がっしと相手の首根っこを押さえた榊は、根の深い大木に取り付いたかのような手応えに当惑した。見かけと実力の差に相当の隔たりがあろう事は予測しないでもなかったが、相手の力量は榊の予測をはるかに上回っていたのである。それでも何とかしがみついていた榊へ向かって、都はおいたをする孫に向けるような苦笑いを浮かべて見せた。
「仕様がありませんねえ。無駄だと申し上げておりますのに」
背後から首を締め上げていた榊の剛腕、その肱から少し下辺りの丁度喉に入っていた所を、都は小さな手でつまみ取った。
「ぐわあぁっ!」
都のひからびた紅葉の様な手が、固く盛り上がった榊の上腕筋に、それがまるで柔らかい脂肪でできているのかと疑うほどにぐいと食い込んだ。痛みの余り思わず手を離した榊を、都はそのまま片手で振り回し、扉とは反対の方向に放り投げた。床に激突した榊は、軽い脳震盪と深刻な打撲痛にうめき声を上げながら、化け物としか言い様のない相手の膂力に死への恐怖を呼び覚まされた。冷や汗にまみれる榊の前に、間髪を入れず都が滑り寄った。
「もうあきらめましたか?」
涼しい顔をして問いかける都を、榊は歯ぎしりして睨み付けた。その怒りでさっきまでの恐怖を身体から追い出した榊は、突如身を起こして都の身体に突っ込んだ。
「うおおおぉおっ!」
どすん! 鈍い激突音が榊の耳に届いた。岩に衝突したような激痛が肩を刺し、痛みに悲鳴を上げる間もなく、榊の身体はふっと無重力状態に放り出された。背中から吊り上げられた榊の身体は、今度は一瞬のうちに反対の扉へ吹っ飛ばされた。
「これまでですね。とどめを刺して上げませう」
猛然と突っ込んできた都に対し、榊は、ほとんど無意識に扉の取っ手を支えに起き上がろうとあがいた。が、強打した足が思うように榊の体重を支えない。勢い扉にぶら下がる格好になった榊の体重が、その取っ手を引き下げた。がちゃり、とロックのはずれる音が榊の耳に届き、僅かに開いたドアの隙間がちらりと見えた瞬間である。榊は、左胸に鋭い強烈な衝撃を喰らった。丁度防弾チョッキの上から銃弾を撃ち込まれたような感じである。肋骨の折れる激痛が立ち直りかけた榊の神経を完全に叩きのめした。榊は、取っ手を掴んだまま突き飛ばされるように倒れ込み、禁断の扉を全開する事になった。
「ぎゃあっ!」
余裕綽々の老婆の表情が、恐怖に瞬間凍結した。辛うじて都は踏みとどまろうともがいたが、ドアの向こうで生じた強力な吸引力が榊をして化け物と言わしめた都の膂力を上回った。扉の向こうに突っ込んでいった都の悲鳴は、切れかけた榊の意識をもう一度呼び覚ました。と同時に、途方もなく強烈で陰惨な雰囲気が榊の精神に直接かみついた。その絶望的な恐怖は都に感じたものですら笑い飛ばせるほどな、圧倒的な圧力で榊をパニックに陥れた。日頃の冷静沈着ぶりも、この時ばかりは何の役にも立たなかった。自己防衛本能だけが、何とかして扉を閉めようともがきあがく。が、左胸の圧力は益々強く、榊は自由に呼吸すら出来ない。それを、狼狽の極みでただただ必死に支えるばかりな榊は、壁に押し付けられながらも、両足で扉を渾身の力を込めて押し返した。その努力の前に、扉はようやく榊の希望を受け入れた。閉じ始めた扉は、数瞬の大激闘の末、ようやくがちゃりと大きなロックの音を残して、榊から黄泉の国を切り放した。だが、それでも榊は恐怖から解放されなかった。左胸の圧力が急に消えた事にも気づかないまま、榊は感情のほとばしるままに必死になってその場を逃げた。観測機器のケーブルに足を取られて転んだ後は、はいつくばったまま一〇センチでもその場を離れようと榊はもがいた。ようやく榊は、幸田との通信が途絶えた幻の枝道出口まで這い出てきた。が、榊の頑張りもそこまでだった。突然回復した通信機が榊の耳に幸田の狂ったような叫び声を叩き付けたとき、榊の緊張はその声に押しつぶされる様にふっつりと切れたのである。
「・・・ああ、幸田さんか・・・、助か・・・」
榊の視野が急速に闇に閉ざされ、その喉は言いたい事を最後まで紡ぐ事が出来なかった。
