かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

昨日のブログに夜行バスの事を書いたら、なんだか色々と思い出してしまいました。

2010-02-15 22:19:24 | Weblog
 昨日夜行バスのことをブログに書いたことで、昔、バスに乗っていた時のことを色々と思い出しました。例えば拙著「悪夢の純情」を書いた時は、夜行高速バスで行って朝からあちこち東京を歩き回って取材し、結局その時のメモの三分の1くらいしか使わなかったのですが、色々と発見もあって楽しい一時を過ごしました。また、Macがメインマシンだった頃は、秋葉原で出物のアップグレード用マザーボードが出ている、という情報を見て、休みを幸い夜行バスで行って、その日の夜行バスで帰ってくる、という弾丸ツアーもやりました。今から考えるとなんともバカバカしい事をしたものだ、と苦笑の一つも出てくるのですが、当時の大阪ではMacのパーツなんてまず手に入りませんでしたし、バス代を出しても、同一スペックの新品を買うよりは遥かに安く付きましたから、十分元はとれたのです。
 バスだけじゃなくて、青春18切符を使って、JRの夜行快速に乗ったこともあります。それも、最近の特急車両を使った豪華快速「ながら」じゃなくて、繁忙期だけ走らせる臨時の通常車両のを。対面4人がけの、今なら間違いなくエコノミー症候群と騒がれかねないような固いシートと垂直の背もたれのやつで、品川から大垣まで一晩かけて移動したのです。この時の車両がまた汚いもので、掃除してないのか、米粒ほどの小さなGが床を何匹も這いずり回っていて、これは寝てるとエライ目に合うかも? と、一緒に乗った友人と二人、膝を突き合わせて朝まで徹夜で頑張ろうとしたのですが、途中でいつの間にか寝てしまい、到着したらしたで、早朝の大垣駅ホームで大阪に向かう列車を待って寒さに震える体たらくでした。そう言えば、コミケの帰り夜行快速で戻ってきて、その足で京都市内の取材をしたこともありましたっけ。「夢都妖木譚」のためのもので、いい加減身体はふらふらなのに綾小路通をひたすら西に端っこまで歩きづめにして、翌日すっかり寝込んでしまったんでした。
 良い思い出というと、多分その当時、たしか大垣か名古屋くらいから熱海まで直通の各駅停車の列車が昼間走っていて、ちゃんとトイレもついていましたし、乗り換え無しでひたすらのんびりやってくれるので重宝したことがあります。ただ、東海道線を各停で走ると、愛知を過ぎた後は停る駅停る駅ひたすら静岡県で中々次の神奈川県にならないので、一体静岡とはどんだけ大きな県なのか、と途方にくれたりはしました。三島から先が豪雨で一時東海道線が運休してしまい、沼津から御殿場線に乗るかまだ動いていた新幹線に三島で乗り換えるかさんざん迷った末に、遠回りするよりは、と断腸の思いで新幹線に乗ったこともありました。今にして思えば、あの時こそ御殿場線に乗る最初で最後の機会だったのかもしれません。
 すっかり忘れたようでいて、ふとしたきっかけで思い出は蘇るものです。今はさすがにもうそんなバカをやるだけの体力が無いのが寂しいといえば寂しいですが、昼間ののんびり旅行くらいならまだまだ出来そうですし、いつかまた、遠出するときは新幹線や飛行機を使わず、各停乗り継いで行き来したいと密かに願っていたりします。


 
 
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東京-大阪間が500円で移動できる場合があるのだそうです。

2010-02-14 21:46:10 | Weblog
 ネットニュースで東京-大阪間500円、という記事を見ました。平成エンタープライズ社という夜行高速バス会社の試みで、オフィシャルサイトの予約ページで突然発表される「10席限定シート」というキャンペーン企画だそうです。いつ発表されるか判りませんし、座席の指定はできないので、どんな席があたるかも不明ですが、運が良ければ500円でとりあえず東京-大阪の片道を、500円という、値段というのもバカバカしいくらいの破格値で移動できるわけです。
 
