かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

あれ? 昨日の文書は何処に行った?

2005-03-15 23:13:21 | Weblog
確か昨日更新したはずなのですが、跡形もなく消えていますね、昨日の日記。デザインを変えたって言う記事を確かに書いたのですが、どうやらプレビューだけしてアップするのを忘れてしまったようです。一所懸命書いた文書が跡形もなく失せるというのは、何とも妙な気分です。
と言うわけで、一日遅れですが改めて申し上げますと、日記のデザインを変更してみました。
前のデザインもそれなりに気に入っていたのですが、左のコマンド欄がどうにも判りにくく、
使い勝手が悪かったのが気になっておりました。そこでもっとすんなり使いやすいデザインを求めて、取りあえずこれにしてみました。
前の煙る様な緑も好みだったのですが、これくらいはっきり緑々したのも、春らしくていいかも?と思っております。
 それにしてもブログって便利だと改めて思います。本当に簡単にデザインが変更できて、以前のデータにはなんの影響もなくそのまま引き継がれるんですから。
提供されるテンプレートも多彩ですので、その気になれば毎週のように変えることができます。まあもちろんそんなことをしたら混乱するだけですからやりませんけど、季節ごとくらいには変えてみるのもいいかも知れないな、と半ば本気で考えていたりします。一応自由作成もできるみたいなので、そのうち慣れてきたら挑戦してみようかと思っているところです。
あと、麗夢20周年記念ブログもできましたね。
HIdeさん感謝!
まるで麗夢ファンのサロンのような居心地のいい所なので、まだご存じ無い方は是非のぞいてみて下さい。アドレスはこちら→ http://20th-rem.sklaven-traum.lolipop.jp/
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「マリみて」既刊通読1周目の感想

2005-03-13 21:52:51 | マリア様がみてる
 2月23日に第1冊目のページをめくってから2週間と少し。遂に、「マリア様がみてる」既刊20冊を通読しました。途中、しばらく続きの購入が途絶えた期間などを考慮すると、文庫本約5000ページ、ざっと300万字超を実質1週間余りで読み切った計算になります。かっこうとしても、これだけ活字に浸りきりになるのは、さすがに久々の事でした。私にこの作品を紹介してくれた友人が、「面白い」と憑かれたように力説していたのが、今更ながらに頷ける半月でした。 通読完了した私の第一声が、「早く続きが読みたい!」ですから。
 コバルト文庫のオフィシャルサイトで調べてみますと、4月1日に新刊が出るらしいです。また、ざっと巻末の奥付をみてみますと、大体3ヶ月ごとに一冊出ているようですので、順調なら年内に4冊づつ新しい本を手にできる計算になります。いつまで続くのか判りませんが、かなり長期間に渡って、楽しめそうです。
 当面、友人からは「3回通読」を義務づけられておりますので(笑)、感想文100枚はその後にしようかと思いますが(書く気か?)、取りあえず一応の終着点に到達したので、ここまでの感想を一言まとめておこうと思います。

 舞台は明治時代創立のカトリック系お嬢様学校。そこで平凡な生活を送っていた容姿も成績も中庸な一年生「福沢祐巳」が、ふとしたことから個性豊かな面々が集う生徒会の一員になり、波乱の学校生活に巻き込まれていく、というお話。涙有り、笑い有りのドラマが展開されるなか、事件や友人達との交流を通じて成長していく主人公という、学園ものの王道が描かれています。それだけ書くと類似の話はたくさんあるでしょうが、独特なのがこの学校にいつ頃からか根付いた独特の先輩後輩関係。ロザリオの授受という儀式のもと結ばれる「姉妹(スール)」という一対一の強固な上下関係が、単なる学園ものにはない彩りを作品全体に与えております。話の構成は第1巻の秋の文化祭から順に季節を追ってイベントが並べられているのですが、20冊でまだ作品中では一年しかたっておりません。経過する時間だけみてると希有のゆっくりさですが、主人公や、主人公を取り巻く人間群像劇が丹念に描きこまれ、けして間延びもせず、読む者をじっくり「聖リリアン学園」に誘ってくれます。

