奈良市の今朝の最低気温は1.3℃、昼間の最高気温は12.1℃、五條市の今朝の最低気温は−2℃、昼間の最高気温は13.2℃でした。今日は朝から快晴の青空が広がりましたが、その分気温も今季一番の冷え込みを記録しました。朝出勤するときも、見かけるカーブミラーがことごとく凍りついていますし、そもそも今季初めて車のフロントガラスが凍りました。もっともまだ下側2割ほどで全面結氷とまではいきませんでしたが、今後冷え込みが本格化するとともに、朝出かける時に一手間二手間余分にかかる日が出てきそうです。それにしても、これだけ晴れたのに昼間も空気は冷たく、なかなか暖かくなりませんでした。後一月もしたら、これくらいの気温になれば小春日和の冬晴れで暖かい日中、とでも書くようになるのかもしれませんが、今はまだ十分寒さに慣れていないのでこの程度でも十分寒いです。
さて、うどん県こと香川県高松市で、1976年の創業からおよそ半世紀に渡って全く値上げせずに店を続けていた「うどんの一平」が、この28日で閉店するとのこと。かけうどん小税込み100円、大150円、天ぷらどれでも一つ100円という、デフレの現在でも考えられない程の低価格で手打ちうどんを提供していた有名店ですが、店の主が82歳と寄る年波には勝てないということなのか、ついに店じまいする模様です。
かつて香川大学で学んでいた私ですが、高松からずっと東の内陸に入った田舎にある農学部だったため、残念ながらこの店に行ったことはありません。ただ香川県内には、小さな製麺所の直営店とか、他の県からしたら考えられないほど激安のお店というのは当時から結構あちこちにありました。中には青ネギや生姜などの薬味は、店先に無造作に置かれたまな板と包丁で自分で刻んだりすりおろしてからうどんに入れるとか、天ぷらは好きなものを選んで会計の時に何を食べたか自己申告するとか、お店の運営自体が田舎の野菜無人販売所と同様に、客の善意と暗黙の了解で成り立っているようなところもあって、大阪の下町育ちの自分には実に不思議で面白いと感じていました。
店の場所がよくわからなかったので改めて地図で観てみたら、神戸と高松を結ぶジャンボフェリー乗り場がある高松東港の南側、港最寄りの琴電の駅のすぐ北側にありました。当時まだJR高松駅からの送迎バスが無かったので、よくジャンボフェリーに乗るためにこの辺りは歩いていたのですが、時間帯が午前1時出発の船とかに乗っていたので、店のことには気づかなかったのでしょうね。今思えばちょっともったいないことをしていました。
しかしコロナ禍のせいで旅行にもなかなか行けませんが、行けるようになったなら久しぶりに高松に行ってうどん三昧であちこち寄りまくるのも良いかもしれません。もっともこのうどんの一平のように、もう当時よく行っていたお店は無くなっているのでしょうが。
さて、うどん県こと香川県高松市で、1976年の創業からおよそ半世紀に渡って全く値上げせずに店を続けていた「うどんの一平」が、この28日で閉店するとのこと。かけうどん小税込み100円、大150円、天ぷらどれでも一つ100円という、デフレの現在でも考えられない程の低価格で手打ちうどんを提供していた有名店ですが、店の主が82歳と寄る年波には勝てないということなのか、ついに店じまいする模様です。
かつて香川大学で学んでいた私ですが、高松からずっと東の内陸に入った田舎にある農学部だったため、残念ながらこの店に行ったことはありません。ただ香川県内には、小さな製麺所の直営店とか、他の県からしたら考えられないほど激安のお店というのは当時から結構あちこちにありました。中には青ネギや生姜などの薬味は、店先に無造作に置かれたまな板と包丁で自分で刻んだりすりおろしてからうどんに入れるとか、天ぷらは好きなものを選んで会計の時に何を食べたか自己申告するとか、お店の運営自体が田舎の野菜無人販売所と同様に、客の善意と暗黙の了解で成り立っているようなところもあって、大阪の下町育ちの自分には実に不思議で面白いと感じていました。
店の場所がよくわからなかったので改めて地図で観てみたら、神戸と高松を結ぶジャンボフェリー乗り場がある高松東港の南側、港最寄りの琴電の駅のすぐ北側にありました。当時まだJR高松駅からの送迎バスが無かったので、よくジャンボフェリーに乗るためにこの辺りは歩いていたのですが、時間帯が午前1時出発の船とかに乗っていたので、店のことには気づかなかったのでしょうね。今思えばちょっともったいないことをしていました。
しかしコロナ禍のせいで旅行にもなかなか行けませんが、行けるようになったなら久しぶりに高松に行ってうどん三昧であちこち寄りまくるのも良いかもしれません。もっともこのうどんの一平のように、もう当時よく行っていたお店は無くなっているのでしょうが。