 昔、まだ若いと自信を持って言えた頃は夜行高速バスも良く利用しました。往復切符なら奈良-東京が15000円ほどで乗れましたから、新幹線片道とさ程変わりませんし、夜の間に移動して、現地で朝から行動できる利便性はありがたいものでした。ただ、朝6時過ぎ到着、と時刻表では書いてあったのに結構早着する事も多く、まだ真っ暗な朝の5時過ぎに新宿などに放り出されて、途方にくれたこともなんどかあります。まだその頃はマンガ喫茶とかなかったですし、朝っぱらから開いているお店もあまりなくて、第一寝不足でしたから、仕方無しに動き出したばかりの山手線に乗って隅の席で眠り、そのまま何周か電車にゆられ続けたこともありました。
 また、もちろん東京だけじゃなくて、九州、中国地方などにも使いましたが、田舎の場合の早着はもっと難儀で、結局駅の待合で仮眠して、なんだか周りが騒々しいな、と思ったら既に通勤通学ラッシュの時間になっていて、駅を通る人々に奇異の目で見られたりしたこともあります。
 それでも安さと利便性を評価し、青春18切符が使えない時期などはまず第一にバスでの移動を考えるくらい重宝していたのですが、そんな高速バスに乗らなくなったのはいつの頃からでしょうか。10年くらい前だと思いますが、一晩バスに揺られるのがだんだんきつくなってきて、特に眠れない、というのが顕著になってきたために、朝着いたはいいもののまともに仕事にならなかったり、帰ったら帰ったでその疲労が何日も抜けなかったりで、そんな苦労をするなら夜乗るのはもうやめよう、と、昼の東名高速や中央高速のバスに乗ったことも何度かありますが、こちらは延着がひどいし一日潰れるし前泊が必要になるので、結局最近は多少お金がかかっても大抵新幹線で済ませてしまうようになってしまいました。

 でも、500円、だとちょっと考えてしまいますね。最悪一晩徹夜を覚悟して事前に準備を整えておく事だって不可能ではないですし、いっそ前泊して体調を整える時間をとったとしても、500円なら宿泊しても十分新幹線より安くいけます。まあそう簡単に予約できるものでもないらしいのでまさに運が良ければ、なんでしょうけれど、時折はサイトを見に行って、運だめししてみようかと思います。
ちなみに公式予約サイトは、こちらです。http://vipliner.biz/

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『脳科学理論が解説。「集中力」が増す3つの仕かけ』って、私のような凡人にも実行可能なんでしょうか?

2010-02-13 23:08:49 | Weblog
 今、ブラウザの操作をミスって書いていたブログ500字あまりが吹っ飛んでしまいました。己の集中力のなさを情けなく思う瞬間ですが、就寝時間を前にして、眠気も増して来て一段と頭もあやふやになってきているようです。
 せっかく話題として書きかけていたネットニュースの記事『脳科学理論が解説。「集中力」が増す3つの仕かけ』
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100212-00000001-president-bus_allを読んだばかりだったんですど、こりゃ何の役にも立って無い感じがします。

 その記事の中身が気になる向きはリンクをたどっていただくとして、筆者の脳科学者がのたまう集中力発揮条件は、次の3つだそうです。

●point 1:ゴールを決めない
●point 2:コツコツやらない
●point 3:結果を求めない

 昔風に言えば、勝って兜の緒を締めよ、攻撃は最大の守り、人事を尽くして天命を待つ、といったところでしょうか。でも、記事では金メダリスト北島康介を引き合いに出してその極意を説いてくれているのですが、私のような凡人に果たして可能な極意なんでしょうか? 昔から似たようなことが繰り返し言われていることからしても、相当むずかしい事なんじゃないか、と思えたりもするのですが。
 特に結果を求められる今日、自らそれを放棄して目標達成の「仕方」にこだわり、損得抜きの全力投球をする、なんて、やろうと思っても中々出来そうにないきがするのですが、でも、頷ける点も多々あるのも確かなのです。
 例えば私は勝負事が大の苦手です。昔、将棋が割と好きで仲間内でよく指していたのですが、何かかけ出すととたんに勝てなくなるのです。カケとか無しだとそれなりに力を発揮して、結構戦績も良かったのですが、勝たなくては、と思った途端に萎縮して勝てなくなる、というのは、そんな将棋に限らずいろんな場面であったように感じます。また、もうどうにもならんからと開き直ってやったのが良かった、なんて仕事も過去にはありますが、基本性格として石橋を壊れるまで叩いて、その限界を知ってからおもむろに進む、なんていうのを信条としている私としては、上記の3条件は結構ハードルが高いように感じるのです。まあ開き直らざるを得なくなるまで追い詰められるしかなさそうなわけですが、日常的にそんな体験を続けると、集中力がアップする前に胃がダウンしてしまいそうで、中々記事の通りには行かないように感じます。そういう条件をクリアできるというのも、才能のうちなんじゃないか、と思ったりするのですが、どうなのでしょう?