 全体に読みやすく、テンポのよい文体が、きっちり性格分けされた魅力的な登場人物達を生き生きと動かし、それだけでも読んでいて快く、主人公達に感情移入できるのはさすがだと思います。
 ただ、ここまで読んで気になったのは、やはりもう少し中身の掘り下げや書き込みがあってもよかったんじゃないかな、と思う話が幾つかちらほらあったのと、話によっては舌足らずというか、読んでいて誰の何時の何処の話なのかが見えにくい所があった点。作品効果として意識的に舌足らずにしているのかと思いましたが、私は読みながら、「枕草子」を連想いたしました。私は古典文学は好きですが、どうしてもあれだけは読むことができないのです。私にはあれはあまりに主語や述語が省略され過ぎているようで、いくら頑張って読んでも、すぐに何が書いてあるのか判らなくなってしまうのです。理屈っぽい私には一番苦手な類の本なのですが、この「マリみて」にも、多分にそう言うところが目に付く事があります。これは平安時代から連綿と受け継がれた女性文学の伝統なのでしょうか? 2周目は、より具体的にそう言う点へ注意しつつ読んでいきたいと思っております。うまくいけば同人ネタが拾えて、この夏は「麗夢」に加えて「マリみて」も、などというような展開もできるかも知れません。

 もう一つ気になるのは、前半10冊と後半10冊で、中身の濃さが異なる点。前半の方が祐巳とそのお姉さま小笠原祥子を軸に、魅力的な人物が丹念に描き込まれていて、読み応えがあるように感じます。特に前半は祐巳と祥子を大きな挫折が何度も襲い、そのたびにどう巻き返すのかある意味手に汗握る展開があるのですが、祐巳2年の夏以降は、どのお話もどうも全体にインターバル的な足踏み感が感じられてしまいます。このあたりは4月の新刊以降に新展開があるものと期待しております。

 そんな後半ではありますが、中でも読んでいてうれしかったのは、小道具に「とりかへばや物語」が出てきた所でしょうか。これは作者不詳、平安末期成立と推定される古典ですが、女の心を持った男の子と男の心を持った女の子を授かった貴族が、女の子を男として、男の子を女としてそれぞれ朝廷に出仕させたことからおこるドタバタ劇を、魅力たっぷりに描いた佳作です。今昔物語と言い、「とりかへばや物語」といい、昔の人の発想の豊かさには本当に驚かされます。今でも講談社学術文庫などで全訳本が入手可能ですので、「マリみて」ファンには是非一度読んで欲しい一冊です(講談社学術文庫では4冊ですが)。かっこうは平家物語、今昔物語と並んで、この本を気に入っています。
 
 さて、読み返してどんな新しい発見ができるのか、今から心躍らせながら、2週目、入ります。
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種デス小休止も今日でようやく終わり。

