の御祭神が将門である事を知らない以上、その疑問が解けるはずはなかった。石段から更に石畳へと足を進めた榊は、想像していたよりははるかにこざっぱりとしたたたずまいに少し安心した。榊は、佐々木の話などからもっとおどろおどろしいものを想像していたのである。その榊の正面に、人の背丈ほどな大きな石版がある。榊はてっきりそれが首塚だろうと思いこんだのだが、その考えは、表面に刻まれた文字の前にあっさりと斥けられた。そこには、故蹟保存碑大蔵大臣 河田烈書と彫りつけてあったのである。榊はそんな名前の大蔵大臣は聞いた事がないが、と思いながら念のため近寄って裏を覗きこんだ。すると、今度はびっしり彫られた漢字の群に面食らった。十数行に渡って刻まれる五百円硬貨ほどの漢字は、最後に大蔵大臣 阪谷芳郎 明治三十九年五月で締めくくられていた。成る程、と榊は思った。
(佐々木の言うとおり、明治時代、ここに大蔵省があった事は間違いないらしい。でも、肝心の首塚はどこにあるんだ?)
 故蹟保存碑から離れた榊は、すぐ右の奥に、これも比較的真新しい石版が、やや高く盛り上げた上に立っているのを発見した。道からは間に挟まった木の茂みが邪魔をして、気づかなかったものである。表面には平将門、阿弥陀仏、徳治二年とある。その足下には「奉納」と黒々と記された小さな賽銭箱と、線香置き、そして両側に花立てがあって摘んだばかりのような花束が活けてあった。どうも体裁はお墓のようだが、と取りあえず近くに寄った榊は、その石版の後ろに、苔むしていかにも古い感じがする石塔婆が置いてある事に気がついた。その両側に、どういう意味があるのか、陶器製や石製の親子蛙の置物が、左に二つ、右に三つ、これも苔で全身を彩りながら静かにたたずんでいる。石版からややはずれた右手に、その石塔婆の由来を記す立て札があった。そこには、これが一三〇七年に真教上人という人が、将門の祟りを鎮めるために建立した事が記されていた。更に榊は入り口近くにあった将門塚保存会の手になる由来文に目を通し、辺りをもう一度見回して、やや深刻に落胆した。ここに何かルミ子に関するものが見つかりはしまいか、と少なからぬ期待を持ってやってきたのだが、外見上そこには期待を満足させるだけのものは何もない。だが、と榊は思い直した。確かに自分には感知できないが、もし円光さんや麗夢さんになら気づくような質のものがあるかも知れない。それに確かに何か起こっているはずなのに、ここはあまりにきれいすぎる。まるで巧妙に何かを隠蔽しているかのように・・・。
 ふと、榊の目が歩道の脇にあるマンホールの蓋を捉えた。
(そうだ、地上には何も見あたらないが、ひょっとして地下に何かあるかも知れない・・・)
 東京の地下は正に迷路である。特にこの一角は、地下鉄都営三田線、営団千代田線、東西線、半蔵門線が複雑に交差している。他にもビルの保守管理のための施設、電線やガス、通信などをまとめた共同坑、上下水道など、それらしいものを数え上げればきりがない。勿論それら全てを知悉するものは恐らく一人としていないだろう。未だかつて東京の地下で遭難者の出ない事が不思議なくらいなのだ。榊もそう言った玄人の迷路に踏み込む資格は勿論持ってない。だが一つだけ、警察手帳というあらゆる規制に勝る免罪符を榊は持っていた。本来なら榊はそれを振りかざすような蛮勇を奮う性格ではないのだが、懐にある内内示と麗夢達の安否を気づかう焦りとが、榊の自制心を凌駕した。
 榊は、以前入った事のある電線や通信線の共同坑が近い事を思い出した。これは全く偶然、その昔、不発弾騒ぎで榊の知るところとなった迷路の一つである。真下を通るという点では地下鉄半蔵門線とどちらにするか榊は迷ったが、結局、昔の経験と、その時の管理責任者が、まだ榊の手帳に記された電話番号の先に座っていた事が、榊の行き先を決定づけた。
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9. 3月23日 曙光 その3

2008-03-20 08:17:25 | 麗夢小説『悪夢の純情』
 一方榊は、謎が一つ解けた事で意気揚々と自分のデスクまで舞い戻った。出ていく時とは対照的な榊の様子に、口さがない同僚達は、さては昇格の内示でももらったか、とささやきあった。実際榊の懐に飲まれた内示は降格・左遷だったから、どう聞かれても榊は苦笑いするしかない。しかし、今の榊には、四月一日の自分の地位などに思い悩んでいる暇はなかった。榊は内示の事などすっかり頭から消し去って、手近な同僚を次々と捕まえ、二月十四日に何があったかを手当たり次第に聞き始めた。
「二月十四日? バレンタイン・デーか?」
 この様にほぼ全員が同じ反応をしても、榊はあきらめなかった。
「そうじゃない。旧暦の二月十四日だ。何かある筈なんだ」
 榊の熱弁に、同僚達も漸く榊が知りたがっている事をおぼろげながら理解した。また始まったか、と揶揄する向きも一人ではなかったが、総じてお人好しの揃った榊のとりまきは、それなりに懸命になって二月十四日に何があったかを、考え始めたのである。
「忠臣蔵は、十二月だったな」
「二二六事件は二月二六日だったし・・・」
「馬鹿。警部の言ってるのは旧暦だぞ。二二六事件なら、もうとっくに新しい暦になってるよ」
 あれこれと数人が取りざたする内に、何を騒いでいるのかと周りからも人が集まってきた。榊は当然のようにそれらの人々にも同じ質問をして、内何人かを懸命に考える輪の中に取り込んだ。二月十四日。桜乃宮ルミ子がその日を指定しているからには、必ず何かある筈なのだ。榊は、これが最後の尻尾だと必死だった。これを逃せば、桜乃宮ルミ子、ひいては麗夢や円光達の消息は、永遠に榊の手の届く範囲から遠ざかるだろう。
 こうして都合二十人位が榊の質問を浴び、十人の考える人が誕生したのだが、その中に、遂に榊の琴線に響く答えを出した者がいた。その佐々木という名前の若い刑事は、外回りから帰って榊に捕まり、首を傾げる事数秒、バレンタインの次に、ついにある答えを榊に示したのである。
「旧暦の二月十四日ですか・・・。そうそう、確かあれが、二月のその時分でしたよ」
「何だそれは!」
「平安時代に、平将門って言う人物がいたでしょう? その将門の命日が、確か二月十四日ですよ」
 平将門? それが一千年以上昔、関東平野に君臨した武士の名前である位は、かつて大河ドラマを見ていた榊も知っていた。しかしその事が桜乃宮ルミ子と何の関係があるのだろうか。遠い血筋か? それとも・・・。榊は、その若者に将門について知りうる限りの事を話してくれるように頼んだ。幾つかのエピソードの中、榊の耳に留まったのは、東京のど真ん中にあるという将門の首塚の話だった。大手町のビル街の中に、その一角だけがんとして開発の波を寄せつけない巌のごとき塚があると言うのである。
「首塚は、都、つまり京都に運ばれた将門の首が、打ち捨てられた胴体を慕って飛んできた末、落ちたところだそうです。明治になってその場所に大蔵省の庁舎が建てられたそうですが、関係者が次々と事故や病気で亡くなって、大慌てで供養の末、現存の形で塚を保存する事にしたそうですよ。あの辺りのオフィスでは背中を塚の方に向けないように机を配置しているそうですし、東京では今でもみんなの畏敬を受けているスポットなんですよ」
「地図をくれ!」
 榊は、たまたま自分を訪ねてきた田川巡査長に声をかけた。田川は、榊の依頼から精力的に歩き回り、かなりの数の悪夢を拾い上げた上、ご苦労にもそれを地図に落として持参したのである。が、この偶然が榊に事件解決の糸口を与える事になろうとは、榊の警官としての強運ぶりが見事に立証されたと言えるだろう。田川が榊に寄こしたのは、当然の如く持参した例の『悪夢マップ』そのものだったのである。
「その首塚というのは、何処にあるんだね」
 広げられた地図を見た佐々木は、躊躇なくここですよ、と東京駅にほど近い、大手町ビル街の一角を指さした。
「成る程、確かにビル街だな。でも本当にこんな所に?」
「まあ一度見れば納得できますよ。あんな特等地が全く手も付けられないで本当に残っているんですから」
 しかし榊の耳は、この時既に佐々木のために回路を開いてはいなかった。榊の注意は、明らかにある形状を示す、地図の図形に奪われていたのである。
「やはりそうか・・・」
 直径およそ十二キロメートル、円周約三十八キロ。かつて、東京周辺に何やら散らばっているとしか思えなかったその点は、今ははっきりと美しい真円を描いて東京を囲んでいるのだった。そして、確かに佐々木の言う将門の首塚が、その円周上にしっかりと乗っかっているのである。
(それにこれはどう言う事だ? 何か、関連があるんだろうか?)