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バレンタインデーを二日後に控え、その起源を教えてくれる記事がありました。

2010-02-12 22:07:49 | Weblog
 明後日日曜日はバレンタインデー、ということで、今日の職場の仕出し弁当には小さなチョコレートクッキーが添えられておりました。日曜日では休みだからその手のサービスもできかねる、ということなのでしょうね。別に翌15日(月)でも構いやしないのに、と私なぞは思うのですが、弁当屋さんには弁当屋さんの都合もあるのでしょう。それはそれでまあどうでも良いこととして、日曜休みの学生諸氏は一体どうしているんでしょう? ちょっと気にならないでもないです。

 ところで、ナショナルジオグラフィックにバレンタインデーの起源について記事が出ていました。
『バレンタインデーの歴史と愛の脳科学』http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=4126200&expand
というものですが、もともとはキリスト教徒は関係ない「ルペルカリア祭」という名前のお祭りで、毎年2月15日、ローマ帝国で裸になった男が、多産を祈願して、ヤギや犬の皮でできたムチで未婚の女性を叩くというもので、5世紀まで広く行われていたのだそうな。教会としてはなんとかやめさせようとしたけれど果たせず、結局西暦270年2月14日に処刑されたという聖ウァレンティヌスの伝説にかこつけて、キリスト教公認の祝日にしたのが始まり、と言う事らしい。私はてっきりお菓子やさんの陰謀説を半ば本気で信じていたので、ちゃんとそれなりの歴史ある背景があろうとは、不勉強で知りませんでした。
 それにしても、多産のために女性のおしりを叩く、という行事、洋の東西を問わず、古代社会には割と普遍的に観られる話なのでしょうか。我が国でも、平安時代の貴族社会では1月15日に薪で女房達が尻を叩き合う遊びというか行事というか、これも安産の願掛けなのですが、そんな話が枕草子にあったのを記憶しております。まあ時代は千年ほど違うので、ひょっとしてひょっとしたらシルクロードか海の道かを超えて、千年かけて遠くヨーロッパから極東の島国までそんな伝承が形を変えて伝わったのかもしれません。そんな夢想にふけるのも、また楽しからずや、という気もします。
 ところで、個人的にはチョコレートなどの洋菓子系よりも、おはぎや大福のような小豆系和菓子の方が好みなので、そんなモノを贈りあう様な日を業界上げて作ってみて欲しい、と思ったりもするのです。

 
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「AKIRA」の実写化なんて本当に出来るものなのか、ちょっと半信半疑ですが、楽しみでもあります。

2010-02-11 22:25:55 | アニメ特撮
 「AKIRA」が実写になるんだそうですね。シネマトゥデイというサイトの記事で、そんな話を見ました。なんでも去年からその話があって動き出していたのが頓挫して、中止されたそうですが、それが改めて仕切り直しで再始動したのだとか。あのアニメを初めて来たときは映像の迫力に戦慄しましたが、実写で果たしてそれが再現できるのか、あるいは更に超えた迫力を生み出してくれるのか、いろんな迫真の映像を生み出してきたアメリカ映画だけに、かなり興味がそそられる話です。原作をなるだけ忠実に再現するため、2本各2時間ずつの映画に仕立て上げるそうですが、それが本当に実現するなら、相当期待ももてそうな気もいたします。順調に行けば来年公開だそうですから、楽しみに待つといたしましょう。でも、3Dになったりしたら困りますね。容易に3D酔いする私としては、いくら迫力が増すからと言っても安易に3Dにはしてもらいたくないです。この肉体的な問題、なんとか出来ればいいんですが、どうにかならないものでしょうか? ちょっと検索かけてみましたが、根本的な対処法はなく、結局は慣れるしかないものなのだとか。やはり、視覚以外の情報、例えば三半規管で感じる重力加速度とかの情報を脳に直接送り込んで錯覚させるような完全なバーチャルシステムでもできない限り、私には3Dを楽しむ事は出来なさそうです。寿命が来るまでにそんな装置ができないものでしょうか。

