かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

相変わらず酷い帰省ラッシュですが、昔も今も中身はあまり変わらないものなんでしょうか?

2018-08-11 21:12:33 | Weblog
 今朝の奈良市アメダスの最低気温は24.9℃、昼の最高気温は36℃、五條市アメダスの最低気温は22.3℃、最高気温は32.9℃でした。今日は昨日に比べてもやたら蒸し暑く、日中はほとんどぼうっと過ごすような有様でした。夕立を期待しましたが残念ながら今日も一滴も降らず。他のところでは時間雨量120ミリなんていう猛烈な雨も降っているのに、なんともままならぬものです。明日の天気予報によると、今日以上に夕方の降水確率が高くなっており、夕立への期待が高まりますが、数キロ先ではじゃんじゃん降っているのにこちらは空振り、ということもママありますから、あまり過剰な期待は禁物でしょう。

 さて、今年もお盆の帰省ラッシュがニュースになっています。高速道路は数十キロ渋滞、新幹線の駅はホームにすら上がれない混雑ぶり、などと毎度のことながら大変な事態になっていますが、よくみんなそこまで頑張れるものです。私なら到底そんな人混みや長時間運転など耐えられませんから、仮に遠距離の帰省が必要だとしても、休みをずらすかずらせない場合は見送るかしていることでしょう。まあ事情は人それぞれでしょうし自らの判断で渋滞やラッシュに敢えて挑んでいるのですから、それぞれの当事者についてどうこう言おうとは思いませんが、もう少しなんとかならないものかとは思います。
 それにしても、田舎の労働力を貪欲に都会が飲み込んでいった高度成長期ならともかく、今、そんなに大勢の人が田舎に帰省するものなんでしょうか? 私など、父が就職のため九州から大阪に出てきて、小学生までは確かに九州まで親に連れられ帰省しましたが、その後祖父が大阪に出てきてからはついぞ行ってませんし、私の子供に至っては、九州は既に帰省先ではありません。父は田舎からの移民第1世代ですが、その後代である我々にとっては、田舎とのつながりは極めて薄くなっており、お盆だから、とわざわざ旅行する先では無くなっています。多くの団塊の世代の前後の年齢層の人は大体私と似たようなものなんじゃないかと想像しているのですが、ならば今、高速道路を埋め尽くし、新幹線ですし詰めになっている方々は、どういう経緯でいつ田舎から引っ越してきた人達なんでしょうね? 私が親に連れられ帰省した頃は、やっと新幹線が博多まで開通したかどうか、という頃で、高速道路もほとんど無く、長距離異動は基本夜行寝台列車か船しか選択肢がありませんでした(飛行機もあったはずですが、余程高かったとか色々選択されない理由があったんでしょうね)。その頃のほうが余程都会から田舎に帰省する人は多かったのではないか、と思いますし、実際に当時の国鉄は60−70年代には帰省ラッシュ対策を色々と打っていたそうですから、やはり当時からお盆の次期に都会と田舎間の大移動はあったのでしょう。それでも、子供だったせいもあるのかもしれませんが、今日のようなあまりに酷い混雑や人混みというのはあまり記憶にありません。今は移動方法が高速化し、移動手段も多岐に渡っているのにより酷い混雑になっているように感じられるのは、単なる勘違いなのか、はたまた何か異なる事情があるのか、少し気になるところです。

コメント
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