「警部? 榊警部! しっかり、しっかりして下さい!」
耳を打つ声はむなしく榊の肉体にこだまし、榊の精神は、完全に沈黙した。
「仕様がありませんねえ。無駄だと申し上げておりますのに」
背後から首を締め上げていた榊の剛腕、その肱から少し下辺りの丁度喉に入っていた所を、都は小さな手でつまみ取った。
「ぐわあぁっ!」
都のひからびた紅葉の様な手が、固く盛り上がった榊の上腕筋に、それがまるで柔らかい脂肪でできているのかと疑うほどにぐいと食い込んだ。痛みの余り思わず手を離した榊を、都はそのまま片手で振り回し、扉とは反対の方向に放り投げた。床に激突した榊は、軽い脳震盪と深刻な打撲痛にうめき声を上げながら、化け物としか言い様のない相手の膂力に死への恐怖を呼び覚まされた。冷や汗にまみれる榊の前に、間髪を入れず都が滑り寄った。
「もうあきらめましたか?」
涼しい顔をして問いかける都を、榊は歯ぎしりして睨み付けた。その怒りでさっきまでの恐怖を身体から追い出した榊は、突如身を起こして都の身体に突っ込んだ。
「うおおおぉおっ!」
どすん! 鈍い激突音が榊の耳に届いた。岩に衝突したような激痛が肩を刺し、痛みに悲鳴を上げる間もなく、榊の身体はふっと無重力状態に放り出された。背中から吊り上げられた榊の身体は、今度は一瞬のうちに反対の扉へ吹っ飛ばされた。
「これまでですね。とどめを刺して上げませう」
猛然と突っ込んできた都に対し、榊は、ほとんど無意識に扉の取っ手を支えに起き上がろうとあがいた。が、強打した足が思うように榊の体重を支えない。勢い扉にぶら下がる格好になった榊の体重が、その取っ手を引き下げた。がちゃり、とロックのはずれる音が榊の耳に届き、僅かに開いたドアの隙間がちらりと見えた瞬間である。榊は、左胸に鋭い強烈な衝撃を喰らった。丁度防弾チョッキの上から銃弾を撃ち込まれたような感じである。肋骨の折れる激痛が立ち直りかけた榊の神経を完全に叩きのめした。榊は、取っ手を掴んだまま突き飛ばされるように倒れ込み、禁断の扉を全開する事になった。
「ぎゃあっ!」
余裕綽々の老婆の表情が、恐怖に瞬間凍結した。辛うじて都は踏みとどまろうともがいたが、ドアの向こうで生じた強力な吸引力が榊をして化け物と言わしめた都の膂力を上回った。扉の向こうに突っ込んでいった都の悲鳴は、切れかけた榊の意識をもう一度呼び覚ました。と同時に、途方もなく強烈で陰惨な雰囲気が榊の精神に直接かみついた。その絶望的な恐怖は都に感じたものですら笑い飛ばせるほどな、圧倒的な圧力で榊をパニックに陥れた。日頃の冷静沈着ぶりも、この時ばかりは何の役にも立たなかった。自己防衛本能だけが、何とかして扉を閉めようともがきあがく。が、左胸の圧力は益々強く、榊は自由に呼吸すら出来ない。それを、狼狽の極みでただただ必死に支えるばかりな榊は、壁に押し付けられながらも、両足で扉を渾身の力を込めて押し返した。その努力の前に、扉はようやく榊の希望を受け入れた。閉じ始めた扉は、数瞬の大激闘の末、ようやくがちゃりと大きなロックの音を残して、榊から黄泉の国を切り放した。だが、それでも榊は恐怖から解放されなかった。左胸の圧力が急に消えた事にも気づかないまま、榊は感情のほとばしるままに必死になってその場を逃げた。観測機器のケーブルに足を取られて転んだ後は、はいつくばったまま一〇センチでもその場を離れようと榊はもがいた。ようやく榊は、幸田との通信が途絶えた幻の枝道出口まで這い出てきた。が、榊の頑張りもそこまでだった。突然回復した通信機が榊の耳に幸田の狂ったような叫び声を叩き付けたとき、榊の緊張はその声に押しつぶされる様にふっつりと切れたのである。
「・・・ああ、幸田さんか・・・、助か・・・」
榊の視野が急速に闇に閉ざされ、その喉は言いたい事を最後まで紡ぐ事が出来なかった。
「警部? 榊警部! しっかり、しっかりして下さい!」
耳を打つ声はむなしく榊の肉体にこだまし、榊の精神は、完全に沈黙した。