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仕事が立て込んで手が動かなくなってくると、少々雑念も沸き上がってくるようです。

2010-02-10 22:34:34 | Weblog
 今、ちょうど今年度の報告と来年度の予算申請のための資料作りで、毎日10時間くらいパソコンの前でキーボードを叩き続けています。終り頃など手が思うように動かなくなって、メール一つ打つにも苦労するような塩梅なのですが、特に昔から弱点だった左手の小指の疲労は激しく、ほとんどキーを押せない状態になってしまいます。まあ確かに随分手を酷使しているな、という自覚はあるのですが、それでも以前はもう少し頑張れたように感じます。例えば全力で麗夢同人小説を作っていた頃などは徹夜でひたすら文章を打ち続けた時もありましたし、仕事でも今と左程変わらないか、かえって多いくらいのテキストを打ちまくっていた事もありました。それでも、左手小指はしびれて難儀することはあったものの、手、全体がこわばって動かなくなる、なんてことはありませんでした。そういえば、この間の健康診断で握力を測ったのですが、明らかに数値は低下していました。少しずつではありますが、やっぱり確実に身体は年を取って弱っていっているみたいで、こういう修羅場を迎えると、そのことを如実に意識させられます。
 こうなると、そろそろキーボードに変わる入力デバイスが欲しくなりますが、まだまだ口述筆記は難しいみたいですし、残念ながら、今のところテキスト入力にはキーボード以外の選択肢はなさそうです。ならば、昔は日本語キー入力に特化したような特殊なキーボードもありましたが、PC用に同じようなコンセプトのキーボードが出たら、試しに買ってしまうかもしれません。もっとも、あの手の特殊配列のキーは覚えるまでが一苦労で、今の自分が果たして覚えられるかどうか、それ自体が微妙だったりもします。
 また、仮に口述筆記が実用レベルに達したとしても、それ自体に慣れるまで結構な時間が必要でしょうね。キーボードで字を打つ、というのは、単に頭に浮かんだ言葉をテキストにして行くという単純な作業ではなく、結構短時間に頭の中とキーボードと画面とで文字や文章をやり取りして、その都度微妙に調整をとりつつ、文章化しているようです。口述筆記になると、そんな過程がなくなる分、とりとめのない言葉が溢れて文章が無茶苦茶になる気がするのです。これは昔、手書きからキーボードに文章制作を移したときにも感じたことですが、文章制作はその時に慣れている方法でテキスト構成する頭の中のプログラムも最適化されているらしく、中々思うように文章に出来ないでいて、結局手で下書きしてから打ち込む、という二度手間をしばらくやっておりました。そのうちキーボードで直接文章を打ち込むことに違和感を覚えなくなりましたが、今後素晴らしい技術発展で新しいデバイスが生まれたとしても、その種の慣熟期間はどうしてもさけられないことでしょう。
 ・・・なんて、動かない手をだましだましキーボード上で動かしながら、そんなとりとめもないことを考えておりました。早くこの仕事片付かないものでしょうか(苦笑)。

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腹囲85cmは根拠が無しというものの、少しずつせり出すお腹はやっぱり気がかりですね。

2010-02-09 21:45:35 | Weblog
 異様に温かい一日でした。職場の室内より外のほうがずっと暖かで気持ち悪いくらい。少しは暖気が部屋に入ってこないか、と窓を開けてみたんですが、風がないためか全然室内は温もることが無く、結局ストーブを焚く始末でした。ただ、花粉は確実に飛んでいて、朝から鼻がムズムズとします。薬を飲むと眠気で48時間行動不能になるし、といって飲まないと鼻や目の不快感が収まりませんし、へたをするとまた蓄膿症状を呈して頭痛がしたりしてくるのが厄介です。なんとかマスクだけでしのぎきれればいいんですが。