 そのリングは、渋谷の所だけが、青い点が集まって直径五百メートルほどの固まりになっていた。それはまるで、赤い指輪にのった宝石のようにも見える。実の所、それは三月の初めに収集された悪夢「東京壊滅」の集合だったのだが、この様子を見た榊の勘は、明らかに確証に近づいている事を主人に告げた。
(これは調べてみる価値がある)
「しばらく戻らんが、後はよろしく頼む」
 榊はコートを手に取りながら、同僚に言いおいて部屋を出た。目指すは将門の首塚である。
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9. 3月23日 曙光 その2

2008-03-20 08:16:10 | 麗夢小説『悪夢の純情』
 あれももちろんガス爆発などではない。悪夢と化した少女の怨念がもたらした災厄で、麗夢、円光の協力のおかげであの程度の被害で済んだのだ。ああ、早く麗夢さん達の手がかりを探しにいかないと・・・。榊の焦りが募りだした。そこへ、また一枚の紙が榊の足下に滑り込んだ。
「その次はと・・・、ああ、夢隠し村の連続殺人か。これも何の解決も付かないまま、数人の男女が尊い命を犠牲にしたな。怪物が出た、とか言う馬鹿げた騒ぎと自衛隊の不祥事のおかげで何とか事なきを得たが。それから少なからぬ経費をかけて君を日本代表として送り出したフランケンシュタイン公国での騒ぎ。全く日本警察の看板に泥を塗りおって」
 次々と足元に飛んでくる事件調書の概要。どれもこれも、榊にとっては忘れがたい事件である。そして何よりもその全てに、今は行方不明になって久しいかけがえのない仲間達の記憶がつまっているのだ。
「・・・次にこの間の少女連続失踪事件では見当違いのサーカス団を捜査したあげく、ここでも人が一人死んでいる。おっと、人殺しだけではなかったな」
 高木警視正は紙を榊に投げつけながら、あたかも彼等を殺したのはおまえだと言わぬばかりに榊に言った。
「君は一体何を考えているのかね。突然深夜に模型店のショーウインドウを破り、ラジコンのセスナ機を押収したそうだな。全く、どういう積もりかしらんが、馬鹿な事をしてくれたものだ」
 それは、榊としても少々反省する所もあった。夢魔の女王によって仕掛けられたリンゴ型時限爆弾に対処するためとはいえ、もう少しやりようがあったかも知れない。そんな榊の心の動きを見透かすように、高木警視正は最後の紙をつまみ上げた。
「どうだね、自分の経歴に付着した汚点を改めて点検してみた感想は。確かに君は能力人望共に得難い人材であり、成績についても申し分ないことは私も承知している。しかしだからといってこんなに好き勝手をしても良いと言うことにはならない。三〇年前なら通用したんだろうが、犯罪も複雑化する現代において、君のような型破りな存在は警視庁という組織には邪魔なのだよ。これからは個人の力量ではなく、組織の力をもっと発揮しなくちゃならんのだ」
 優越感を隠そうともせず一席ぶった警視正は、これが最期だとばかりにつまんだ紙を榊に放りつけた。
「拾い給え。取りあえず内内示だ。一週間もあれば身辺の整理を付けるには十分な日数だろう」
 榊は黙ってその最後の紙を拾い上げた。それは、ある意味で恐れていた内容と言えるだろう。
「左遷、ですか」
「まあ君もこれまで随分東奔西走してきたんだし、ここらで定年までゆっくり休んでくれ給え。ああもちろん辞めてくれても構わんぞ。その時は、この私が責任を持って早期勧奨退職の手続きをとってやる。そうすれば私も君のためにこんな部署を新設する手間が省けるし、君も割り増しの退職金を手にできるというわけだ」
 紙には、榊を警部補に降格するとともに、「資料分析課第三室」への転属を命ず、と記されてあった。
「四月一日だ。それまでに進退を決めてもらおう」
 高木は壁のカレンダーを指さして榊に迫った。釣られて榊もカレンダーを見た。そのカレンダーは、月の満ち欠けや大安、仏滅、九紫や八白といった暦も記されている、ごくありふれたものだった。榊は失職という未来に現実感を失いながら、そういえば月の満ち欠けと事件の発生頻度に関係があると言うのを何かで読んだな、と場違いな思いを弄んだ。そしてその四月一日の項を何気なく見流した榊は、そこに何か気にかかる大事な事が書いてあったような気がして、もう一度そこを眺め直した。まず、エイプリル・フールとあるカタカナが、そのカレンダーの中ではまるで浮いている感じで目に入った。ついで月曜日、八白、月齢十二と続き、最後に見えたその項目に、一瞬榊は我を忘れるほどに驚いた。
「こ、これだ。間違いない!」
「何が間違いないのかね」
 不信感を抱いた高木警視正が思わずのけぞりたくなるほどに、榊は上機嫌で笑顔を見せた。
「判ったんですよ。二月十四日の謎がね」
「二月十四日? 何を馬鹿な事を。今は三月だぞ」
「それよりお話はそれで終わりですか? 高木警視正」
 榊の突然の気分の変化に、高木は明らかに気味の悪いものを感じていた。普段ならそんな事を聞かれようものならさすがに怒鳴りつけていたに違いない榊の問いだが、高木はただ黙ってうなずいた。しかも榊は、高木の許可を確かめる時間も惜しいとばかりに、完璧な敬礼を一つ警視正に見せた。
「では、失礼します」
 言い終わると同時に、高木の目に一瞬翻った榊の背中と、それを遮る様に閉まるドアが映った。高木はそれだけ呆然と見送ると、漸く榊の無礼に気が付いて、わきたった憤怒のままに残りの書類を床に放り投げた。
「くそっ。人望もあることだしと穏便に済まそうとした私の好意を無碍にしおって! この際何かねつ造してでもとっとと懲戒免職にすべきだった! しかしおかしな事を言いおって、二月十四日だと? どう見ても今は三月じゃないか」
 高木の視線は、榊と同じく四月一日の項に注がれたが、そこに小さく記された、ある日付にまでは注意が及ばなかった。そこには、こう記されていたのだ。
「旧暦 二月十四日」と。 
 しばらくカレンダーを眺めた高木は、ふっと一つため息を付くと、床に散乱した書類を片づけるよう、部下を一人インタホンで呼びつけた。
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9. 3月23日 曙光 その1

2008-03-20 08:15:21 | 麗夢小説『悪夢の純情』
田川に調査を依頼してから数日後、榊は上司である高木警視正に呼び出された。この忙しい時に、と焦燥を募らせる榊は珍しく廻りに愚痴をこぼしたが、さすがにそれを無視する事もできず、眉間にしわを寄せたまま警視正のオフィスを訪れた。
「榊、入ります」
 ドアを開けると同時に榊は敬礼した。警視正は正面奥の大きな書斎机の向こうで、片手を上げて待つように合図した。何か書き物をしているらしく、忙しそうにペンを走らせている。そんなに忙しいなら呼びつける事はなかろう、と榊は不満げに呟いたが、辛抱強く直立不動で待ち続けた。そのまま数分間が過ぎ、そろそろ榊もじれてきた頃、漸く警視正は顔を上げて榊を見た。
「忙しいところをご苦労だな。榊警部」
 榊より十才若いその口元は一応ほころんではいるが、榊を射るように見つめる目はけっして笑ってはいない。榊はかえって緊張し、何が飛び出るのかと身構えた。
「いいえ。それより警視正直々のお呼び出しとは、一体何事ですか?」
「うむ、大した事ではない」
 警視正は少し表情を改めて、手を組み直した。
「君に関する少し良くない噂を耳にしたものでね。ちょっと確かめようかと思ったのだよ」
 この高木警視正は決して怒鳴りつけたりする事はない。それだけにつきあいの浅い人間は、この四十代のキャリア官僚を組みし易しと誤解してしまう。しかし、榊はその穏やかさの裏に、隙あれば人を陥れずにはいられない性悪な本性が隠れている事を知っていた。良くない噂というなら先ず自分を改めるがいい、などと榊は思うのだが、もしそれを誰か同僚にこぼしたりすれば、この目の前の男は必ずその事を探知して、笑顔のまま閑職への配転通知を寄こしてくれるのだ。榊は勿論そんな愚行はしていない積もりだったが、ここ数日の焦りから出る愚痴の内に、あるいはそんな内容を口滑らせてしまったかも知れない、と不安になった。そんな榊の心情を知ってか知らずか、警視正はおもむろに榊の罪状をあげつらいだした。
「君に妙な評判が立っているのは知っているよ。何でも、常識では手に負えない非科学的な問題が現れた時が、君の出番だそうじゃないか。この間のフランケンシュタイン公国での事件も、私には到底信じる事が出来ないが、ばかげた噂を幾つか耳にしている。全く、この二十世紀に死神だの悪魔だの、子どもじゃあるまいし一体どういう積もりなんだろうねえ。まあそれはともかく、君もそんな評判はさぞ迷惑に思っているんだろうとずっと私も心を痛めていたんだが、どうも君の日頃の行動は私の思いとは少しずれたところにあるような気がしてならないのだよ」
 警視正は少し言葉を切って、榊の目をちらりとのぞき込んだ。榊は無言、無表情である。
「率直に言おう。君は、都内の派出所に詰める若い者をそそのかして、おかしな調査をさせているそうじゃないか。私は到底信じる気にはなれないが、それは事実かね。榊警部」
 白を切る事は出来なかった。わざわざ呼びつけてこんな話をするからには、その辺りの事情は全部調べ上げているはずなのだ。数瞬のためらいの後、榊は、むしろあっさりと事実を言った。
「事実です。ですが、『おかしな調査』ではありません。警視正」
「ほう、君はあれが、警察官としていささかも常軌を逸してはいない、とこう主張するのだね。榊警部」
 返事の代わりに、榊は沈黙を貫いた。高木警視正の笑顔を型どった唇が、その目と同じ厳しいものに変化した。
「答えたまえ。君は、警察官が地域住民の夢を調査する必要があると、こう主張するのだな?」
