かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

飯よりも何よりも研究が好き、という話はあるとしても、無給ではやっぱりできません。

2011-10-25 20:32:35 | Weblog
 天下の大阪大学で、女性研究員に給与をちゃんと支払わず、ただ働きさせていた事が発覚、このほど、大学側が未払い賃金を支払った、という事件というかニュースがありましたが、「犯人」側の教授先生はどうやらかなり問題の多い人のようで、発覚した経緯も、昨年6月の同教授による厚労省等の研究資金の不正流用問題の調査過程に浮上したものだったのだとか。正直申し上げて、研究費の不正流用とか業者へのプールとかは、とにかく使いにくいようにがんじがらめにしているお金を出す方の問題も非常に大きいと私は思うのですが、それでも、研究に使うべきお金を私的に流用していたとなると話は別です。でも一番厄介なのは、この手のヒトが出る度に、研究資金の運用規定が煩雑で重くなって、ただでさえ使いにくくてしょうがないお金がますます使いにくくなるという悪循環を産み出してしまうことです。本来、研究とは、ヒラメキの神様が囁きかけてくれる瞬間が訪れるまで、自由にノビノビと壮大な無駄遣いを重ねるものだと思うのですが、申請書や計画書、中間報告と最終報告、事後報告と膨大な資料を作成し、それも研究成果だけでなく、使ったお金の経理まで事細かにやった挙句に、国民の血税の名のもとに重箱の隅をつつく会計監査で絞られるという、およそ研究とは無縁の作業を延々と続けなければならなくなってきています。しかもその研究は3年で成果を出さねばならないとか、勝手に期限が決められているために本当にそろそろ何とかなりそうだ、というようなものしか提案することができません。
 まあソレは「血税」なのは確かですから、ある程度は研究者側も容認せねばならないところもあるでしょう。しかしながら、ごくごく一部の不心得者のために、何故に大多数の不正など試みもしない極普通の研究者たちまでが、不心得者を防ぐためだけの煩雑でややこしくて使いにくい制度に甘んじなければならないのでしょう? それほど屋上屋を架してがんじがらめの制度を作るのなら、例えば金色の運転免許みたいに、不正に手を染めない優良研究者には制度の簡素化や柔軟なお金の使い方を許容するような制度があってもいいんじゃないでしょうか? 罰則ばかり増やして、なぜそんな不正を働こうとするのか、根本を改めることを考えようとしない官僚の怠慢の罪こそ大きく重いと私は感じてしまいます。なんか、今年なんて研究費にまで「暴対法」への対応についての記述が必要になってきているのですよ。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
 
 でも、研究を続けたいという研究者の気持ちを利用してただ働きさせていたというこの元教授の所業には、それが事実なら一片の擁護もありえない、とは思います。大学の研究室なんて外からは何も分からない密室ですから、そこでどのような人間関係が存在したのかなんて全くもって理解不能ですが、だからと言って『透明性を確保せよ!』なんていうような話が声高に上がってくるようなことにはならないようにしていただきたいものです。
コメント
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