 さて、冬はどうしてもお腹周りに脂肪がついて太ってくる傾向がここ2,3年富に顕著になってきているのですが、厚生労働省の調査によると、腹囲を基準にメタボリックシンドロームを認定する現行の基準には科学的根拠が認められない、という結果になったのだそうです。ここ最近、健康診断の時にメジャーでへその部分のお腹周りをいちいち測らされておりましたが、あれはあんまり意味がなかった、ということのようなのです。現行基準では男性で85センチ以上、女性90センチ以上で、更に血糖、脂質、血圧で異常があればメタボリックシンドロームと認定され、保健指導の対象となるのだそうですが、40才以上3万1000人について、心筋梗塞、脳梗塞の発症と腹囲との関連を調べたところ、例えば85センチを境に急激に発症が増えたり、というようなことはなく、どこからが危険域、というような線引きは出来なかったのだとか。まあだからと言って安心も出来ず、今、メタボと診断された人は、そうでない人に比べて発症の危険性は男性で1・44倍、女性で1・53倍高くなるとのことですから、標準的な太さに抑えるよう努力するのは間違いではないようです。でも、あれだけ大々的に宣伝し、今や日常用語として通じるほどになったメタボが、結局さしたる根拠もない話だったというのはいかがなものなのでしょう。まるでかつての健康情報番組の捏造にも通じるような意図的な何かを感じないでもないのですが、なにはともあれ、もう少し意味のある指標で有効な健康指導が可能なように、話をしてもらいたいものです。そろそろ遺伝子配列に基づくオーダーメイド健康診断、なんてのもあってもいいんじゃないか、と思ったりするんですが、まだ時期早尚でしょうか?

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まるで冬眠したように、惰眠をむさぼってしまいました。

2010-02-08 21:53:19 | Weblog
 昨日は午後4時過ぎに、ちょっと横になろう、と寝転がったまま、途中、一度だけ午前1時頃に起きてトイレに行きましたが、それ以外はひたすら惰眠を貪り、今朝6時までぐっすり寝てしまいました。原因は日頃の疲れも多少はあったのかもしれませんが、一番の元凶は花粉症対策の抗アレルギー薬です。昨日は朝から頭痛とくしゃみが止まらなかったので、やむなく昼過ぎに薬を飲みました。眠くなるのはわかっておりましたが、昼間ならそうそう眠くもならないですし、夜早めに寝ても、十分寝付きが良くなって明日朝はすっきり起きられるだろう、と思っていたのでした。
 でも、その考えは甘かった。
 おかげでブログ一回抜けてしまいました。しかも、朝起きてもまだ眠いのです。というか、一日中眠気が抜けず、車の運転も危なっかしくて弱りました。昔は眠気も1日限りだったように思うのですが、今回は2日目にしてまだ強い眠気が襲ってきます。いい加減クスリの影響も抜けているだろうと思うのですが、この分だと、今夜も間違いなくぐっすり眠ることになりそうです。
 花粉症はまだこれから。今年は花粉が少なめ、だからといってまるで油断は出来ません。しかも手持ちの薬がこんな調子では全く頼りにするわけには行かないので、医者に眠くならない薬を改めて処方してもらうか、無ければ薬以外の方法でなんとか花粉の季節を乗り切る方策を考えないといけません。しかし、今はもう眠くて眠くて、到底頭が働きそうにないので、とりあえず明日、改めて考えてみようと思います。明日からしばらくは温かいけれど、ずっと雨模様の天気だそうですし、花粉もこの分ならそうは飛ばないでしょう。とにかく寝るだけ寝てとっとと薬を抜かないと、いつまでもこんな調子では仕事になりません。

