ルイガノ旅日記

あちこち出かけた場所で目にとまったもの、
心惹かれたものを紹介しています。
よかったらおつきあい下さい。

北九州市立美術館50周年記念コレクション展~あの時、この場所で。

2024年09月18日 | 絵画や音楽
建築家 磯崎新氏(故人)が設計した北九州市立美術館。独特の形状から、「丘の上の双眼鏡」と呼ばれるこの美術館は、西日本における公立美術館の先駆けとして1974年11月3日に開館しました。今年は創設50周年の節目にあたります。


丘の上の双眼鏡が、半世紀にわたって俯瞰してきた北九州の町並み。


市立美術館では現在、前身の八幡美術館から引き継いだものを含め、およそ8千点に及ぶ美術作品を保存・収集してきた50年の歩みを振り返る「大コレクション展   あの時、この場所で。  」を開催中です。




「大コレクション展   あの時、この場所で。  」のパンフレット。


この美術館のコレクションの中で最も印象的な(と私が思っている)のは、エドガー・ドガ《マネとマネ夫人像》。自宅で寛ぐ友人エドゥアール・マネ夫妻を描いたものですが、マネは何が気に入らなかったのか、ドガから贈られたこの絵の一部を切り裂いてしまったという、謎に満ちたいわくつきの絵です。10年ほど前、テレビ東京「美の巨人たち」で詳しく紹介され、この絵が北九州市にあることを初めて知りました。


ピアノを弾く妻の表情が気に入らなかったとか、ドガが透徹した画家の目でマネ夫婦に漂う倦怠感まで描き出してしまったためとも言われています。真相はわかりませんが、市立美術館に足を運べばいつでもこの絵に会えるという幸運に感謝です。


この謎について、2013年から2017年にかけて北九州市立美術館と北九州芸術劇場が共同制作した、エドガー・ドガ《マネとマネ夫人像》をめぐる推理劇『切り裂かれたキャンバス』が、10月12日・13日・14日の3日間再演されます。(それぞれ12:00と14:30の2回公演、日時指定、一般2,000円)


ピエール=オーギュスト・ルノワール《麦わら帽子を被った女》
カーテン越しのやわらかな光に包まれる女性。優しい印象を与えるルノワールらしい作品です。


ピエール・ボナール《パリの朝》
ボナールは、19世紀後半から20世紀初めにかけて活躍したフランス人画家。絵の左隅には、「Pour Kusumé Bonnard」=「クスメに ボナール」の署名があります。パリでボナールに師事し、結核に倒れて療養所に入院中だった北九州ゆかりの画家、楠目成照にお見舞いとして贈られた絵なのです。快癒することなく20代半ばの若さで亡くなった楠目成照は、ショパンやバルザック、モディリアーニなど多くの著名人が眠るパリの墓地に埋葬。没後、故国日本の遺族のもとに引き取られたこの絵は、73 年後の1996年、北九州市立美術館に寄贈されました。


ポール・セザンヌ《水浴者》


クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》
視力が衰えるなか、晩年まで睡蓮の連作に取り組んだクロード・モネ。生涯を通して250点にも及ぶ睡蓮の作品を残しました。


約1300点の浮世絵コレクションからもいくつか紹介されていました。
喜多川歌麿《名物富士乃白酒》


葛飾北斎《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
ゴッホなどにも影響を与えたと言われる浮世絵で、海外でも「The Great Wave」として広く親しまれているそうです。


歌川広重《東海道五十三次 三島 朝霧》
東海道11番目の宿場、三島宿の朝の風景。朝霧の中に、三島大社の鳥居と燈籠、行き交う旅人の姿がシルエットで描かれています。


同じく歌川広重《名所江戸百景 深川洲崎十万坪》
上空を舞う鷲の目線で俯瞰した深川洲崎の広大な雪原。「名所江戸百景」は広重晩年の作品で、江戸時代後期に広く親しまれるようになった「名所絵」の集大成と言われています。


