かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

金持ちも貧困もピンと来ない自分に不安を覚えます。

2011-10-16 22:27:35 | Weblog
 今日も一日部屋にこもりきりで同人誌創作三昧、といきたいところでしたが、晴れの天気を放置も出来ず、洗濯やサボテンの世話にしばしの時間を費やしました。それらを片付けた上で制作に取り掛かったわけですが、なかなか簡単には進みません。一定の手順が固まるまで、しばらくは試行錯誤しながらちまちま続けることになりそうです。

 さて、昨年の今頃は中国の反日デモが花ざかりだったりしたのですが、今は全世界的に「反格差デモ」が咲き乱れているそうです。発端は極々一握りの金持ちに対する、大多数を占める低所得者層の反乱、という話だったように覚えているのですが、報道を見るかぎり、どうやら世代間抗争に移行しているような印象を受けます。低所得者に若者が多く、しかも失業率が高くて仕事したくても仕事が無い、政治に訴えたくても、少子化で若者世代は数が少なく、制作はどうしても数が多くて投票にも熱心に出かける年寄り層向けになりがちなため、積もりに積もった不満がついに爆発した、というわかりやすい構図が描かれていますが、我が国では若者はおとなしい性格なのか、世界の流れに呼応して大規模なデモが都市圏で頻発した、というような話は聞いておりません。もっとも、先のお台場デモなども我が国の報道機関は触れたがらなかったですし、海外はともかく国内の動きは敢えて避けているのかも知れません。
 私は、同人誌即売会に参加したりはしますが既に若者と言える年ではなく、といってまだ老境にはいささか時間があるという中途半端な世代ですが、のんびりした職場にいるせいか、なかなかこの若者の貧困問題だとか、高所得者層との格差問題などが、正直ピンと来ない所があり、その現実感のなさに強い不安を覚えることがあります。なんとなれば、自分は山の中でぬるま湯に浸かっているつもりでいて、実は茹で蛙と同じ状況に陥っているのではなかろうか、という不安です。私の親の世代はかの対戦を生き延び、戦後復興の原動力となり、高度成長を実現した人たちですので、今、その功績によってのんびりしてもらうのは至極当然の事のように感じるのです。自分の親を見るかぎり、自分と親に格差があるとは思えませんし、世代間の抗争などはありそうにありません。となると私は若者陣営からは若者側ではなく、年寄り側、高所得者層として認識される立場にあると思われます。本人の自覚とは無関係に、そういうレッテルを貼られる可能性があること自体戦慄を覚えるものがありますが、少なくともうちの親や親戚の人たちを見るかぎり、上の世代にそんなに資産がうなるほどあるようには見えませんし、私はもちろん友人知人達にも、お金持ちといえるようなヒトはほとんどいません(一人大学時代の学友に、地元の土地持ちがいましたが)。仕事でお付き合いしている中小企業の社長さんたちも、それなりには持ってられますが、お金持ち、というには若干の語弊のあるような「おっちゃん』連中ばかりです。一体このデモで攻撃されるようなお金持ちは、どこにいるんでしょうね? 

コメント
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