2005-03-12 22:02:50 | アニメ特撮
 今日のガンダムSEEDデスティニー、アスランの不器用ぶりがあざといくらいに描かれて思わず吹き出しましたが、話の本筋には関係ないので取りあえず「あー面白かった」としておきます。
 それよりも今回はステラとシンの出会いがメインテーマですよね。なぜステラ達があの町にいるのか、何をしているのか、ネオや空母はどこにいるのか、さっぱり不明なところが気に入りませんが、ステラとシンを出会わせるためには、いてもらわねばならないと言うことでしょうか。どうも納得できかねますが、彼らがいなければならない理由がちゃんとさ明かされることを期待しておきましょう。
 で、その二人の邂逅ですが、ステラの出血大サービスぶりはともかく、先週妹の死、今週ステラとの出会い、と、これで妹とステラになんの関係もなかったらさすがに怒るというか、関係があったらあったでこれまたお話的に並びが素直すぎると文句言ったり、私もなかなかこの番組見るときは気難し屋さんになってしまってます。まあ妹も先週コーディネーターと知れた訳ですし、ざっと考えると、妹は虫の息で進駐してきた地球連合に保護され、記憶を無くしたか封印されたかして、ステラとして訓練された、と言うところでしょうか。もしそうなら、エルガイムのクワサン・オリビーみたいです。こちらも主人公と兄妹でしたし。まあ今後の展開に期待、ですね。でもステラ、公式WEBに「普段は普通の少女」と書いてありますけど、あれ、今更ながら普通の少女とは言えないような気がするんですが・・・。心の傷の深さは普通かどうかとは関係ない、と言うことでしょうか?
 ミネルバの新顔、FAITHのハイネ・ヴェステンフルスは思ったよりもくだけた性格の兄貴な設定は、もう将来の死亡確定と言うことでしょうか(笑)。アスランを死なせないために出てきたんでは、とは、10日ばかり前に友人と楽しくお話しした所ですが、今回見て本当にそう思えてきました。これもどうなるのか、将来の楽しみの一つです。
 来週はいよいよ地球連合+オーブとザフトの戦闘のようですね。そこにキラ達が絡んでくるようで、いきなりお話が進み出す感じです。取りあえず突っ込みどころ満載な展開だけはありませんように、楽しいお話を期待しております。

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まだくしゃみとは無縁でいますけど・・・

2005-03-11 22:00:26 | Weblog
花粉症等アレルギー症対策議員連盟という国会議員の集まりがあるそうですね。通称・ハクション議連とは随分お茶目な、と思いましたが、自ら花粉症などで悩みを抱える議員達の集団と聞くと、何やら期待の一つももてそうな気もいたします。仄聞するに総理自身も花粉症らしいですから、いっそのことBSEなどよりも、花粉症にこそ、国家的最重要撲滅対象としてあらゆる手を尽くして改善に努力して欲しいです。何せ今や国民の16%が患者で、年間医療費総額5000億円という国民病なのですから。命に別状無いとはいえ、この花粉の時期にどれだけの人が生産性を落としているか、平成8年には既にGNPに数千億円の損失という資産があったそうですから、今年などもっと巨額の損失をこうむるかも知れません。現在、ざっと数十億円の予算がアレルギー関連に投じられているそうですが、恐らく農林水産省の花粉症抑制米や花粉のない杉苗木の普及などにも相当流れているはずですので、実際に花粉症その物を克服するための研究に投じられている金額は、ずっと少ないのでしょう。我が国の花粉症研究の中心、国立病院機構相模原病院臨床研究センターでも、年間運営費がたった1億円しかないそうです。たった1億。実験用動物でも一頭数十万円する奴もいるそうですし、実験器具なんて数千万円クラスがゴロゴロ。もちろん研究費は色んな名目で別に入ってきてはいるのでしょうけど、研究の中心地にたったそれだけしかお金がないなんて、いくら日本の研究員にやる気と実力があっても、到底研究が進みっこありません。これほどの大問題、もっと予算を10倍、いや損失額と同じ100倍くらいドン! と投じて、研究者に力を尽くさせるべきだとかっこうは思います。
・・・取りあえず、今のところは「まだ」かっこうは無事に過ごしていますが、いつまで保つのか、本当は戦々恐々なのですよ。
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千里眼