「そうです」
 榊は、むしろ傲然と言い放った。今更隠しだてしても始まらない。榊は時間が浪費されていく焦りもあって、このやりとりがとてつもなく面倒になっていたのである。
 高木警視正の右手が突然机の表面を叩き付けた。
「もういい! もう少しまともな返答が聞けるものと期待していたんだが、君には失望したよ。榊警部」
 がらりと音がしたのは、警視正が机の引きだしを開けた為だった。警視正の左手が、今叩いた机の上に大きな紙束を放り出した。
「君の記録だ。どうも君は、死夢羅博士の事件以来常軌を逸し始めたらしいな。その手始めが、無抵抗の死夢羅博士を射殺した、と言う事だ」
 警視正の手が紙束の中から一枚抜き出してそれを榊に放り出した。
「現場にいた者の証言によると、君は死夢羅博士に対し、『貴様には法律など必要ない!』と暴言を吐いて引き金を引いたそうだな。全く、君ほどのベテランが何故そんなマスコミを喜ばせるような事をするのかねぇ?」
 榊は無言のまま高木警視正の顔を見つめていた。そう。確かにあの時、そんなことを言って引き金を引いた覚えがある。あの後、榊自身もさすがにあれは少々やり過ぎだったかと思い返しもしたものだ。死夢羅が復活して再び挑戦してくるまでは・・・。榊が足元に落ちた死夢羅事件の顛末を記した紙を見ながら自分の正しさを反芻していると、その上にまた別の紙がふわりと重なり落ちてきた。
「ついで君の担当した聖美神女学院の少女連続殺人事件は、結局迷宮入りの上、経営者と教師の二人が新たに死んで、さらに校舎のガス爆発で全ての手がかりががれきに埋まってしまうというおまけまで付いた」
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8. 3月11日未明 虜囚 その5

2008-03-20 08:12:59 | 麗夢小説『悪夢の純情』

「いやあああぁっ!」
 死夢羅も同時に動き出した。二人は丁度部屋の中心で互いを迎え、必殺の一撃を見舞いあった。
「きえええぇいっ!」
 二人の気が激突し、巨大な火柱の如く天井高く吹き上げた。天井を走った一瞬の雷光は、結界と二人のエネルギーが激突した証拠だった。耳をつんざく炸裂音が周囲の音を奪い取り、建物全体を揺るがして、もうもうたる粉塵が闘技場を包み隠した。
「やったか?!」
 麗夢は煙幕を張ったように見えなくなった天井を、目を細くしてにらみ据えた。死夢羅も同じように顎を上げている。が、麗夢よりも僅かに早く、死夢羅は己の成果をそこに確かめる事ができた。
「やったぞ! ははは、遂に打ち砕いてやったわ! ざまを見ろ!」
 死夢羅は忽ちマントを広げ、驚くべき脚力でさっと天井に飛び上がった。その先に、引きちぎられたようなふちをさらした巨大な穴が、それを穿った張本人を迎えようと暗黒の空間を広げている。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 一人で行っちゃうなんて、ひどいじゃない!」
 死夢羅が逃げ出すのを呆然と見送った麗夢は、一人取り残されたのを知ってあわてて死夢羅に言った。天井は高く、いかにジャンプ力には自信のある麗夢でも、何の足がかりもなく飛びつくには、少しばかり距離がありすぎる。だが、麗夢が見上げながら危惧した通り、死夢羅は傲然と穴のふちで仁王立ちに麗夢を見下し、嘲るように言い放った。
「馬鹿め、結界破壊は協力しろと言ったが、その後の事までは知らんわ! まあ、そうやって口を利いていられるのも時間の問題よ。もうすぐ、貴様とあの女の頭上に、地を浄化する暗黒の星が降ってくる。ふぁっはっはっ、それまでこの下らない実験に、せいぜい励む事だな」
「ちょっと、どういう事よ!」
「さらばだ、麗夢!」
 死夢羅は麗夢の言葉を無視してマントを翻した。麗夢は拳を握りしめて悔しがったが、穴のふちを離れて視界から消える死夢羅をどうする事もできない。が、実は麗夢が後悔したほど、事態が死夢羅の思い通りに進んだ訳ではなかった。当の死夢羅は、わずか二歩ほど進んだ所でその場に立ちつくしていたのである。
「こ、ここは?」
 死夢羅にとって、闇は自分の本来あるべき場所である。従って、この部屋の暗さは、その視界にとっては何の妨げにもならなかった。むしろ死夢羅は、その身覚えのある風景に、部屋の暗さのせいで見間違えているのだと納得したかったのである。林立する真空管。夢魔の触手の如く這い廻る電線。様々な色のライトが雑ぱくな混乱を演出し、大量の熱にむせかえる空気。見覚えのある緑のモニターがやけに明るく死夢羅の目を射り、その中を流れる文字列が、久々に現れた主人を歓喜の声で迎えるが如くまたたいて見せた。
「わ、わしの、わしの実験室ではないか!」
 あのルミ子に拉致された日、珍入者、円光を迎え撃つべく飛び出た窓が、まるでそれがついさっきの事だったかのように開け放たれている。反対側には、ケーブルのやけ切れたエネルギー捕捉帽が無造作に転がっている。死夢羅は落ちつきなくあちこちを見回して、間違いなくここが自分の実験室であると納得しなければならない事に茫然となった。
「そう。ここは博士が実験していたビルの中。博士が壊した天井は、博士の実験室の床だったと言うわけ」
 はっとなって振り返った死夢羅に、いかにも嬉しそうなルミ子の笑顔が輝いた。
「もう一つ、ついでだから教えてさし上げますわ。博士の丹精込めた小惑星。このまま順調にいけば、太平洋に落下しますわよ」
 おーほっほっほっ・・・、と甲高いルミ子の笑い声が、死夢羅の目を覚ましたようだった。
「ど、どう言う事だ!」
「ご自分で、お確かめになったら? そのがらくたで」
 ルミ子の指した指先に、例のグリーンディスプレイがあった。死夢羅は逃げるのも忘れてモニターに飛びついた。手元のキーボードを幾つか叩き、流れる文字列を追った死夢羅は、ルミ子の言葉が確かに誤っていない事を、その画面に発見した。
「な、何故だ。どうしてはずれるんだ・・・」
「ちょぉっといじらせてもらったわ。随分古くさくて効率の悪いプログラムね。時間がなくて少しずらせるのが精いっぱいだったけど、まあ目的は達したわ」
「貴様どうしてそんな事を!」
「知れた事じゃない」
 ルミ子の目に、妖しくも苛烈な光が宿った。
「誰にも私の実験を邪魔させないわ」
 死夢羅はがっくりと肩を落とした。完敗である。もはや逃げる気力もなかったが、脱出できない事も分かり切っていた。いつのまにかルミ子の影から杜野都の小さな姿がのぞいて、死夢羅の様子をうかがっている。少しでも逃げるそぶりをすれば、例の機械で動けなくされるのは分かり切った事だった。
「あちらの方には、お部屋の方にお戻りいただきました」
 報告に満足したルミ子は、勝ち誇った様子で都に言った。
「ばあや、博士もお部屋に案内して頂戴。大事な実験を控えているから、丁重にね」
「かしこまりました。お嬢様」
 死夢羅は直ぐに弱い拘束感を全身に覚えたが、かつての如く抵抗しようと言う意志すら見せなかった。死夢羅にとって、麗夢に見られていない事だけが幸いと言えたかもしれない。だが、かつて無限の時間を旅する中で、恐らく初めて見せるに違いないそのしょげ返りように、ルミ子は少しばかり心配げに語りかけた。
「博士、あなたの方がさっきの女の子より高い精神エネルギー値を示したから、私はあなたに決めたのよ。もう少ししゃんとして下さいな」
「もうなんとでもすれば良かろう。どうなろうが、わしの知った事か」
「そんな事はないはずですわ。博士ならきっと興味がおありの筈よ。精神、ひいては生命の根元に迫る物質、霊子の存在証明実験。これは、博士の協力がないと出来ない事なんです。もうすぐ準備できますから、今しばらくゆっくりしてらして下さいね」
 からからと絶対優位を確信する笑い声を背に受けながら、死夢羅はかつての自分の城を後にした。さしもの死夢羅も、心の中にもう一度憤怒の炎を点火するには、今しばらくの時間が必要であった。
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8. 3月11日未明 虜囚 その4

2008-03-20 08:12:39 | 麗夢小説『悪夢の純情』
 一瞬、投光器の光も色を失うほどの閃光が麗夢を包み、妖しくも力に充ち溢れた一人の女戦士を世に生み出した。その手に握るのは、自らも真白き光を放って闇を絶つ破邪の剣、身に纏うのは肌も露な姿ながら、夢の戦士としての能力を最大限に生かしきる、最強の戦闘衣装である。
「行くわよ! 死神、メフィスト・フェレス!」
「はーはっはっ、いいぞ、その調子だ。さあ参れ!」
「はあぁーっ!」
 剣を上段に振りかぶった麗夢は、そのまま勢いを付けて死夢羅に突進し、袈裟掛けに切り落とした。それを死夢羅の鎌が迎え撃ち、両者の頭上に裂帛の気が破裂して火花が散った。
「いい打ち込みだ。腕の方は、身体ほど鈍ってはいないようだな」
 死夢羅は鎌を突き上げて剣ごと麗夢をはねとばした。そのまま柄から左手を離し、右手一本で柄の端を持つと頭上で鎌を一旋、勢いを付けて麗夢の胴へ切りつけた。すんでの所で麗夢は跳び下がる。二度とんぼを打って死夢羅の追撃を交わした麗夢は、着地と同時に再び死夢羅に突っ込んだ。もう一度頭上で鎌を振りかざした死夢羅が、あわててその柄で麗夢の剣を受けた。
(ううむ、結構やりおるわ。これなら何とかなるかもしれん)
 死夢羅は、内心の冷や汗をひた隠しにしつつ、麗夢の剣圧を支え続けた。一方麗夢も、後少しで鎌の防御を突破して、死夢羅に一太刀浴びせられるとばかりに、歯を食いしばって押し込んだ。下手に引けば、間合いの深い相手の思うつぼになる、との思いもある。今少し! と更に半歩足を進めたその時である。
(麗夢、聞こえるか? このメフィストの言葉が?)
