鈴鹿市社会福祉協議会を訪問した際、市のフレイル予防事業のパンフがあり、対象を65歳からとしているところに「ん?」となりました。というのは、過去の地域福祉委員会や広域連合議会などで、フレイル予防など介護予防事業については、高齢になってからではなく、介護保険料を支払うことになる40歳から啓発と取組を進めるべきではないかということを意見してきているからです。
身体的なフレイル予防や介護予防に関しては、骨折の予防や運動機能の低下を抑制するという観点から、骨や筋肉などが重要なところで、その観点から考えれば運動する習慣を持つことの重要性や、ある時点の容姿・スタイルにとらわれすぎてしまうことによるリスクなどを考えることも大切という視点から、政策や施策として考えること、それを事業の中に埋め込むことが必要と考えます。
それは身体的な性にとらわれることのないものですが、生理のある女性は閉経による変化があり、女性ホルモンの低下が骨粗鬆の原因になるなど、若年世代からの取組がより大切になると考えるところです。
ヒトは老いていく存在と考えれば、ある時点の“高齢者”の課題は、いずれ自分もそうなると考えるのが妥当ですし、誰もが“自分ごと”になるときが来ると考えながら、全ての年代を踏まえた視点で政策を考えるものだと思います。
そこで、学校教育の場での取組ということで保健に関して11階の教育委員会で、運動・スポーツという観点から9階のスポーツ課で、そしてフレイル予防や介護予防の観点から1階の長寿社会課で、それぞれ話を聞いて回りました。
結論から言えば、現時点で横ぐしに刺したように課題として共有されていないと感じました。政策として考えると、長寿社会課が主体的に関係各課に働きかける形になると思うのですが、課の名前を読んで字のごとく、“高齢者”施策という見方だけになっているからかと思います。
心や精神的なフレイル、社会的フレイルも同様に、切れ目ない世代の課題として考えるべきなのだと思います。
この20年ほどの間に急速に成長したインターネットは、LINEやフェイスブック、XなどのSNS(ソーシャルネットワーキングシステム)などのコミュニケーションサービスも生みだし、50代以下の世代はそれらにほぼ適応、60歳以上でも適応している人たちが多くいらっしゃると思います。その意味では、現在70代以上の年代の方々が向かう心や精神的、社会的なフレイルに対する考えは、急速に転換しなければいけなくなる可能性が高いと思います。
想像を広げれば、電子空間上のコミュニケーションが存在する間はよいけれども、それらが永続する保証はどこにもないわけで、それらに慣れ親しみすぎてしまったとき、実社会に関わろうという気力はどれだけあるのか、そのときに社会的フレイルや、心や精神的なフレイルに対応できる力は、私たちに私たちの社会にあるでしょうか。
そして、介護保険料が40歳から徴収されることは現実です。賃金が上がっても保険料が上昇すれば、可処分所得は横ばいか減少ということもあり得ることを考えれば、若い世代にとっても他人ごとではないはずです。抑制するためにと基準を厳しくしたりサービスを低下させても、それはいつか自分たちに跳ね返ってくることでしょう。
お金という切り口からも、介護予防やフレイル予防について、世代をまたいでみんなが考えられるようにして、そこから私ができることを考えて行動につなげる。その方が幸せな鈴鹿市になると考えます。
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