鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

無料ということば

2023年04月04日 14時24分27秒 | Weblog

無料という表現は、聞くと響いてくる言葉ですね。それは私たちの中で、「ラッキー」であったり「助かる」ということとつながるのかもしれません。

国や自治体の施策について、「無料化」を求める論調や、「無料化」を進めようとする政治の動きがありますが、それは本当に“無料”なのでしょうか?

地域行事などで“ふるまい”という形で無料ということがありますが、それは自治会費などの一部や、寄付などを元手に行われたりしているわけで、共同体で支え合う中の一環ということは、それなりにわかっている方が多いため、あれもこれもという話にはなりにくいように思います。

お店などで行われる無料サービスは、広告の意味合いも含めて、売り上げなどの中から出されている経費と考えられますし、経済活動の一環として考えられると思います。なので、どの程度にするかは、提供者の裁量でしょう。儲けの中からどれだけ割り当てるのか、それとも、価格などの一部に上乗せされているのか、またまたそれとも、赤字覚悟(倒産の可能性あり)で行われているのか、考え方はいろいろですが。

どちらにしろ、「誰かが負担する」ことで「無料」になるわけですよね。それにどちらの場合も、なんらかの形で私たち自身も関係しているわけです。じゃあ、国や自治体についてはどうでしょう?新しく政策として実施されるとき、お金はどこから出されているのでしょう?

国や自治体が行うことは「税」で賄われることになり、それはつまるところ、私たち自身のお金で実行されているということです。

国は赤字国債の発行や国債の名目を変えることで財源を考えることができたりしますが、自治体は消費のための地方債の発行はできず、そのかわりの臨時財政対策債を発行したり、財源はお金の使い方を変えてねん出したり、基金(貯金)があればその運用の中で考えたりということになります。

つまり、私たち自身も間接的に税の使い方を変えることに同意しているのと同じです。それは将来世代も含めた私たちで負担することは変わらず、そこに関わるのが「政治」なのですが、関わる人たちにどれだけの覚悟があるか、そこも評価と比較ポイントなのだと思います。

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女性の政治参画

2023年04月03日 20時18分04秒 | Weblog

選挙の時期になると“ガラスの天井”というような表現が用いられながら、女性の政治参画がメディアで取り上げられることが多いのですが、話題として取り上げているような感じで、日常的な政治への参画についてはあまり目が向けられていないように感じます。

鈴鹿市では昨年2月に画像にあるセミナーが開催されました。自分はオンラインで参加していたのですが、政治分野における女性の参画を取りあげたことについて、市行政の動きは評価できるものだったと思います。

ただ、内容に関することで意見があったからなのか、令和4年度は、女子高生をメインにしたイベント的なものはありましたが、同様の取り組みはありませんでした。

また、令和5年度予算では、事業説明の中に女性の政治参画が見られなくなっていました。委員会で確認したところ、事業の考えの中には入っているということだったので、市の動きは注視していくところです。このような動きについて、メディアでは取り上げられることがなかったため、冒頭で書いているような感覚につながるのです。

セミナーの内容は自分には参考になったのですが、それでも気になる点はいくつかありました。

ひとつには、現職の2人の女性議員(共に政党系)が動画で登場されていたのですが、正副議長の参加だけではなく議会からのコメントのようなものがなかったことです。これは企画の際に「身体的な性」の部分だけで考えていたからではないかという懸念と、そもそも「議会」についての知識が少なかったからではと考えました。

これらと関連するのですが、この事業が実施されるまでの間に、当時オンラインセミナーなどで他自治体の女性議員の方とのつながりもあったことから、桑名市の渡辺さとみ議員を紹介させて頂くこともできる旨を話したりしたのですが、鈴鹿市という枠の中になってしまったのは残念でした。

さて「政治」とは「集団の政策(意思)決定過程とみる見方※コトバンク:「政治」から引用」ということから考えると、議員となって議会に参加することは、「政策の決定」に深く関係することが重要な点でしょう。ですが、政治には意思形成の部分も重要と考えれば、政治参画の形を議員に特化して考えるのではなく、各種計画などでの参画機会を増やすことや、関連する政策テーマにあたって、積極的に意見交換の場を設定することを考えてよいと思います。

今年は総合計画を筆頭に、男女共同参画、教育から福祉、公共施設関係と多くの計画の改定があります。ここでどれだけ働きかけることができるのか、中高生の参画もどれだけ持つことができるのかが、鈴鹿市の大きなテーマだと思います。実践に向けて働きかけたいところです。

そう考えながら今の状況を見ると、統一地方選挙における女性候補の擁立は、各政党でもうまくいっていないように感じるところです。

 

 

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老いを認めてはどうでしょう?