片多徳郎《N(中出氏)の像》


アリスティード・マイヨール《とらわれのアクションのトルソ》
マイヨールは、19世紀末から20世紀初めに活躍したフランス人彫刻家、画家。オーギュスト・ロダン、アントワーヌ・ブールデルとともに近代ヨーロッパを代表する彫刻家の一人とされています。


通路からの眺めです。


「大コレクション展  あの時、この場所で。  」は、9月7日(土)から11月10日(日)まで行われています。
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「安野先生のふしぎな学校」を観てきました@北九州市立美術館

2024年08月23日 | 絵画や音楽
今年12月、開館50周年を迎える北九州市立美術館。二つの筒が宙に迫り出す独特の外観が印象的なこの建物は、2年前に逝去された世界的建築家、磯崎新氏の代表作のひとつで、「丘の上の双眼鏡」という愛称で北九州市民に親しまれています。


少し離れた位置から見上げると、あたかも四角い双眼鏡が北九州市街を覗き込んでいるように見えますね。


その双眼鏡から見えるのはこんな町並みです。


北九州市立美術館では現在、島根県津和野市にある「安野光雅美術館」のコレクションを集めた「安野先生のふしぎな学校」を開催中(今週末まで)。
安野光雅さんは1926年(大正15)、津和野市生まれです。幼いころから画家を夢見て24歳で上京。小学校の教員として子供たちと日々接する傍ら、本の装丁や挿絵などを手がけていました。


1968年(昭和43)安野先生は、『ふしぎなえ』で絵本作家としてデビューを飾ります。その後も、やわらかな淡い色彩を基調とした、子ども目線を忘れない優しい雰囲気が漂う作品を次々と発表。2020年(令和2年)94歳で亡くなるまで、画家、絵本作家、装丁家、執筆家として幅広い分野で活躍し、日本のみならず世界中で高い評価を受けました。(安野先生の絵がタペストリーにして飾られた通路。ここは写真撮影OKでした)


『7』~「かぞえてみよう」より(1975年)
絵の題材が、それぞれ七つ描かれています。


『ふしぎなのり』~「はじめてであうすうがくの絵本」より(1982年)


『オオカミとサギ』~「きつねがひろったイソップものがたり1」より(1987年)


「蚤の市」より(1983年)


通路から見る北九州市。


安野先生の創作活動の原点となった教員時代に思いを馳せる教室。先生の本を手に取って自由に読むことができるコーナーです。(写真撮影OKでした)


ほのぼのと気持ちが温かくなる安野光雅ワールドを体験できました。


こちらは、津和野の安野光雅美術館のパンフレット。作品とも共通する優しい笑顔が素敵です。


安野光雅さんが旅した世界の風景に惹かれ、ミュージアムショップで買った絵葉書。


1階ホールから2階への階段。


その右側に展示されているのは、オーギュスト・ロダン『ピエール・ド・ヴィッサン』。
イギリスとフランスの百年戦争で、イギリスに包囲された港町カレーを救うために人質となった市民たちの記念碑として制作された『カレーの市民』のなかの一体です。全体像は、上野の国立西洋美術館に展示されています。


階段の反対側には、32歳から15年間ロダンに師事したエミール=アントワーヌ・ブールデルの『ペネロープ』。ギリシャ神話を題材に、トロイ戦争に出征した夫オデュッセイヤの帰りを待ち続ける貞淑な妻ペネロープを描いたものです。ホノルル美術館のセントラル・コートヤードにも、この作品が展示されていました。


中2階に展示されている、京都出身の彫刻家三沢厚彦作『アニマル2016-01』


2階は北九州市立美術館のコレクション展示室。こちらの部屋も写真撮影が認められています。
エドガー・ドガ『マネとマネ夫人像』
ドガが友人マネに贈ったものですが、何が気に入らなかったのか、マネがその一部を切り裂いてしまったといういわくつきの絵です。