2005-03-10 22:07:10 | 夢、易占
 今日は仕事が思いの外早く済んだので、朝からのもくろみ通り、隣町の古書店までちょっと大回りの寄り道をしてきました。
目的は、「マリみて」の続刊を購いに。
 私の町の近辺では先に入手した8冊しか無く、それらを読み終えどうしても続きを読みたかったかっこうとしては、少々の遠出も厭ってはいられなかったのでした。もちろん、そこの古書店に在庫があることは朝のうちに判っておりましたから、仕事が終わるが早いか、ひとっ走りしたわけです。と言って、その店に在庫の問い合わせをしたわけではありません。例によって、易占で卦を立てたのです。おかげさまで、現在、私は新たに追加した8冊を前に、ホクホク顔で日記を書いております。読みたい本がたくさんあるというのは実に幸せなものです。
 さて、これまでにも漠然と考えておりましたが、今日の的中を見ても、易という占いは、他の占いとは明らかに異なるようです。かっこうは昔から占星術やタロットにも凝っておりまして、本職が使う道具や書物も持っていたりするのですが、これらを使って実践した占いは、まず当たった試しがありません。一方易も万能というわけではなく、占いと言うには大きな制約が一つあります。実は、未来を予測することができないのです。単に私の実力の問題かも知れませんが、例えばこれまで散々ナンバーズ宝くじの数字当てに挑戦してきましたけど、偶然か一度かすっただけで、あとはことごとく惨敗しております。未確定な未来に対しては、まるでお手上げなのです。でも、今回のように、今、この場で情報を得ることはできないけれど、既に確定している事象(つまり店の棚には既に本が並んでいるが、それを私は確かめることができないような場合)には、かなりの高確率でそれを予測する事ができるのです。これは、買い物などをするときには非常に重宝する機能で、そもそも私が易にのめり込むきっかけになったのも、もう15年以上前のこと、雑誌の広告を頼りにアメリカの通販業者から買い物をしようとしたとき、ものは試しと卦を立てて、「もう少し待て」と出たので半信半疑で買い物を延期していたら、翌月号の広告で、その商品が3割以上値引きされて掲載され、驚いたのが始まりでした。これは恐らくユングの言うシンクロシニティなのだろうと思うのですが、あれもいわばそう言う現象がある、というだけで、その現象が一体どのような理屈で生じるのかを説くものでは無かったと思います。自分の占い方を省みても、私は筮竹を使わず、8面体サイコロ2つと6面体サイコロ1つを使う簡略法でやっておりますけど、手の中で3つのサイコロを振り回して、テーブルに放り投げているだけです。その時でた数字をあらかじめ私が自分で勝手に決めた方針に沿って易の卦に置き換え、その卦について書いてある部分を読むだけです。一応サイコロを振りながら占いたいことに集中するよう念じはしますが、おみくじのように吉を願う訳でもなし、サイコロの目が定まるまでは卦も決まらないのですから、何らかの未知の力で私の意志がサイコロに反映したわけではないのです。第一、私がどう念じようとも古書店に並ぶ「マリみて」には何ら影響を与えられないのですから、私の意志が影響するなら、在庫のあるなしに関係なく、あって欲しいと潜在的に願っている以上、あたかも在庫があるかのように卦が出ても不思議はありません。しかしながら、実際やってみると私の町の数件の古書店には無い、という結果しか得られませんでした。念のため、近所のすぐに行けるところを2、3件見て回りましたが、確かに在庫はありません。唯一在庫があると出たのが隣町の一軒だったわけで、これは考えれば考えるほど不思議な現象なのです。
 が、先にも書いたようにこれには一定の法則というか、縛りがあります。従って、その法則性を検討すれば、もう少しこの現象にメスを入れることができるように思うのです。そうすれば、いずれサイコロというミクロの世界と古書店の「マリみて」在庫というマクロの世界との間に、フラクタルな相関関係が読み解ける時が来るかも知れません。私はそれが解ける日を心待ちにしているのです。
・・・それにしても、止められませんね、このシリーズは(笑)。
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熱い熱い