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マリア様がみてる 私の巣 ようやく読みました。

2010-02-06 23:22:12 | マリア様がみてる
 大分遅れましたが、「マリア様がみてる」最新刊、私の巣(マイ ネスト)の感想をしたためておきましょう。今までマリみては大体発売日に購入していたのですが、この本は10日以上遅れた上、そのまま読まずにずっと放置していて、一時はどこに置いたか忘れてしまうというような状態になっておりました。それというのも、基本的にマリみては前巻の祥子卒業で祥祐時代が終結し、とりあえず幕を閉じた、という認識だったことと、本巻がこれまでのレギュラー陣とは違う人たちのお話でまるまる1巻出来ていたこともあって、正直、あまり食指が伸びなかったのです。これまでも、時々あった短編集の巻ではやはり同じようにちょっとした不満を抱いていたのですが、各短編をつなぐための幕間劇で、一応レギュラーのお話が挟まれていたこともあったのか、まだ読む気をそそられていました。いわば、マリみてにしてマリみてにあらず、という感じがどうしても拭えず、ページを開くのが中々だったのです。
 ところが、なんとか本を再発見して読み始めてみると、最初想像していたよりもお話が結構面白く、寸刻の緩みも無く瞬く間に読みきっておりました。一応一つ一つ別のエピソードが割り振られた短編集のような体裁なのですが、登場人物は統一されており、主人公の1年生朝倉百と2年生筒井環が大叔母と姪になるちょっと複雑な家庭事情を、夏から翌年夏の1年を通じて語り継ぐ、という話になっており、舞台も学校よりもその二人がそれぞれの家族もろとも住んでいる古い大きなお屋敷が中心に据えられていて、二人を取り巻く家族たちの姿も結構楽しめる人たちでした。これまでの短編集では、各編の出来にどうも振れがあり、一時的に読む気が削がれるいわゆる淀みができることがあったのですが、この本はそんなことはなかった点も、すんなり読めた理由なのでしょう。
 読む前には「マリみてにしてマリみてにあらず」という点が気になって食わず嫌いになっていたのが、読んだ後は、その似て非なるところが逆に気に入ってしまった、というのですから、私も大概現金なものです。

 それにしても、マリみてはこの後も続くのでしょうか? 続くとして、今回のようなオリジナルサイドストーリーが主になるのか、はたまたこれまで通り薔薇の館を舞台としたお話になるのか、少し気になります。まあ今回のような話ならサイドストーリーも悪くない感じなので、今後とも何らかの形でマリみてが続いてくれたらいいな、と思います。

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植物状態のヒトはただ眠り込んでいるわけではなかった?!

2010-02-05 22:19:20 | Weblog
 今朝、職場で使っているノートパソコンが、落雷の影響でプスン、と音を立てて止まる、という夢を見ました。現実にあったら悲鳴を上げているところでしょうけれど、夢の中では余り深刻に感じていなかったみたいです。ひょっとしたら仕事のストレスで、パソコンを壊したくなっているのかもしれませんね。

 さて、斯くの如く、自分のことでも中々理解は難しいわけですが、イギリスでは、fMRIを使って植物状態の男性の意思確認に成功した、というニュースが有りました。植物状態のヒトが意識不明で深い眠りに落ちているんじゃなくて、ちゃんと意志が存在する、というのも驚きなわけですが、それを確認したというのもまたすごいと素直に思います。もっとも、意思表示と言っても今のところ「はい」か「いいえ」しか出来ないため、どこぞのスタンド使いのような感じでしか読み取れないという限界はあります。ただちょっと不思議なのは、どうやってこちらの意志を相手に伝えたか、です。MRI核磁気共鳴は、ヒトを挟んで強力な磁石を強制的に左右に振り回して磁場を急激に変化させた際に生じる体内の水素(水の)や炭素(タンパク質や糖分や脂肪の)などの変化を読み取って、そのデータをコンピューターで映像化して中の様子を探る、というもので、この磁石を動かす際にドラム缶の中に入って外からガンガン叩かれるような音がするそうで、海堂尊の小説では、このMRIの専門家が子供の患者たちから「ガンガン魔人」なるあだ名を付けられているなんて書いてあったりもするのですが、そんなうるさい装置の中に患者を入れて質問を繰り出すなんて、どうやってしたんでしょうか。実に興味深いものがあります。
 それはともかく、もう少しこの手法が進歩すれば、例えば新しい嘘発見器が出来たりするかもしれませんね。それこそ、あのスタンド使いのように、「魂は嘘をつかない」と言えるくらいに精度良く内心をイエスとノーで読み取れるようになれば、実用化も難しくないと思います。あとはやっぱり夢の記録装置でしょうか。そこまで行くにはまだ相当なブレイクスルーが幾つも必要な気もしますが、今のこの技術の延長線上に、そんな未来もありそうな気がするのです。

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塩を控えればよい、というのはよくわかるのですが、中々控えめにはし難いのも確かなのです。