ピエール・ボナール『パリの朝』


ピエール=オーギュスト・ルノワール『麦わら帽子を被った女』


🍀

「津和野町立安野光雅美術館コレクション~安野先生のふしぎな学校」、もっと早く観に行きたかったのですが、なかなかタイミングが合わず、期間終了間際になってしまいました(会期は7月6日~8月25日)。冒頭にも書いたとおり、北九州市立美術館は今年が開館50周年。9月7日からは、この50年を振り返る「あの時、この場所で。~コレクションの半世紀~」が行われます。
コメント (8)
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思い出の一枚~クロード・モネ《アルジャントゥイユのヨットレース》

2024年05月25日 | 絵画や音楽

美術館のショップで手にとった一枚の絵葉書。その時々の展覧会で原画を観て、どこか惹かれるものがあった絵のミニチュア版です。ミニイーゼルに立てかけた絵葉書を眺めていると、絵に接した時の様子のみならず、その旅の思い出などが懐かしくよみがえります。

コロナで海外とは縁遠くなった時期に、絵画を通じて過去の旅を振り返ろうと始めた「思い出の一枚」。ほぼ3年半ぶりとなる記事で選んだのは、パリのオルセー美術館で観たモネの《アルジャントゥイユのヨットレース》です(原題は「Regates e Argenteuil」)。

アルジャントゥイユはパリからセーヌ川を10キロほど下ったところで、休日にはカヌーやボート、ヨットなどの水遊びが盛んな町だったそうです。モネはここで6年間家族と一緒に暮らし、周辺の風景や生活をテーマに約170点の作品を残しています。この絵もその一つで、やわらかくそそぐ光が印象的なセーヌ川右岸の風景を描きました。

アルジャントゥイユで行われるヨットレースの準備風景。青空の下、マストに展張された白いセイルと緑ゆたかな岸辺、ボート小屋の赤い屋根。そして、これらが水面に反射してきらめく様が、印象派らしい大胆な筆致で表現されています。

 

絵葉書だけではなくオルセー美術館の原画を紹介したいところですが、私が訪ねた当時のオルセーは海外美術館としては珍しく撮影禁止。写真に残すことはできませんでしたが、マネ、ルノワールにモネ、セザンヌやゴッホ、ゴーギャン、そしてミレーにクールベなど、日本でも人気のある画家たちの作品が多くて本当に見ごたえがありました。(10年前の写真から。セーヌ川対岸、オランジュリー美術館側から見たオルセー美術館です)

 

地下鉄RER Musée d’Orsay駅そばの美術館入口。元々この建物は、1900年のパリ万国博覧会で建設された鉄道駅で、美術館としてオープンしたのは1986年(昭和61年)だそうです。19世紀美術の展示(とりわけ印象派の作品)で世界に名立たるオルセーですが、美術館としての歴史は思いのほか短いのですね。(写真は2014年)


駅舎の面影が残る5階吹き抜けの広々とした空間。作品は撮影禁止でしたが、スタッフの方に建物だけなら大丈夫と確認して、フロアの写真を撮らせてもらいました。中央にゴッホの自画像が飾られていますね。幸いなことに、この時オルセーではゴッホの特別展が行われており、オランダのクレラー・ミュラー美術館やアムステルダム国立美術館でも観ることができなかったゴッホの作品を観賞できました。(写真は2014年)

 

セーヌ川に面して対岸はルーブル美術館(左側はチュイルリー庭園)。オルセー美術館で印象派の作品を堪能した翌日は、ルーブル美術館をほぼ一日かけて観てまわりました。(写真は2014年)

 

初めてフランスを訪ねたのは10年前。ホテルや航空券、TGV(フランスの新幹線)チケットなどを自分たちで手配して、1週間の滞在間、パリ市街散策や美術館めぐりにゆったりと時間を費やしました。ボルドーでワイン醸造所(シャトー)めぐりのツアーに参加するため、一泊だけTGVでフランス南西部に出かけましたが、それ以外はずっとパリで過ごした一都市滞在。シャルル・ドゴール空港からホテルまで送迎を頼んでいたタクシーが1時間待っても現れないというトラブルや、クレジットカードなどが入った財布を車に置き忘れるなどの失敗もありましたが、楽しく充実した、感動とスリルに満ちた忘れられない旅になりました (^^ゞ