 麗夢は、はっとして顔を上げた。
(馬鹿者! 力を抜くな! あの女に感づかれるだろうが!)
「な、何を考えているのよ」
 麗夢は、つばぜり合いの合間を縫って、そっと死夢羅にささやいた。
(馬鹿っ! 声を出すな、声を! 貴様も念話ぐらい出来ようが。ここにはどんなセンサーが仕掛けられているともしれんのだぞ)
(馬鹿馬鹿ってうるさいわねっ! これでいいんでしょ?)
 麗夢の「言葉」にうなずいて、死夢羅はにやりと口元をゆがめた。その瞬間、死夢羅は想像を絶する力で、麗夢の剣をはね飛ばした。突然の死夢羅の念話に油断した麗夢は、あっさりと尻餅をついて倒れ込んだ。
「きゃっ!」
と思わず叫んだのと、しまった! と後悔したのとはほとんど同時だった。その隙を逃す死夢羅ではない。大上段に振りかぶった鎌を、その膂力の許す限りの勢いを持って、麗夢の頭上に叩き付けた。麗夢も咄嗟に剣で受けたが、その圧力に上半身だけで対応できるはずはない。麗夢はそのまま仰向けに倒れ込み、したたかに頭を打った。そこへ、のしかかるように死夢羅が鎌に体重を乗せる。目の前に火花が散るのを見た麗夢は、遠のきそうな意識を懸命に支え、眼前に迫る鎌の冷徹な圧力に必死に耐えた。そこへまた死夢羅の念話が飛び込んできた。
(良いか、これから言う事を良く聞け、麗夢)
(そ、そんな事で油断させようったってそうはいかないわよ!)
(愚か者め! わしがその気なら、貴様のそっ首、とうの昔にその隅に転がっておるわ! こんな風になっ!)
 途端に死夢羅の重みがぐっと増えた。くうっ、と顔をしかめて麗夢も耐えたが、この不利な体勢ではどうしようもない。数瞬そのまま体重をかけ続けた死夢羅は、麗夢の腕が限界の悲鳴を上げる寸前に、わずかに力を緩めて言った。
(これで分かっただろう。とにかくもう少しこのまま戦いを続けるぞ。そして、機を見てこの結界から脱出する。良いな?)
(脱出するですって?)
(そうだ。残念ながら、あの女の張った結界はわし一人では手におえん。勿論貴様一人でも破れるものではない。しかし、わしと貴様がその力を合すれば、一瞬でも結界に亀裂を入れられるだろう。それを見計らって脱出し、捲土重来を期すのだ。分かったら協力しろ!)
 そんな事を考えていたのか! と麗夢は絶句した。互いに命を取り合う不倶戴天の間柄であるのに、まさかメフィストと力を合わせる時が来ようとは、麗夢には想像だに出来ない怪事であった。麗夢の沈黙を不信故と判断した死夢羅は、更に麗夢に語りかけた。
(ええい、じれったい! 何を躊躇しておる! 貴様に残された道は、わしに協力するか、このまま首を落とされるかの二つしかないのだぞ! どっちが有益か、考えてみるまでもなかろう!)
(もう一つ、あなたを倒すという選択もあるわ。でも、二人分の力なら、本当に結界を破れるの?)
 またも死夢羅はにやりと笑った。そんな疑問を出す事自体、麗夢の考えが大きく自分の方に傾いた証拠だからである。
(当然だ! やる気になったか?)
 しばしの沈黙の後、麗夢は答えた。
(分かったわ。敵の敵は、味方とも言うし、確かにあなたの言うとおり、一人ではルミ子さんの結界を突破できない。で、どうするの?)
(取りあえず、先ず軽く気を練ってわしをはじき返せ。なあに、心配はいらん。貴様にあわせて後ろに飛び離れてやる。だが、あの女に気取られるな! それなりの力であと二、三合やり合うのだ。その後、合図するから全エネルギーを結集して、天井の中心を撃て!)
(天井の中心?)
(そうだ。見た所あの部分が霊的にも、物理的にももっとも弱いようだ。二人分の力なら必ず突破できる。では、いくぞ!)
 返事の代わりに、麗夢は苦労して自由にした右足を、死夢羅の鳩尾にあてがった。
(手加減はしないわよ!)
 心で叫ぶと同時に、麗夢は思いきり死夢羅を蹴りとばした。死夢羅はバネ仕掛けのように大げさに吹っ飛び、壁にその身を叩き付けた。麗夢も跳び起きて構え直す。ずり落ちた死夢羅は、側頭から一筋の鮮血を滴らせ、よろめくように立ち上がった。勿論死夢羅自身はあれくらいではさしたるダメージも受けていないのだが、偽りの戦いを見破られては元も子もない。一方麗夢は、此方はかなり本気で肩で息をしながら、何とか呼吸を整えて死夢羅に駆け寄った。飛び込みざまに剣を叩き付け、横様に薙ぎはらい、真っ直ぐに突く。死夢羅もその斬撃をはじき返し、隙をついて切りかかる。いったん二人は間合いをはずし、互いに壁を背にしてにらみ合う事数秒、一瞬、死夢羅のまだまばたきのきく左目が閉じた。背筋の寒くなる死神のウィンク。だが、今回だけは生涯一度きりの友好の合図だった。麗夢は下段に剣を構え、息を整えると脱兎の如く突進した。
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8. 3月11日未明 虜囚 その3

2008-03-20 08:12:01 | 麗夢小説『悪夢の純情』
「無駄な事をしとらんで、さっさと来い、麗夢」
 それ位の事は散々やり尽くした死夢羅にとって、麗夢のやる事は全くの無駄にしか見えない。
「この建物は、物理的にも、霊的にも完全にあの女の支配下にあるのだ。お前などが幾ら歯を食いしばってみたところで、何も変わりはせん」
 『あの女』との言葉そのものに苦虫が潜んでいるとでも言うように、死夢羅は不機嫌に麗夢に言った。すると、今死夢羅が噛んだ苦虫が、千匹にも増殖しかねない声が二人の頭上に鳴り響いた。
「おーや、随分お利口になりましたわね、死夢羅博士」
 死夢羅は、心をやり場のない怒りで噴火寸前の煮えたぎる溶岩で満たしながら、きっと視線だけ、何処とも知れぬルミ子に向けた。麗夢も、ドアに取り付くのをいったん止めて、ルミ子に向かった。
「円光さんとアルファ、ベータを今直ぐ出しなさい!」
 すると、感情を逆撫でする甲高い笑い声が二人のいる廊下に充ちあふれ、続いていかにも人を小馬鹿にした様な物言いが麗夢を打った。
「やっぱり子どもじゃないの。だだをこねるのもいい加減にしないと、また気絶していただくわよ。もっとも、今度はもう少し苦しんでいただく事になるけどね。おーっほっほっほっ!」
 麗夢は、甲が真っ白になるほど拳を握りしめてその嘲弄に耐えていたが、やがてドアを背にすると、中で耳を澄ましているはずの仲間に呼びかけた。
「円光さん、アルファ、ベータ、後で必ず助けるから、ちょっとだけ待ってて」
(不可能だな)
と死夢羅は思ったが、言い終わった麗夢が自分の方に歩き出した所で、死夢羅は改めて目標に向けて足を踏み出した。
「ちょっと、どこ行くのよ?!」
「黙ってついてこい。直ぐに分かる」
 死夢羅は明らかに自分の行くところを了解しているらしく、大股でどんどん歩いていく。麗夢はそれを追うだけでも随分早足で歩かなければならなかった。途中駆け上がった階段や廊下も、さっき目の覚めた部屋と同じく、明かりは足下の間接照明だけの薄暗さである。その中で、先を行く死夢羅の黒尽くめの姿は、少し目を離すと忽ち闇に溶け込んでしまう。麗夢はまばたきするのもこらえて、死夢羅の姿を見失わないように努力する必要があった。どれ位たっただろうか。麗夢の額ににじんだ汗がやがて玉を結んだ頃、麗夢の目の前で死夢羅の姿がふっと消えた。
「うそっ!」
 驚いた麗夢が走っていくと、突然行く手に壁が現れた。すんでの所でたんこぶを作り損ねた麗夢は、そこから道が左に折れている事を知った。暗がりを透かしてみれば、死夢羅のシルクハットが、不気味に上下しながら先へ、先へと流れていくのが見える。今度は慎重にと麗夢が追いかけると、死夢羅の足がすっと止まった。漸く追いついた麗夢は、少し息を切らせながらも死夢羅に言った。
「こ、ここは、どこ?」
 そこは、先の見えない洞窟のようながらんどうの空間だった。照明は相変わらずの薄暗さで、一向に部屋の広さがうかがえない。しかし、死夢羅は麗夢の問いに答えなかった。不快げな目で麗夢をにらんだ死夢羅は、憂鬱そうに麗夢に言った。
「貴様、これ位で息を切らせておったのでは余り当てに出来ぬな。この間手あわせした時より、少し太ったのではないか?」
「よ、余計なお世話よっ! それよりここは・・・」
