2014年に「まちの高齢化について」というタイトルで、「“人”、“モノ”、“システム(社会)”」も高齢化していることを提起して、今後の鈴鹿市での考えを問う一般質問を行ってから10年経った今、あらためて考える必要がこの街にはあると実感しています。
ただ“ 高齢化=悪 ”とだけ考えているわけではありません。それによって得られる価値もあると考えますから。熟成ともいえるなと考えながら、発酵と腐敗も考えに近いなと検索していたら、興味深いサイトがありました。それはお味噌などのマルコメで、その中に「発酵と腐敗・熟成の違いって何?」があり、その中での一文「発酵と腐敗の違いとは、人間が人間の視点で決めたこと。どちらも微生物の力によって物質が変化することをいうのですが、それが人間にとって有益なものであれば発酵、有害なものであれば腐敗ということになります。」が、うまくあてはまるなと。
■marukome :TOP>発酵マイスターに聞く!知って得する発酵豆知識>発酵と腐敗・熟成の違いって何?
さて、仮に、生産年齢人口が最高となる一方で若年人口より高齢人口が上回ることになった1990年代半ばの状態を【 人(1)× モノ(1)× システム(1)】として、それ以降の高齢化の進行にあわせそれぞれの数字が増えていくと、乗数で課題は大きくなると考えられます。人に関しては生産年齢人口と若年人口を合わせた人数が(1)の時より上回れば、モノは新しいものに更新されれば、システムは構成するメンバーの若返りや手法などの大きな転換があれば、それぞれ(1)以下の数字になると考えるときは、それに応じて数字が小さくなる方に動く。つまり課題の解決に動くと考えられます。
一般質問で例として取り上げたのは、地域医療に関してのことで、地域医療の危機は、人である医師の高齢化が、医療体制というシステムに影響を与え、また、モノである診療所も老朽化することなどで起こってくるリスクではないかということです。それが巡って現在、9月定例議会で同僚の薮田議員が鈴鹿市内における小児科診療所の状況を取り上げ、先細る現状への取り組みを質問するなど、考えたことが起こりつつあると考えます。また、身近な地域の医療機関を考えても、代替わりという形で継続しているところもあれば、閉鎖されたところもあるなど、真剣に考えるところに来ていると感じています。
また空き家で考えると、少し大雑把にはなりますが【 居住者の高齢化と人口減少 × 家屋の老朽化 × 人口増に適応した所有の考え】という構造と考えられます。高齢化と人口減少の進行というところでは、昨年度は三重県の北勢地域の人口と同じくらいの、60万人以上が全国で減少していました。ということは、空き家になるところが増えるだけではなく、人口による需要も減ることになるでしょう。それと同時進行で家屋が老朽化すると、傷んだ住宅は選択肢からはずれてしまう。そこに人口増であれば機能していた財産権などの考えが、人口が減る中で時代に合わなくなっている可能性と重なり、日本全体で減少空き家の課題を大きくしていると考えられないでしょうか。
“モノ”の高齢化について、公共施設マネジメントの取り組みに追われていますが、そこから考えを広げると、行政の持つ施設だけではなく民間の建築物も老朽化していくこと、その修繕などは所有者の責任とは言え、あり続けることは難しいのではないかという視点も含めて考えたほうが良いように思います。なぜかというと、施設は単体で存在しているのではなくて、その他の建物などの機能と関係しながら、街を形成していると考えられるからです。
考えると、老朽化した公共施設などが車社会を前提に配置されてきたのであれば、そのままの場所で継続しようと考えると、その後の地域の構成は、車社会というシステムの継続ありきとなってしまうのではないでしょうか。そこに手を付けようとせずに、移動の課題だけを考えても解決は遠いように思います。
と、考えていくほど単純化できないことも見えてくるのですが、目に見えている社会や地域の課題を、人、モノ、システムといった視点で分けて考えてみるのもありかと考えています。
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