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『憧れの東洋陶磁~大阪市立東洋陶磁美術館の至宝』@九州国立博物館

2023年07月16日 | 絵画や音楽
3年前の春以来、久しぶりに九州国立博物館に行ってきました。2020年の春と言えば、日本でも新型コロナの感染が広がりはじめた頃。その時の特別展は、17世紀から19世紀までのフランス美術作品を集めた特別展『フランス絵画の精華』でしたが、感染拡大防止のため会期途中で終了となったことを憶えています。コンサートや展覧会など多くのイベントが中止となり、デパートや飲食店の時短営業や休業が厳しく求められた時期。今なおコロナ感染は続いているとは言え、世の中の動きがずいぶん変わってきたことに感慨深いものがありました。


こちらは、反対側(太宰府天満宮側)からの眺め。左右対称の構造で、チタンブルーの屋根は160m×80mと、サッカー場がすっぽり入る大きさです。
太宰府天満宮に隣接する丘陵に建つ九博は、なだらかな曲線を描くチタン製の大屋根と、深く濃い藍色のグラスウォールが印象的な建物です。この日はあいにくの曇り空で、ガラスに映りこむ空と雲、樹木の緑が今ひとつ冴えませんが、晴れた日には周囲の自然と壁面が一体化して、この大きな建築物が自然に溶け込んで見えます。


九博では今、大阪市立東洋陶磁美術館のコレクションを展示する特別展、『憧れの東洋陶磁』が開催されています。【会期:7月11日(火)~9月3日(日)】


世界有数の陶磁器コレクションを所蔵する大阪市立東洋陶磁美術館の名品を軸に、112点が展示された会場。個人的に目に留まったものをいくつか紹介したいと思います。(一部を除いて写真撮影OKでした)


【白磁刻花蓮花文洗(はくじこっかれんかもんせん)】《重要文化財》11-12世紀 中国(北宋時代)大阪市立東洋陶磁美術館
「洗」とは、大型で底部が深く広い器のこと。蓮の花の文様が、アイボリー・ホワイトの肌理にほのかに浮かび上がっています。極めて薄い造りで、光が透けて見えるほどだそうです。


【紫紅釉盆(しこうゆうぼん)】15世紀 中国(明時代)大阪市立東洋陶磁美術館
天青色釉の上に酸化銅を加えて焼くことにより、外面は鮮やかな紫紅色をしています。ひびのように見える内側の線は、「蚯蚓(きゅういん)走泥文」と呼ばれる模様だそうです。


【粉青白地象嵌条線文簠(ふんせいしろじぞうがんじょうせんもんほ)】15世紀 韓国(朝鮮時代)大阪市立東洋陶磁美術館 
五穀を盛る祭器として使用された器。中国古代の青銅器「簠」を模し、四隅に鋸歯飾り、四面に雷文を施し、全体に白い粘土を塗りつけてあります。「簠」とは飯を盛る器のこと。いかにもどっしりとした作品です。


【青磁刻花牡丹唐草文瓶(せいじこっかぼたんからくさもんへい)】《重要文化財》11-12世紀 中国(北宋時代)大阪市立東洋陶磁美術館
瓶の肩から胴にかけて描かれているのは牡丹唐草の文様。深く彫られた部分に青磁釉が溜まり、文様に美しい陰影を与えています。北宋時代の耀州窯青磁を代表する世界的に知られた名品とのことでした。


【青磁管耳瓶(せいじかんじへい)】13世紀 中国(南宋~元時代)大阪市立東洋陶磁美術館
宋の時代、五大名窯の一つとして挙げられる哥窯で焼かれた作品です。


【青花牡丹唐草文盤(せいかぼたんからくさもんばん)】《重要文化財》14世紀 中国(元時代)大阪市立東洋陶磁美術館
正面、上方、横側、裏側から描き分けられた牡丹唐草文が特徴。放射状に描かれた花唐草文様はイスラム文化の影響を受けたものとされています。