 と再度麗夢が問いかけようとしたその時である。突然の明かりが、麗夢の視力を一瞬だけくらませた。死夢羅もさすがにこれはまぶしかったと見えて、目をかばうようにシルクハットを傾ける。そこへ、再び頭上からルミ子の声が降り注いだ。
「私のラボにようこそ、ドリームガーディアンズの皆さん」
「わしは、そのような無粋なものではないわ」
 死夢羅はうなるように呟いたが、無論ルミ子までは届かなかった。もっとも、これまでに散々死夢羅の悪口雑言を無視し尽くしたルミ子であるから、たとえその声が届いていたとしても、まるで相手にはしなかっただろう。だが、ここにまだ、そのような無駄働きに飽いてない人間が一人いた。
「ちょっと、姿を見せなさいよ! 桜乃宮ルミ子さん!」
 無駄だよ、と死夢羅は思ったが、案の定ルミ子は麗夢の言葉を無視して、これから行う実験について、説明を開始した。
「これから、あなた達にはここで全力で戦ってもらうわ。ここの精神力場はレム睡眠の脳波に極似させてあるから、多分そちらの女の子にも全力が出せる筈よ。それから、勿論相手を殺すつもりでやって欲しいのよ。まあ、そんな事をわざわざこっちで言わなくても、仇敵同志の間柄だからそれなりにやってくれるとは思うんだけど。始まりと終了はこちらで指示するわ。精神捕捉機のスイッチを切った瞬間が始め。再び入れた瞬間が終わり。分かりやすいでしょ。あなた達なら、スイッチが切れているかどうか、肌で感じられる筈だし。あ、それから手を抜いたりしたら直ぐ分かるから、その時は言う事を聞き易いように少しばかり痛い目を見てもらうかもよ。じゃあ、始めて頂戴」
ルミ子が言い終わるとともに、無言の圧力のように麗夢を押さえつけていたものがふっと消えた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! どういう積もりなの?! あなたの言いなりになって戦うと思ってるの?」
 しかし、麗夢の思惑と大きくはずれたところで、急激に高まる不穏な空気が麗夢に吹き寄せてきた。
「早く変身しろ、麗夢。生身のまま、このわしと戦う気か?」
 死夢羅は既に愛用の鎌を取り出し、二度三度と振り回して久しぶりの感触を楽しんでいた。麗夢は危険なものを感じながらも、強制された戦いに気が乗らず、死夢羅に止めろと呼びかけた。
「ちょっと待ってよ! あなた、彼女の言いなりになって平気なの?」
「ふん、もはやそんな事はどうでもいい。光と闇が別れて以来、永劫続いたこの戦い。今こそ闇の勝利でけりを付けてくれよう。さあ、早く変身しろ! 麗夢!」
 仕方ない、と麗夢も観念した。第一、このままではしびれを切らした死夢羅の鎌が、いつレオタードを引き裂いて自分の心臓に接吻を強要するかも知れない。しかし、麗夢が少し落ちついて考える事ができれば、死夢羅の本意に感づく事が出来たかも知れなかった。もし死夢羅が本気なら、その変身を待つまでもなくとっとと襲いかかってくればすんだ事なのだ。だが、急変する事態にいちいち死夢羅の芝居がかった態度の裏を読むゆとりは、残念ながらこの時の麗夢にはなかった。
 麗夢は、夢の戦士に変身した。
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8. 3月11日未明 虜囚 その2

2008-03-20 08:10:44 | 麗夢小説『悪夢の純情』
「・・・円光さん・・・」
「おお、麗夢殿気づかれたか!」
「アルファ、ベータではないか! しっかりいたせ! 麗夢殿、麗夢殿も起きて下され!」
 声だけではいかんともしがたい。円光は思い切って麗夢の背中に右膝を当て、肩を支えて一気に活を入れた。麗夢は、一瞬びくん! と身を反らせ、脱力していたあどけない顔がこわばった。円光は再び麗夢の前に廻り、肩を揺すってその名を呼んだ。
「麗夢殿! 麗夢殿!」
 眉間のしわが薄らぐと共に、堅く閉じていた麗夢の瞼が揺らぎ、やがて円光を魅了してやまない大きな瞳が花開いた。しばらく焦点の合わない視線を宙に惑わせていた瞳は、戻りつつある意識と共に、ゆっくりと自分を覗き込む美形の剃髪に合焦した。と同時に、可憐な唇がかすかに動いた。
 麗夢はまだ身体がしびれてぐったりしていたが、突然耳に届いた声が、麗夢のまだ醒めきっていない意識の底を蹴り上げた。
「目が覚めたか? 麗夢」
 半分信じがたさでさまよう視線は、その先に疑いようもない最強の仇敵を捉えた。麗夢は、バネがはじけるように立ち上がった。
「あ、あなたはっ!」
 しかし、次の瞬間には麗夢の身体は崩れるように右に倒れた。慌てて支える円光の肩に手をかけながら、麗夢は死夢羅を睨み付けた。死夢羅は苦笑いを浮かべながら、ようやく目の覚めた仇敵に話しかけた。
「ふん、麗夢、お前まであの女の手に掛かるとはな。不甲斐ない奴め」
 あなたもでしょ! と麗夢は思ったが、言い返す言葉を口にするまでに、麗夢は相手の様子のおかしさに気がついた。
「・・・あなた、死神よね?」
 麗夢は、怒鳴り返すのを止めて、のぞき込むようにして死夢羅を見た。目の前の死夢羅の様子は、本当にそれがあの死夢羅なのかと確かめてみたくなるほどに、意気消沈して元気がないのである。死夢羅は麗夢の問いに元気なく
「ふん」
 と鼻を鳴らしただけだった。その張り合いのなさには、すっかり麗夢の戦闘意欲も削ぎ落とされた。円光に助けられて改めて腰を下ろした麗夢は、まだ眠りっぱなしだったアルファとベータを起こした。二頭は目覚めたついでに先行する二人と同じく死夢羅に過剰反応した後、また同じようにその様子の変調に勘を狂わせて床に伏した。
「あなたが拉致されたというのは本当だったのね。死夢羅博士」
 麗夢は、相手を本名「ルシフェル」で呼ぶのをためらった。そう呼ぶにはあまりにも弱り切って、何か痛々しささえ覚えかねない程寂しく見えるのである。
「言うな。あんな娘に手もなくひねられたなど、思い出しただけでも腸が煮え返るわ。それよりも破戒坊主!」
「拙僧は円光だ!」
「そんな事はどうでもいい。わしが言いたいのは、貴様、あの娘の手の内を知りながら、何故また同じ手に引っかかった? この役たたずめ!」
 円光は、一番痛いところを突かれてぐっと詰まった。苦しげに何か言い返そうと試みたが、死夢羅の言うことは紛れもない事実である。その結果として麗夢まで危険な状況に追い込んでしまったのが、円光としても痛恨の失敗だった。
 沈黙した円光をかばうように、今度は麗夢が質問した。
「あのおばあさんが使っていた装置は一体何なの? あれを向けられた途端、動けなくなったのよ」
「あれか?」
 死夢羅は一呼吸置くと、驚くほど素直に話し出した。
「精神エネルギーに特異的に反応する一種の結界発生器よ。強力な磁気がプラズマを封じ込めるように、何か未知のエネルギーで精神力を押さえ込むらしい」
「で、ここで何をしているのかしら? 桜乃宮さんは」
「今に分かる。貴様の目が覚めたのはもう知っておろうからな。せいぜい休んで体力を回復しておく事だ。足も立たぬでは、わしもやりがいがない」
「どう言う事?」
「だから今に分かるて。今度はわしを失望させるなよ。麗夢」
 死夢羅は言ったきり、元々目深にかぶっていたシルクハットを更に深く落とし、それ以後幾ら麗夢が話しかけても返事すらしなかった。円光と目を見合わせた麗夢は、素直に死夢羅の忠告に従う事にした。どちらにせよ、今の死夢羅には危険を覚えるほどの力は感じられなかったし、休むほかにする事もなかったからである。円光は座禅を組んで全身をあるがままに床に据え、アルファとベータも、聞き耳だけたてて目を閉じた。麗夢も、死夢羅を正面に見据える位置で壁に背を付けると、軽く目をつむって緊張を解いた。
 およそ一時間もたっただろうか。何時しかうとうとと眠りこんでいた麗夢は、突然頭上から降ってきた声ではっと目が醒めた。
「お目覚めかしら、皆さん? こちらの準備が出来たから、そろそろ起きていただくわ」