2005-03-09 22:13:56 | Weblog
 今日は朝からつつがなく過ごすことができ、年に何回あるかと言うほど物事がスムーズに進んだ1日でした。花粉症の「スイッチ」もまだ入りませんし。このまま寝るまで何事もなければ日記に書く事もなくすんなりだったんですが、まあ世の中そう甘くはないようです。何を失敗したかというと、お風呂を沸かすのを間違って普段の1.5倍くらい長く火をつけ放しにしてしまいました。まだ水も冷たいのでそれくらいではぐつぐつ煮えたぎるようなことにはなりませんが、そのままでは手も入れられないくらいの熱さにはなります。結局水を入れて埋めてから入ったのですが、あまり水を足すと湯船から溢れこぼれる湯が増えてもったいないので、とにかくぎりぎり我慢できる熱さまで埋めて入りました。おかげでまだ足などぽかぽか熱くて赤くなっています。
 かっこうは風呂はぬるめにしてゆっくり時間をかけるのが好きなのです。余裕次第の所もありますが、最低30分、できれば1時間くらいゆっくり湯船に使っていたいといつも思います。医者によっては、睡眠時間を削ってでも半身浴でゆっくりぬるい湯に入るのがいい、と言う人もいるようですが、確かにゆっくり風呂に入るというのは、精神的にもリラックスできていいように思えます。この間、関東方面に出張したときなど、ホテルの大浴場の湯が浅く張ってあるのを幸い、誰も他に客もいなかったものですから、湯船の一段高くなっているところに、沈めた洗面器を枕にして文字通り1時間ばかり寝そべってましたが、とにかくそう言う入り方が好きなのです。そんな大切な時間をちょっとタイマーを入れ損ねただけでふいにしてしまうとは、我ながらもったいないことをしました。まずは汗が引くのを待ってから寝たいと思いますが、こういう入り方をしたときは結構目が冴えてなかなか寝付けないものなんですよね。困ったものです(苦笑)。

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いつまで「表現の自由」に頼るのか・・・

2005-03-08 22:25:10 | Weblog
今日になって、花粉症持ちの同僚が、朝から目はしょぼしょぼ鼻はくしゃみ連発、と完璧な症状を呈しておりました。私同様今日までだましだまし頑張っていたようですが、本人曰く「とうとうスイッチが入った」。私はまだ何とか「スイッチ」入らずに過ごしていますが、はたして最後までだましだましスイッチを切ったまま行けるでしょうか?

さて、大阪府で残虐ゲームソフトの年齢制限規制を検討しているそうです。あの教師殺傷事件犯人が暴力シーンのあるゲームにはまっていたというのがきっかけとか。対するゲーム業界は「表現の自由にかかわる」と反発しており、今後議論を呼ぶんだそうです。まあかっこう自身は既にいい年ですし、それ以前にゲームその物にさほど興味が無いので、ある意味どうでもいいことといえるのですが、事がゲームだけに納まらず、色々広がりを始めると、関わりもどこかででてくるでしょう。端的に言えば、夏冬東京・有明まで行く楽しみがなくなったり、好きなコミックスを読めなくなったりするのは願い下げです。
こういうときいつも思うのは、そういうゲームで表現されている残虐さや性的刺激がどれだけ人の行動に影響を及ぼすのかを検証した科学的データが何故でないのかということです。ここまで騒がれるのなら、ゲーム業界も「表現の自由」を楯にするばかりでなく、自治体・政府とも組んで研究者にテーマと資金を提供し、しっかり研究させればいいのです。それこそ、心理面の研究だけでなく、農家学的なアプローチや遺伝的な側面の検討など、やるべき事、やれそうなことは一杯あるように思います。そんなデータを積み上げた末、やはり一定年齢以下の多くの人間に悪影響が有る、とでたなら、ガンの原因になる事が判った食品添加物のように、全面禁止にすればいいんです。そうではなくて、大多数の人には何の問題もないが、有る特定の人にだけ致命的な影響を与える食品があるように、特別な人だけに影響がある、と言うのなら、そう言う人の手に渡らないよう、方策を考えるべきではないかと思います。でも、例えばゲームもそうですし、このネット社会のようにほとんど野放しに近い刺激環境が充実している我が国で、現実に犯罪行為にまで突っ走ってしまう人がほんの一握りにすぎないことを考えると、ゲーム原因説はいまいち説得力に欠ける気はいたします。それよりは、そうやって犯罪まで行ってしまう人物の研究を進める方が手っ取り早い気がします。これで罪を犯しやすさが何らかの客観的指標で計測でもできるようになれば、それを基に罪を犯しやすい可能性のある人をピックアップし、特別な教育カリキュラムを組むなどの方法を検討することだって出来るではないですか。
こんな事を言うと人によってはそれは「差別」だとおっしゃるかも知れません。ですが、私にしてみれば、何の根拠もなく、人は皆平等、などという考えの方が疑わしいです。体力や性格や、人は基本的に千差万別で、その多様性こそが大事だと私は思います。ひょっとしたら、犯罪傾向の強い人間も、世が世ならなくてはならない存在だったりするかも知れないわけで、そういう人が地球上からいなくなってしまうのは、長い目で見たら損失ではないかとも思えます。ようは多様性を損なわないようにしつつ、普段の安全安心な営みをどうやって守っていくかが大事なのでしょう。
まあそこまで極端に走らなくても、取りあえずゲームが人に与える心理的影響について、本気で研究すべき時に来ているのではないでしょうか。いつまでも根拠のない憶測や雰囲気で政策決定するようなことは、そろそろ卒業していただきたいと切に願います。
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また電源が・・・