2010-02-04 22:11:24 | Weblog
 昨日は眠り込んで降りるのを忘れるようなヘマはやらずに済み、無事京都駅で下車出来ました。携帯でブログアップしている時が一番眠気の強かった時で、やもすると、打ち込む手を休めて文章考えている隙にいつの間にか眠りかける、というのを繰り返しながら、やっとこさアップする文章を作り上げたのでした。やっぱり、休みなく場所を変えて仕事し続けるハードスケジュールというのは、澱のように身体に疲労が溜まっていくのですね。新幹線乗るまでは気が張っていたのか全然眠気なんてなかったのですが、気が抜けた途端この体たらくですから。

 さて、昔初めて東京に行った時の味の濃さには仰天しましたが、最近はそれほど差があるような感じはいたしません。インスタント食品などは、西と東で味を変えている、とも聞くのですが、私の舌の感度がイマイチなのか、それが意識されるほど味が違うように感じたことは記憶にありません。昨秋秋田まで行った時も、塩辛いとか覚えた事はなかったのですが、ひょっとしたら私自身の日常生活で、既に相当塩分が多くなっているのかもしれません。
 厚生労働省が45歳から74歳の男女約8万人を、食事全体の塩分摂取量や塩辛、漬物などの塩漬食品の摂取量の多寡でグループ分けし、数年間かけてガンや心疾患などの発生を観察してきた結果、塩を多く摂取していると、ガンになりやすかったり心疾患を患う可能性が、低塩分食のヒトより1割から2割程度高まることがわかったのだそうです。塩と心疾患や胃がんの関係は昔から言われていたことですが、生活習慣病と塩分の関係を長期追跡したのはこれが初めてなのだそうです。それにしても、低塩分のグループは一日の塩分摂取量が7.5gとのことですが、そんなモノで味覚を満足させられるのでしょうか。私はちょっと自信がないのですが、といいつつも自分が一日どれくらいの塩を摂取しているのかちゃんと計ったこともないので、たぶん多くなっているのでは? と思い込んでいるだけなのかもしれません。
 いずれにしても塩は少なめにするに越したことはないわけですが、多少寿命が縮んでガンや何かで苦しみやすくなろうとも、おいしいと感じる食事を存分に楽しむ方が良いか、それとも多少質素になり彩りに欠けることになろうとも、末永く寿命を伸ばしていった方が良いか。私などは結構悩む設問なのですが、なんとか美味しいものをたらふく食べても生活習慣病とは無縁の生活ができるようにならないものでしょうか(苦笑)。

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帰りの新幹線の中で

2010-02-03 18:47:54 | Weblog
今、関東での最後の仕事を片付けて、新横浜から新幹線に乗車したところです。タイトなスケジュールの中の綱渡りでしたが、何とか無事渡りきれたようです。もっとも、この間のこだまの事故のようなことも無いとは限りませんが、こればかりは何かあったとしてもいかんとも為しがたいので、私としては無事に家まで帰りつけるようにただ祈るばかりです。それにしても、今回久しぶりにつくばまで行って、TX沿線の開けぶりには驚かされました。新線開通当時は、ただただひたすら関東平野の田園地帯の中を突っ切って走るばかりだったのに、今日見てみましたらあちこちに住宅街が拓かれ、田畑が一掃されています。まだそんな風景が残っているところもゼロではありませんが、この様子ですと、次に来る時分にはすっかり消えて無くなっているかもしれません。話には聞いておりましたが、関東有数の人口激増地帯だけの事はあります。それと、TXの電車の揺れが少なくスピードが出ているように感じた事も、今更ながら新鮮な驚きでした。特に午後は小田急線で移動していたせいか、その差が一段と際立ったような気がします。あとそれから、秋葉原駅の工事は、一向に片付
く気配が見えなかったのもちょっとビックリしました。前に行った時もその前も相変わらず工事が続いていて、本当にいつ仕上がるのかな?という感じです。今回は時間が無くて街の散歩もできませんでしたが、次の機会には何とか時間をこしらえたいですね。
そうこうとりとめも無く書いていると何だか眠くなって来ました。これがN700系なら座席横のコンセントから電源を拝借して仕事の続きでも始めるのですが、手持ち無沙汰な今はうっかり眠りこんで乗り過ごしたりしないように気をつけないと。まあそれはそれでネタとしては美味しいかもしれないですが。
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出先でも変わらず仕事出来る環境はありがたいですが、中途半端なのはかえって大変です。