 見ると死夢羅は既に立ち上がり、入り口のドアへ大股に歩き始めている。あわてて跳び起きた麗夢は、死夢羅を追ってドアに走った。その後をアルファ、ベータ、そして円光が続く。先を行く死夢羅の前で、ドアがかちりと音を立て、外側にすうっと開いて見せた。その途端である。後半歩で麗夢に追いついた円光、アルファ、ベータの足が、まるで床に吸い付いたように、全く自由を失ったのである。
「麗夢殿!」
「にゃん!」
「わんわん!」
 麗夢は、部屋を出たところで突然引かれた後ろ髪に振り返った。一瞬だけ麗夢の視界は身動き取れずに困惑した一人と二頭を捉えたが、それは瞬きする間もなく、音もなく閉まった白いドアに遮られた。
「円光さん! アルファ! ベータ!」
 麗夢は閉じこめられた円光達のために、死夢羅を追うのを止めてドアノブに手をかけた。板一枚向こうで、自由を取り戻した円光がドアを乱打し、アルファ、ベータが爪を立てる音が聞こえてくる。
「くうっ! どおして開かないのよ!」
 麗夢がノブを握りしめ、足までかけて踏ん張ったが、ドアはまるで壁と一体になってしまったかのように、僅かなきしみすらしなかった。
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8. 3月11日未明 虜囚 その1

2008-03-20 08:09:03 | 麗夢小説『悪夢の純情』
円光の目に開けと命じたのは、うつ伏した意識にささやいた、得も言われぬいとおしき香りであった。普段はそう意識しないのに、時にふっと鼻を打って円光の気持ちを華やかにざわめかせる優しい匂い。それは、まさしく麗夢の存在を示す物である。
「麗夢殿」
 目覚めると同時に円光は口にしたつもりだったが、残念ながら円光の舌は主人の命令に従わなかった。何度か声を出そうと試みた円光は、同じく身じろぎしようとした足や手と共に、すぐに全ての動作を諦めた。
 手足がまるで動かない。それは、都に攻撃された時と同じである。だが、あの時ほども苦しくはなかった。恐る恐る開けた目は暗闇に閉ざされて用をなさなかったが、円光の意識を目覚めさせた嗅覚を始め、耳も、皮膚感覚も、おおよその程度は機能を取り戻しているようだ。おかげで、自分の身体が何らかの袋に入っており、その中で自分が仰向けになっている事、そして上から何か行動の自由を許さない、温かく、柔らかな重い物がのしかかって、自分がそれを抱き抱えるようにしている事が分かった。また、右半身の外側が、何か堅い洗濯板のような物に押し付けられている事や、時折袋が揺れて、自分がどこかに運ばれつつあるらしい事も、程なくして理解するところとなった。
(捕まったか・・・)
 現状では到底抵抗できないと悟った円光は、すっかりあきらめて力を抜いた。じたばたしても始まらない。麗夢や鬼童、榊の事も心配な円光だったが、それすらも忘れて心を平静に保つように円光は心がけた。そうして無我の境地にいれば、いついかなる事態に見舞われようとも、冷静に誤り無く対処できる筈である。しかし、しばらくして円光は、顔をくすぐる羽箒みたいな物が自分の顔全体を埋め尽くしている事に気がついた。その筆先のような一筋が、円光の鼻孔を刺激して、くしゃみをしろと強制している。円光としてもそれを素直に受け入れたいのだが、硬直した身体はくしゃみすら円光に許さなかった。
(これならもう少し気絶したままの方が良かった。それにしてもこの重いものは一体何なんだ?)
 肺腑をえぐるような苦痛に耐える位涼しい顔でやってのける円光だったが、さすがにこのくすぐりには早々に白旗を上げたい気分になった。それでもどうにか耐えている内に、急に身体がふわっと浮いたかと思うと、円光は唐突に背中と後頭部を痛打した。目に星がきらめいて意識が薄れる。が、その瞬間に目の前がぱっとひらけ、何か聞き覚えのある声が耳を打った。
「何時までそうしている気だ、破戒坊主」
 改めて目を開けた円光は、まだこわばって動きづらい首をめぐらせて、その声の主を追い求めた。辺りは薄暗く、堅い床面の他はもう一つよく判らない。床近い壁に灯る間接照明が唯一の光源であり、闇の中にその明かりの周囲だけがぼおっと浮かんでいるようにも見える。そして、円光はようやく慣れてきた目に、自分とは反対側になる、部屋の奥の一角に、真っ黒な何かがうずくまっているのを捉えた。視界が安定して来るにつれて、その固まりが室内というのに黒いシルクハットを目深にかぶり、やや乱れた銀髪をその端からちらつかせている様子が見えた。深い影の中から屹立する見事な鷲鼻が、彫りの深い顔に乗っている。まさか、と思った円光が、更に良く見ようと目をこらした時、その相手はもう一度円光に話しかけた。
「よほどその娘が好ましいと見えるな、ええ? 破戒坊主」
 円光は、漸く相手の正体を確信した。しびれていた全身の神経に突如警戒警報が鳴り響き、一気に倍増したアドレナリンが、円光の身体の隅々まで突っ走った。突如抱き抱えていた柔らかい物を突き飛ばした円光は、徒手空拳のまま身構えた。
「貴様! 死神かっ!」
「狭い部屋で吼えるな、破戒坊主」
 如何にもうるさいという風に顔をしかめて、死夢羅は円光に言った。
「それより、麗夢の目も覚ましてやれ。もう気づく頃だろうて」
 円光は、はっと気がついた。足下に、起きあがった時はねのけた物がうつ伏せに転がっている。赤いレオタードを被うように広がる豊かな緑の黒髪が、薄暗い照明でもきらりと輝いてみせた。
「麗夢殿! 気を確かに! 麗夢殿!」
 円光は麗夢の肩を取り、引き上げるように抱き取った。目は、片時も死夢羅から離さない。今襲われれば、恐らくひとたまりもないだろう。円光は必死に麗夢に呼びかけた。
「麗夢殿! 麗夢殿! おのれ死神っ! 麗夢殿に何をしたっ!」
「わしが? はっはっは、これはお笑い草だ。大体その娘は、おまえが大事そうに抱えていたんじゃないか。まるで自分の物だと言わぬばかりにな」
 死夢羅に指摘されて、そういえば、と円光は気がついた。途端に円光の顔が首もとまで真っ赤に染まった。あの、我が胸から腹にかけて密着していた重いものが麗夢殿の肉体だったとは! してみると、鼻をくすぐっていたものは麗夢殿の髪の毛か。円光は、手の平に残る豊かな柔らかさまで思い出して、すっかり狼狽した。
「何なら、もう少し見ない振りをしてやろうか? ひゃっひゃっひゃっ」
 おのれ死神ぃっ! とからかわれて円光も漸く自分を取り戻す。が、一端は抱き上げた麗夢をあわてて放り出してしまったあたり、やはり相当冷静さを欠いていたに相違なかった。
「あっ、これは申し訳ない、麗夢殿!」
 円光は大慌てでもう一度麗夢の上体を起こした。そこで初めて麗夢が大事そうに抱えている二つの毛玉に気が付いた。
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7. 3月11日朝 榊孤戦

2008-03-20 08:06:09 | 麗夢小説『悪夢の純情』
 事態は榊にとって絶望的だった。
 麗夢、円光、鬼童、それにアルファとベータまで、これまで榊の力となって共に難事件の解決に尽力した仲間達が、ほんの一時の間にあっさり拉致されてしまったのである。これだけの人が揃いながら、まるで手もなくひねられた事実は、榊の気分をたとえようもなく落ち込ませた。
(どうすればいい。自分一人で、あの化け物の手からどうやればみんなを救い出す事ができるんだ? 素性も、居場所も、何一つ判らないと言うのに、一体どうすればいいんだ?)
 一寸先どころか、目の中まで暗黒に染まったように途方に暮れた榊だったが、やがて東の空が白み始め、研究室に電灯以外の光が漏れ始めると、ようやく落ちついた自分を取り戻した。榊は徹夜でしょぼつく目をこすりながら、最後に鬼童が拾ってくれと言ったものを探して目の前のごみの山を左右に分けた。
「ルミノタイト・・・か」
 紫色に光る八面体。どちらかというとそれは榊にとって忌まわしい光を放っているように見えたが、その光の向こうに鬼童のメッセージが刻まれているのかも知れないと思うと、衝動のままにそれを床に叩き付ける訳にもいかなかった。腫れ物に触るようにして拾い上げた榊は、そのまま胸の内ポケットに放り込んで立ち上がった。
(もはや悩んでいても始まらない。何としてもみんなを助け出さないと。どうすればいいか、考えろ榊!)