2005-03-07 21:04:42 | Weblog
愛用のノーパソを今日も使っていると、普段あまり見ない警告ウィンドウが・・・。バッテリーの残量が少なくなって、このままでは10秒以内にスリープします、と言うのです。あっと気づくと、デスクトップのバッテリーのインジゲーターもエンプティ状態を示しています。でも、既にへたって久しいバッテリーですから、普段はACアダプタ付けっぱなしで動かしています。バッテリー切れなど起こるはずがないのですが、アダプタの接続が半ば抜けてバッテリー電源に切り替わっているのに気づかなかったというのはよくあること。そこで、ACアダプタを繋ぎ直してみると、充電開始のサインがでてその時は一安心しました。で、再び作業に取りかかってみると、しばらくしてまた同じ警告がでて来ました。おかしいな、とまたアダプタを差し替えてみると、今度はまるで反応しません。これは大変、と抜いたり差したりしているうちにまた充電を始め、それではと使うとまたまたAC電源からの供給が途絶える、の繰り返し。実は一昨日からスイッチを入れてもうんとも寸ともいわないという事が頻発しており、ACアダプタを抜き差ししているうちに動き出してはいたのですが、いよいよACアダプタが故障したか、あるいはパソの電源管理ICがいかれたか、どちらにしてもこりゃ大変だ、と大いに慌てました。仮にACアダプタが原因としても、この田舎町では、iBOOKの電源などそう簡単には手に入らないのです。でも、そうこうしているうちに、根本から電源ケーブルを軽く曲げると、電気が通じたり切れたりすることに気がつきました。どうやらケーブル内部の断線のようです。別のアダプタが入手できない限り、今の作業を続けるには、切れかかっているケーブルの位置を特定し、つなぎ直すしか有りません。そこで曲げたときの通電具合を確かめつつおよその見当を付け、ケーブルの被覆をカッターで切り開けてみると、有りました。焼けこげてすっかり脆くなった電線が。位置の特定が出来たので、ケーブルを切断し、プラスとマイナスを間違えないよう注意しつつ、ハンダで接続しました。ちょっと絶縁が悪くて、コンセントに繋いだ途端小さな火花が散ったりする場面もありましたが、最終的には取りあえず問題なく通電するようにはなりました。ただ、悪魔で今の作業を続行するための応急処置ですので、早めにアダプタを新調しないと安心して使えません。デスクトップに続いてまたも電源トラブルとは、何とも物いりで困ったものです。
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面白い本を読みふけっております。