2010-02-02 19:27:59 | Weblog
 昨日から仕事でつくばに来ています。昨日は一応東京で降りたものの、某大学の先生と話をしたりして即TXに乗り、仕事は明日昼までですが、帰りはまた横浜方面の某大学を訪問してから新幹線で帰宅するので、寄り道もままなりません。必ず立ち寄る秋葉原も、今回ばかりはJRからTX乗り換えのために玄関口をかすめて通っただけ。さすがにここまでタイトだと、関東まで出てきた気がしないのですが、もちろん遊びに来たわけではないので、これも仕方がないのでしょうね。10年くらい前はまだ余裕があったのですが、ままならぬものです。

 ままならぬと言えばメールや携帯がそうで、今や出先でも頻繁に連絡が入り、昔はあった出先独特の開放感は、今はあまりありません。まあそれはそれで構わないのですが、ネット環境がどうしても制限されるので、思うように連絡を取れなかったりするのがかえってフラストレーションの素になります。今回、仕事のかねあいもあってノートパソコンを持参し、それはそれなりに重宝しているのですが、モノが古いマックのため、今のネット環境にはほとんどまともに対応できていないのです。メール一つ出すのもなんだかうまくいかないことがあって、こんな時のためにwebメールが使えるように登録もしてあったのに、ブラウザでそれを立ち上げてメールを送ろうと思ったら、旧OSでは対応しているJavaのバージョンが古すぎるのかして、いざ送信、と送信ボタンを押したら全く反応せず、送るに送れないという難儀な状態になっておりました。
 こうなってみると、やっぱり新しいのが欲しくなります。ただ、しょっちゅう出かけて出先でPCが必要、という仕事ならともかく、年に何回もそんな機会があるかどうか、という現状では、連絡だけなら携帯でも出来るし、とやっぱり二の足を踏んでしまいます。でも、そんな当たり前の考えも吹っ飛ぶくらい食指をそそるのが出てきたら一も二もなく買ってしまうでしょうね。新しいマックブックが出たときは大分心も揺らぎましたが、あれが更に進化して出てきたら、今度こそ決断してしまうかもしれません。
 
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マンガで分かる心療内科・精神科・カウンセリング

2010-02-01 20:06:51 | Weblog
 昨日、心理学うんぬん、なんて話をちょっと触れたから、というわけでもないのですが、ネットでちょっと面白いサイトを見つけました。東京は上野駅至近で開業している「ゆうメンタルクリニック」という、いわゆる精神医学系の病院なのですが、その手のお医者さんにある一種の拭いがたい偏見というか、敷居の高さを劇的に下げてくれそうな試みがなされています。その名も、「マンガで分かる心療内科・精神科・カウンセリング」
まあこの手のネタは本屋さんに行きますと今あらゆる分野の書籍で類似のものが見つかるわけですが、ここのものは無料で一通り読めますし、その中身も、十分楽しめながら知りたいと思う基礎知識を一通り得られるようになっています。まだ全部観ていないのですが、一つ一つは短い話ですし、全部観ていてもそんなに時間は掛からないでしょう。
 心理学とか精神分析学、なんていう分野には昔から興味があって、子供の時分には、将来農学でなければ心理学か考古学を勉強出来る大学に行こう、なんてことを考えていたりもしていました。まあ考古学は単なる趣味以上の何者でもなかったのであっさり進路候補からは外したのですが、心理学系はかなり後まで引っかかっていたのです。もっとも、受験も近くなって、特に致命的に英語が出来なかった己の学力と必須科目とを突き合わせた結果、農学部、それも二次試験は自分の最も得意とする小論文と化学で挑戦できるところ、と的を絞らざるを得なくなったわけですが、大学に入ってからも、一般教養で心理学をとったり、その手の本を好んで読んだりしていたものです。
 そんな古い記憶を思い起こしながら今この手の物を観てみますと、まさに隔世の感があります。あのころにもそれなりに平易な本もあったように思いますが、やっぱり分厚い専門書然とした本が多かったですし、もちろんマンガで、なんていうのは夢物語だったと思います。
 さて、現在15話までアップされていますけど、この後も更新あるんでしょうか。もしあるなら今後とも楽しみに見に行きたいサイトですが、興味は激しくそそられるものの、流石に東京では受診に行くわけにも行かないのが悩ましいところです。

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