 榊は握り拳で一つ頭をこづくと、まず定石通り研究室の物色を始めたのだった。
 こうして榊の孤軍奮闘が始まった。まず最初に取りかかったのは、桜乃宮ルミ子の素性調べである。どこで生まれ、どう育ち、いつアメリカに行ったのか・・・。榊は、普段なら決して思い出す事のない脳裏にこびりついた古い記憶を掘り出すべく、記録の海に飛び込んだ。榊は工藤という若い刑事を捕まえてコンピューターの前に引っ張り出し、桜乃宮、という名前で警視庁のデータベースを検索させた。確かにおぼろげながらその名前に係わった記憶がある。榊は頼りない自分の記憶を叱咤して工藤の操作を見守った。そしてそれは、ついに一通の記録として榊の記憶に鮮明に蘇ったのである。
「これだ。この記録を印刷してくれ。それから、この桜乃宮達三の家族は判らないか?」
 榊は、工藤が検索を続ける間、その薄い記録を読みとった。それは、二年前、榊が担当したとある心中の記録だった。首都圏でも定評あった中堅不動産会社、桜不動産が、バブル崩壊のあおりを受けて倒産、社長桜乃宮達三氏が細君を道づれに無理心中した、という一件である。当初、このような倒産寸前の企業を食い物にした悪徳金融業者の暗躍もあって、偽装殺人の線も考えられた。だが、榊は結局特段犯罪の気配を嗅ぎ取ることもできなかった。自殺した本人には申し訳ないものの、榊にとっては瞬く間に記憶の隅に押しやられる程の、ごくありふれた心中だったのである。そんな淡い記憶を追いかけていた榊に、もう一枚、プリントアウトした紙が手渡された。
「娘か・・・」
 まさかとは思っていたがやはりつながりがあったのか。長女ルミ子の名前を見て、榊は目を見張ってその続きを読んだ。
「・・・何? 行方不明?」
 その調書には、達三氏自殺の約一年前に、ルミ子がアメリカで消息を絶ったという事実が、冷然と記録されていたのである。
(行方不明などあるものか! 現に現れたじゃないか!)
 榊は躍起になって工藤をせかし、ルミ子のことを調べさせたが、結局それ以上のことは警視庁のコンピューターでは判らなかった。
 屋根に乗って梯子をはずされたように鼻白んだ榊だったが、それでも工藤に桜不動産についてもう少し調べるように頼むと、自分は電話を取り上げた。話し相手は、インターポールで知り合った、アメリカの友人である。時差を忘れた榊の電話に相手は眠い目をこすって腹を立てたが、結局榊は、半ば強引にアメリカでのルミ子の足どりを調査する約束を、その友人に取り付けたのだった。
 ルミ子の一件を一旦それで打ち切った榊は、もう一つ気になっていたものにとりかかった。それは、鬼童研究室で発見した「悪夢マップ」の事である。これ自体は直接ルミ子の消息につながるものではなかったが、少なくともその中には、ルミ子によって拉致されたという死夢羅の消息が記されていた。
「まさかとは思うが・・・」
 榊は、その点の集まりが、何となく連続した円に見えるような気がした。勿論円としてみるには余りに点の数が足りないし、地図上の点の粗密が偏りすぎていた。榊は、恐らくそれは鬼童が城西大生を中心にアンケートを実施したせいではないか、と考えた。もしその推論が当たっているのなら、地図上に描かれるだろう架空の円周の、点がほとんどないところの住人の夢を片端から調査すれば、何らかの答えが得られるはずである。榊は地図を眺めながら色々考えた末、警察官で『唯一』死夢羅の夢を見た田川の事を思い出した。
(成る程、こうしてみると派出所も円に乗るな)
 榊はさっそく派出所に出向いて田川巡査長に面会し、同じような夢を見た人がいないか、調査してくれないかと頼み込んだ。仕事としても、また命令系統からも逸脱した話だけに、榊は断られるのも止む無しの思いで頭を下げた。だが、案に相違して田川は胸を張って協力することを明言した。田川は、勤務中に居眠りした不注意を咎められ、昇進試験をふいにするところを榊の尽力で助けられたのだ。そのことに深い恩義を感じていた田川に、榊の頼みが断れるはずがなかった。結局榊は自分の人望の厚さに救われた。田川は尊敬の眼差しも熱く榊を見つめると、まだ厚い包帯に包まれた手でぎこちない敬礼を一つ返し、直ちに調査に取りかかった。
 榊はこうして幾つかの雑事もこなしながら、三つ目の手がかりに取り組んだ。それは、ルミ子が漏らしていった『二月一四日』の謎である。実際、どうカレンダーを見てもそれは三月であり、世間を眺めても、二月という厳寒の空気は些かも残っていない。第一、今職場で最も人気の高い話題が、四月一日に発令される人事異動なのである。三月も終わりに近づくにつれて、今度は誰がどう動くのか、という他愛のない噂が飛び交い、内示発令とともに、その噂の正しさと誤りに評価が下される。と同時に、課や係の宴会担当者が、送別会や歓迎会の準備に、にわかに活気づくのである。榊は余りそのような人事に興味を抱く事はなかったが、そう言った浮かれように水を差すほどの朴念仁でもない。故に、今が確かにそのお祭りの時期である事を、当然の事として肌に感じていたのである。
(あるいは来年の事を言っていたのか?)
 榊は、十一カ月後にくるバレンタインデーの事を考えた。先月は娘のゆかりの他に麗夢にまでチョコレートをもらって、年甲斐もなく顔を赤らめた榊だったが、今となってはそれが余りに遠い昔の事のように思えてしまう。だが、それは別としてもルミ子の言う二月十四日が、そんな先の話だとはどうしても榊には思えなかった。
(聞き間違えたとも思えないが・・・)
 もしや何か誤りでも、と考え込む榊は、少しばかり自信を失いかけていたのかもしれなかった。
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6. 3月11日午前2時 強敵 その3

2008-03-20 08:04:25 | 麗夢小説『悪夢の純情』
「終わった様ね。さあ海丸、あなたも来るのよ」
 ルミ子は、無造作に円光の結界に手を伸ばした。結界は僅かにルミ子の指先を拒むかに見えたが、それもほとんど一瞬の支えに過ぎなかった。はじけるように砕けた結界は、円光、榊、鬼童の間を暴風となって吹き荒れ、立ち直る余裕も与えずに三人の身体を投げ出した。榊と鬼童が重い事務机を倒して後ろに転げ、一番前にいた円光は、逆にルミ子の方に突き飛ばされた。
「ばあや、このお坊さんも連れていくわ」
「はい、お嬢様」
 麗夢とアルファ、ベータを片づけた都は、したたかに身体を打ってよろけるように立ち上がった円光の前にすうっと滑った。ぎょっとする円光に、麗夢達をしとめた器具を向け、にい、と嗤って都はスイッチを押した。
「ぐうっ!」
 円光は、ひざまづいた姿勢のまま凍り付いた。
「円光さん! くっそー、この化け物め!」
 榊は咄嗟に銃を抜くと、間髪を入れずに引き金を引いた。二発、三発と続けざまに乾いた音が正確に都へ吸い込まれていく。しかし、都は動じる様子もない。遂に榊の銃は、空撃ちのむなしい音を二回鳴らして沈黙した。榊は全身を冷や汗にまみれさせて、呆然と銃を降ろした。
「気が済んだ? じゃあもうあきらめなさい。私はあなたには興味がないのよ。さあ、海丸、い・き・ま・しょ・う」
 円光の結界を壊した時と同じように、ルミ子は目の前の机を指先ではじいた。途端に机は熊に殴りとばされたように部屋の端まで吹っ飛び、ルミ子のために鬼童への道を開いた。最後の抵抗を排除して、ルミ子が意気揚々と足を一歩、鬼童に向けて踏みだした、その瞬間である。
 ブォオン。
 実際にそんな音がした訳ではない。しかし、そう錯覚するほどにルミ子の姿が”揺れ”た。まるで、電圧の不安定なモニター像のようである。鬼童は、せっぱ詰まった挙げ句おかしくなったのかと目をしばたかせた。だが、ルミ子の揺れは一向に収まる様子を見せない。異変は当のルミ子も気づいた。出した足を再び引いて、おずおずとその爪先を見る。鬼童も釣られてその視線を追った。そこには、机が残していった引き出しが、無惨な姿で転がっている。その周囲にペンや紙が引き裂かれた臓腑の如く散らばって、鬼童を取り囲む最終防衛ラインを形成していたのである。しかし、あの重い事務机すら指先ではじいたルミ子なのに、ただの書類や消しゴムがそれほど有効な足止めになろう筈はない。その不思議に戸惑う鬼童を見おろして、ぽつりとルミ子は独り言をこぼした。
「まだ持っていてくれたのね。海丸」
 鬼童はその瞬間、ルミ子が何を見たのかを悟った。そして何故それがルミ子の足を止めたのか、新たに湧いた疑問に絶体絶命の状況も忘れて鬼童は考え込んだ。
「しょうがない。作戦変更だわ」
 ルミ子はそんな鬼童には目もくれず、突然くるりと百八十度きびすを返した。すっと流れるように都の傍らまで移動したルミ子は、再びくるりと向き直って、鬼童に呼びかけた。
「さあ海丸、自分からこっちに出てらっしゃい。さもないと、この女の子とお坊さんと、犬と猫の命の保証はできなくてよ」