2005-03-06 22:26:44 | マリア様がみてる
 今「マリア様がみてる」という小説をずっと読みふけっております。
 2月25日の日記で某御仁を激怒させるようなことを書いたように、正直その時はそれほど大きな期待は抱いてなかったのですが、読み終わったあとは続きが読みたくて、でもなかなか手に入らなくて、次を入手するまでその一冊を何度も読み返しました。で、結局続きはその1冊目を入手した近所の古本屋さんで、1ヶ月前そのままに固めて並んでいた残り7冊をまとめ買いし、一息に読み切ってしまいました。これほど一つのシリーズに入れ込むのは活字好きのかっこうとしても結構久しぶりの経験でして、思い起こせばはるけき10代のみぎりに手にした吉川英治の「三国志」とか、もう少し年喰ってからの「平家物語」や夏目漱石の作品群以来かも知れません。「三国志」と「マリみて」とはどういう趣味をしているのか、と突っ込まれそうですが、私は興味のあるものはとにかく何でも呼んでみないと気が済まない質で、「三国志」も「マリみて」も、私からすれば同列の「面白い物語」なのです。
 ただ、ちょっと困ったのはこの本がやっぱりコバルト文庫だという点。
今回、日記が途絶えている間にちょっとやぶ用あって関東方面に出張っておりました。当然のごとく数冊の「マリみて」携えて行って暇さえ有ればページを繰っていたのですが、要所要所に入れられた挿し絵が結構気になる内容で、電車の中で堂々と読みふけるのに、少々苦労いたしました。作中文庫の「コスモス文庫」の様な本だったらもっと気にせず没頭できたんですけどね。
 で、何が面白いかというと、2月25日にも書きましたが、まずその独特のリズム感ある読みやすい文体。かっこうは基本的に内容よりも文体を重視する読み方をします。プロであれ同人であれ、お金を取って文章を披露する以上、基本的な表現力は有って欲しいもの。その上でその人独特の味というか、うまさが見えれば、大変有り難く頂戴出来るのです。
 次に興味があったのが舞台設定。カトリックの私立の女子校などかっこうには無縁の世界ですが、生徒会が舞台というのは、懐かしさがあるんです。自分もさる学校で生徒会役員をやったりしてましたから。全校生徒の前で演説したり、文化祭なんかで忙しく先輩後輩と入り交じって走り回ったり、大変でしたが実に楽しい一時でした。そんな楽しかった時代を少しだけ思い出させてくれる設定なのが取っつきやすかった一因かも知れません。
 あとはそれぞれの人物が生き生きと描かれている点。これはかっこうとしても見習いたい部分です。お話は、正直言うと少し淡泊というか、もう少しひねりというか、ドラマがあった方がいいかな、と思うところも散見致しますが、まあ「コバルト文庫」という入れ物の制約がありますし、それでつまらないというわけではけしてありません。その辺り、ひょっとしたら自分で同人誌にしてみる、という選択枝も考えられないこともありません。ただ、まだ作品の中に浸りきっている状態なので、もし書くとしたらもう少し客観的にこの世界を捉えられるようにならないと駄目でしょうね。取りあえず某御仁からは全巻3回通読を義務づけられておりますので(笑)、そのうちに出来るようになるかも知れません。
 とにかく、活字は好きだけどこれはまだ読んだことがない、と言う方がおられましたら、試しに一冊、のぞいてみられるのも悪くないと思います(男女問わず)。

 
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BLOGにしてみました。

2005-03-05 16:02:01 | Weblog
 前々から思っていたのですが、とうとう日記をブログにしてみました。
 今までのホームページ形式でもよかったのですが、出張などで出かけてしまうと更新がほとんど不可能だったり、テキストだけとはいえ、数が増えてくるとさすがに容量を圧迫しかねないなどが懸念されたため、思い切って建て直す事にしたのです。
 そもそも、こんなに長くほぼ毎日自分が日記を書き続けるとは正直思っていなかったので、あまり更新のしやすさとか考えておりませんでした。でも、どうやら珍しいことに私にも日記を書く習慣ができつつあるようですので、これはちょうどいい機会だと思っております。
 まあ形が変わっただけで、内容は今まで通り、その日感じたこと、思ったことなどを好き勝手に書き散らす事に変わりはありません。まあえてして環境が整った途端に、初めの意気込みもどこへやら、と更新が間遠になることがありがちな私ですが、しばらく続けてみて、前の方が具合が良ければ、また戻すかも知れません。私の戯れ文をお読み下さっている方々に置かれましては、申し訳ございませんが私の気まぐれに今後ともお付き合い下さりますよう、お願い申し上げます。
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