2023年04月01日 09時34分00秒 | Weblog

私たちは社会の老いを認めてはどうでしょうか。

 コロナ禍の後の世の中、今直面している社会の状況を考える時、いまの私たちがしたほうが良いと考えることことは、私たち自身はもちろん、これまでに造ってきた施設や道路などをはじめとしたモノとしての街も、私たちが常識として考えてきた社会の仕組みも、すべてが「老いている」ということを受け入れることがはじまりだと思います。このことは私が■2014年6月に行った一般質問「まちの高齢化への対応について」で取り上げていることと重なっています。

※イメージイラストは「いらすとや」さんから借用しています。

 その中でも、私たちが常識として考えてきた社会の仕組みが「老いている」ということを受け入れ、それに向かい合い、必要な変革を行うことが急務になっていると考えています。以下、特定の政党を念頭に書いているわけではありません。

 第二次世界対戦後からバブル期まで、途中でオイルショックはあったものの、高度経済成長があり人口も増えてくる中で、私たちは色々な恩恵を受けてきたのは事実で、確かにシムシティなどで見られるような形で“まち”が成長し、学校や道路をはじめとした建築物や、いろいろなサービスとそれに付随した多くの“モノ”が増え、ある意味で狂乱とも言える時代を過ごしたのは事実でしょう。それはある意味で、青年期に至る過程の私たちの成長と似通っていると思います。これまでの期間に整備されてきた多くの“モノ”は、いま耐久年数という「高齢化」にさらされています。 

 また、昭和から平成、平成から令和と移る中で、出生数の減少から人口減少が進み、その一方で高齢者となる人が増えることでの社会の高齢化が進んでいるという現実、“人の高齢化”は進んでいることは避けられないことで、それをどれだけ多様な視点から考えているかと言えば、政治の場面では心もとないと思います。

 バブル景気が終わって以降、平成の時代で行われたことは、赤字国債を発行しながら、それまでと同じような政治を続けるということだったのではないでしょうか。それは、運動量が落ちているのに、青年期と同じ食生活を続けた結果、生活習慣病となっている状況と似ていると思います。それが、国と地方を合わせた長期債務が1千兆円を超えた状況だと考えています。

 そう考えると私たちは、政治の見方を変える必要があると思います。これまでは要望を実現するために政治家がいるという感覚でしたが、実際のところは現在の状況の中では、限られた財源の中で政策を選択するしかないわけです。財源を確保しようと考えるのであれば、過剰になっている事業を止める、無駄を省く、増税をする、社会保険など別の部分で負担を増やす、国債発行に都合の良い理由や説明をつけて発行する、などになるでしょう。

 そのように考えると、政治家がすべきことは将来を考え実現するものを選択しそのための財源を真剣に考えることではないでしょうか。国、都道府県、市町村、すべてにおいて重要なことだと考えます。しかし赤字国債を前提とした財政運営が行われているのはなぜか。それは冒頭に書いている「老いた」という事実を、政治が受け入れられていないからだと思います。そしてその「老い」は見た目や年齢には関係なく、思考の老いであり、判断や決断に影響しているのだと思います。

 一方で政治の老いには、私たちの選択が関わっていることは間違いなく、私たち自身も変化することが求められるでしょう。それは政治を面倒くさいと遠ざけるのではなく、また自分の考える政策や要望の実現だけに目を向けるでなく、そのための財源や他の課題も含めて俯瞰して考える機会を増やすなどして、政治の老いを遅くする必要があるのだと思います。

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