 思考を中断し、女の子だけおいていってくれれば後は構わない、と口元まででかかった鬼童だったが、さすがに声にはせずにそのままルミ子を睨み付けた。かわって榊が返答した。
「この卑怯者め! 麗夢さんと円光さん、それにアルファとベータを放せ!」
「あなたには聞いてないのよ。さあ、海丸、どうするの?」
 促されて鬼童はすっくと立ち上がった。待てと止める榊の手をやんわりと払いのけて鬼童は言った。
「榊警部、後であの紙の下にあるルミノタイトを拾っといて下さい。それから、ルミ子の足音が消えるまで決してそこを動かないで下さいよ」
「しかし鬼童君!」
「ここであなたまで失うわけにはいかない。とにかく、ルミノタイトを身につけていて下さい」
 行くなとなおも手を取った榊を振りきって、鬼童はルミ子の前にずいと出た。
「行くぞ、ルミ子。そのかわり、麗夢さん、円光さん、アルファ、ベータ、それに榊警部の安全を保障しろ」
「勿論! あなたさえ来てくれればそれでいいのよ。できればこんな方法は使いたくなかったんだから。それじゃ、帰るわよ、ばあや」
「はい、お嬢様」
 都は、麗夢、円光を数瞬の間に倒した機械を鬼童にも向けた。かちり、と小さなスイッチの音が榊と鬼童の耳に届き、瞬間、鬼童の身体がぐらりと揺れ、たちまち足下から崩れるように、鬼童の身体が床に落ちた。
「鬼童君! 貴様! 鬼童君に何をした!」
 榊は危険も省みずに鬼童に駆け寄った。
「しっかりしろ! 鬼童君!」
「どいて下さらない? ええと、榊警部、だったかしら?」
 ルミ子のなめらかな手が、軽く鬼童の肩口をつまんだ。そのまままるで鬼童が風船にでもなったかのように、あっさりとルミ子はかつぎ上げた。
「お嬢様、準備整いましてございます。ささ、はよう参りませう」
 都は、何時の間に出したのか、巨大なふろしきを床に延べ、麗夢と円光、そしてアルファとベータをその上に並べてよいしょと背中に背負い上げた。
「そうね。こうしてもいられないわ。二月十四日も近いし、実験の仕上げを急がないと」
 二月十四日? 榊は我が耳を疑った。今日は紛れもなく三月十一日のはず。それを何故? しかし、榊がその疑問を口にするいとまもなく、ルミ子と都は鬼童研究室を後にした。続けてドアがゆっくりと音もなく閉まり、再びあの足音が、今度は少しずつ遠ざかっていった。
 ペタン、ペタン、ペタン、ペタン・・・。
 しばらくして音は止んだが、榊は結局朝一番の太陽が部屋の邪気を払いのけるまで、その場を一歩も動く事が出来なかった。
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6. 3月11日午前2時 強敵 その2

2008-03-20 08:03:59 | 麗夢小説『悪夢の純情』
「アルファ! ベータ!」
 麗夢の叫びに応じて二匹の小動物が変化した。手のひらにも乗りそうだったその体躯はたちまちに数十倍に膨れ上がり、夢魔を切り裂く鋭い爪と牙を持った魔獣へと姿を変えたのである。二頭は忽ちルミ子と鬼童の間に割って入り、前かがみにうなり声を上げて、今にもルミ子に飛びかかろうと身構えた。
「へえ、ただのペットとも思えなかったけれど、結構高そうなエネルギーじゃない。測定器を持ってくるべきだったわね」
 腕組みして思案するルミ子を飛び越して、麗夢と円光も鬼童の前に陣取った。円光は、力を込めて般若経を誦した。途端に独自の結界が半球状に円光、鬼童、榊を包み、ルミ子の悪夢を遮断する。二人の安全を確認した麗夢は、改めて銃を構えてルミ子に迫った。
「とうとう正体を現したわね! 今すぐこの悪夢を解いて、降参なさい!」
「へえ、そこの円光さんならともかく、この中で自由に動けるなんて。あなたもただの子どもじゃなかったのね」
「だから子どもじゃ無いって! もう。さっさと降参しないと、撃つわよ!」
 麗夢は今にも癇癪を爆発させて、引き金を引きそうである。対するルミ子は落ちついたもので、ふう、とため息を一つつくと、白衣のポケットに手をつっこんだ。
「どうも今日は邪魔ばかり入るわ。ばあや、 この人達を何とかして」
「かしこまりました、お嬢様」
 それは、ルミ子のポケットから飛び出したように麗夢には見えた。突然ルミ子と麗夢の間に降って湧いた和装の老女は、呆然とする麗夢に深々とおじぎをして見せた。
「杜野都と申します。ルミ子お嬢様の乳母を努めさせていただいております。どうぞお見知り置きを」
「まかせたわよ、ばあや」
「はい」
 返事をしながら都は手を懐に入れ、小さな宝石箱のようなものを取りだした。
「では、しばらくお相手いたします」
 にたぁ。
 都の口元がひねり上がって顔のしわを一層深く刻んだかと思うと、ぱか、とその箱の口を開けた。中には小さな紫色のクリスタルが鎮座している。と突然、その結晶から数匹の蛇が飛び出てきた。原色けばけばしい体長二メートルほどの夢魔の蛇は、まるで柔らかな風船のように宙を舞い、麗夢めがけて襲いかかった。
「アルファ! ベータ!」
 叫びながら麗夢はその一匹に狙いを付けて引き金を引いた。部屋中の空気を振わせる重厚な炸裂音とともに、眉間を打ち抜かれた一匹が忽ち煙となって消える。続けて巨大な猫と犬が、その爪と牙で蛇を一匹づつ床に叩き伏せた。都は、残りの蛇を煙のように纏いながら、麗夢に微笑んだ。
「あら、なかなかおやりになる事」
「これ位じゃ、私は停められないわよ!」
 アルファとベータが都に飛びかかった。一瞬速く蛇が二頭の胴に巻き付いてかかる。二匹は都攻撃を断念して、小うるさくまとわりつく蛇退治にかかったが、その隙に都は更に結晶体から無数の夢魔を繰り出した。
「まずはその物騒な二匹から、始末してさしあげましょう」
 漸く絡み付いた蛇を退治して立ち上がろうとした二頭に、新たに数十匹の蛇が襲いかかる。蛇とアルファ、ベータの力の差は歴然としているが、とにかく数が多い。二頭のピンチを見た麗夢は、躊躇する事なく自分も秘めた力を解き放った。突然の閃光が麗夢を包み込み、目を細めた都は、漸く薄れる光を透いて、生まれて初めて夢の戦士の姿を見た。
「おや、はしたない。いけませんよ、若い娘さんがそのように肌も露にしては」
 確かにそれは、年寄りには刺激が過ぎる格好かも知れなかった。僅かに腰と胸を覆い隠すビキニスタイル。それに比べて肩だけは赤い鍔状の物で覆い、その格好が辛うじて戦闘用である事を物語っている。右手に握るのは一振りの剣である。自ら白銀の光を放つその剣は、夢魔にとって絶対防御不可能な鋭鋒を誇る霊剣であり、その柄を夢の戦士、ドリームガーディアンたる麗夢が握る限り、夢魔が彼女を凌駕する事はかなわないのである。
「やーーっ!」
 麗夢は都の小言を無視してまっすぐアルファとベータに駆け寄り、絡み付く夢魔を一刀の元になぎ払った。自由を取り戻した二頭は、再び牙をむき出して、残りの夢魔を喰いちぎった。瞬く間に夢魔はその勢力を失い、麗夢の切っ先は都へと向けられた。
 一方、円光の結界ににじり寄っていたルミ子は、突然背中を熱くした閃光に思わず振り返った。
「あれは、何?」
「ドリームガーディアンだ! 君も聞いた事くらいはあるだろう!」
 鬼童の声に再び向き直ったルミ子は、納得した表情で鬼童を見た。
「成る程、死夢羅博士の同類か。エネルギーベクトルは正反対を向いているようだけど、面白いわ。あの猫と犬といい、このお坊さんといい、海丸、あなたこんな面白い実験材料を独り占めしてたなんて!まあその気持ちも分からないでもないけど、私とあなたの間で隠し事なんて駄目じゃない」
 またそんな事を言って、と困惑する鬼童を後目に、ルミ子はもう一度振り向いて都へ言った。
「ばあや、もういいわ。ちょっと調べたいから、その方達を捕まえて頂戴」
「かしこまりました、お嬢様」
 都は再び手を懐につっこんだ。ぎょっと身構える麗夢と二頭に、都はテレビのリモコンのような装置を取り出して見せた。円光はそれを見てはっと気がついた。
「麗夢殿いけない! 夢の戦士の変身を解くんだ!」
「えっ?!」
 唐突な円光の叫びに、麗夢は一瞬の戸惑いを見せた。が、次の瞬間には、自分が声はおろか、指一本曲げる事さえ出来ない状態に突き落とされたのを知って愕然となった。
「あなたの力が良く分からないので、最大出力にさせてもらいますよ。息ができないかも知れませんが、気を失ったところでゆるめてさしあげますからご心配なく」
 麗夢は、雑巾を絞り上げるように全身を締め付けられる苦しさに喘いだ。息が出来ない。目もかすむ。うめき声さえ上げられない。一瞬、目の端にアルファが、続けてベータが元の小さな体に戻ったかと思うと床に倒れ伏せるのが見えたが、麗夢にはそれをどうする事もできなかった。そして、ついに麗夢も限界を超えた。握りしめたまま放す事もできなかった剣が床に落ち、膝ががくんと床をなめると、そのまま麗夢は、アルファ、ベータの上にうつ伏した。
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