かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

実家で久々に新聞を見て、新聞停止は考え直した方がいいかも?と思いました。

2009-01-03 22:10:25 | Weblog
 正月三が日も今日で終わり、明日からは普通なら通常モードで仕事始め、となるのが例年ですが、今年は上手い具合に日曜日が挟まったので、もう一日、明日も休日になるというありがたい年回りになりました。ちょっと休みが長すぎて、上手く平常復帰できるかどうか、それはそれで疑問と不安があるのですが、そういうことはまた明日の晩かあさっての朝に考えることにしておきましょう。

 さて、昨日実家に帰って、うちではもう見られない、分厚い元旦の新聞をめくってきましたが、やはり活字というのは、私にとっては中々にいいものです。普段チラシとかも一緒くたになって散らかったり、整理するのが大変だったりして疎ましく思うことも多々ありましたが、新聞が無い、という生活が始まってみると、いくらニュースはネットで拾えるとはいえ、なにか違う、何かおかしい、というようなそんな感じがいたします。
 それにしても、新聞各社、打ち揃って業績がかなり傾いているのだそうです。企業が広告のコストを削ってきていることや、うちのように、新聞を取らなくなった家庭が増加しているためだそうです。週刊誌も激減し、通勤電車の社内でも、携帯見ているヒトばかりで新聞や週刊誌を見ているヒトがずいぶん減ったそうですし、新聞というメディアが、既に時代に合わなくなっている、というような話はビジネス系のネットニュースなどで結構頻繁に見るようになってきてますし、実際速報性ではネットにはかなわず、臨場感や具体性ではテレビにかなわず、活字そのものが敬遠され、なかには、いまや縦書きの文章が読めない学生もいるのだと言うような話を聞いたりいたしますと、なるほど、新聞の未来は厳しそうだな、と素人目にも感じずにはいられません。また、ここ10年くらい風当たりが強くなってきているせいか、捏造やら根拠の薄い憶測やらなにやら妙に偏向した話題やら、別に新聞だけがしているわけではないのでしょうが、テレビのような一過性のメディアでないことが災いしているのか、どうも新聞の方がそういう報道にあるまじき所業を重ねているように感じる気がして、それがまた読者離れを助長しているんじゃなかろうか、とも思います。
 私は今のマスコミのありように、テレビなども含めて基本的に批判的な見方に立つ者ではありますが、ここ数週間新聞を読むのを止め、久しぶりに実家でそれを見て、フォントやサイズ、行間、字間をコントロールし、記事の重要度や読みやすさを追求する紙面づくりの高度なテクニック、活字文化の精髄を朝一番に目に入れるのは、単にニュースの内容を知る、ということだけではない、一日のメリハリをもたらす重要な要素なのではないか、と思うようになりました。WEBデザインもひところに比べると随分良くなってはきているんでしょうが、まだまだ印刷物の美しさには到底届かず、ディスプレイのせいもあるのでしょうが、少し長い時間見ているとすぐ目が疲れてしまいます。HTMLのレイアウトがもっともっと自由自在にコントロールできるようになって、フォントももっと綺麗に見やすいものになって、それらを完璧に操り、徹底して見やすい画面構成を完成させたニュースサイト、なんてのが出てきたらいよいよ新聞も必要なくなるでしょうが、私には、まだ、新聞には存在価値があるんじゃないだろうか、と思うのです。家人の意向もあって新聞を止めましたが、改めて考え直しても良いかもしれないと思いました。

コメント
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