【法花花鳥文壺(ほうかかちょうもんつぼ)】《重要文化財》15世紀 中国(明時代)大阪市立東洋陶磁美術館
法花とは立体的に表した文様部分に各色の鉛釉をかけ分ける技法。壺の二面に花樹にとまる一対の鳥が表されています。


【法花蓮鷺文有蓋壺(ほうかれんろもんゆうがいこ)】《重要文化財》15-16世紀 中国(明時代)九州国立博物館
地に藍釉を用い、胴部には蓮華文を中心に、波濤文様と白鷺文様があしらわれた蓋つきの壺。蓮華文の花など、文様の一部に白檀塗りが施されています。


法花壺で重要文化財の指定を受けているのは、上記2作品のみだそうです。


【青磁獅子形枕(せいじししがたまくら)】12世紀 韓国(高麗時代)大阪市立東洋陶磁美術館
背中合わせにうずくまる獅子が楕円形の板を頭に載せる形の枕。陶枕は暑い夏に適した実用的なものであるとともに、魔除けなどの効用もありました。


【三彩貼花宝相華文水注(さんさいちょうかほうそうげもんすいちゅう)】7-8世紀 中国(唐時代)大阪市立東洋陶磁美術館
シルクロードを通して西方からの文物が大量にもたらされた唐の時代の作品で、ギリシャの酒器「オイノコエ」が起源とされています。確かに、どことなく異国情緒が感じられる酒器ですね。


【博多遺跡群出土高麗青磁】《重要文化財》11-14世紀 韓国(高麗時代)福岡市埋蔵文化財センター
博多遺跡群や箱崎遺跡の発掘調査では、膨大な数の中国産陶磁器が出土していますが、それらに混じって高麗青磁も多く発掘されているそうです。中世の博多湾周辺には、大陸や半島出身の人々が多く居住していたことが窺われます。


【油滴天目(ゆてきてんもく)】《国宝》12-13世紀 中国(南宋時代)大阪市立東洋陶磁美術館
高台周辺を除いて全体に掛けられた漆黒の釉、その内・外面の黒い地に浮かび上がる銀色に輝く斑紋。「油滴」の名は、その美しさが油の滴のようであるところ由来します。こちらは、東洋陶磁美術館が所蔵する油滴天目で国宝に指定されています。


こちらも同じ油滴天目で、素人目には上の作品と区別がつきませんが、高台周辺の釉薬の流れ具合が多少異なっていました。こちらは、ここ九州国立博物館が所蔵する作品で、重要文化財指定です。


様々な魅力的な作品が展示される会場の中でも、この一角は特別な空気感が漂っているよう。それくらい美しい、二つの油滴天目でした。


【飛青磁花生(とびせいじはないけ)】《国宝》14世紀 中国(元時代)大阪市立東洋陶磁美術館
「飛青磁」とは、釉上に鉄斑を散らした青磁のこと。この作品は、とりわけ釉色と鉄斑の現れ方が優れており、ほっそりした頸と豊かに膨らんだ胴部の均整美が見事であることから、国宝に指定されています。


【織部切落四方手鉢(おりべきりおとしよほうてばち)】17世紀初頭 日本(安土桃山時代)大阪市立東洋陶磁美術館
17世紀初め、美濃東部(岐阜県土岐市付近)で焼かれた織部焼の作品。長方形の長辺を一段低くする「切落(きりおとし)」など、奇抜なデザインが特徴です。


【五彩金襽手瓢形瓶(ごさいきんらんでひょうけいへい)】16世紀 中国(明時代)大阪市立東洋陶磁美術館
八角に面取りした瓢形瓶の全面に、赤、黄、緑の絵の具で文様を施し、赤地部分には更に金彩が加えられています。「金襽手」とは、五彩磁器に金彩を加えて豪華絢爛な装飾を施したものを言います。


形も重さも実物そっくりに作られた茶碗型ハンズオンコントローラーを手で触りながら動かすと、正面の8Kモニター上に高精細画像を好きな角度から観賞できる「8Kで文化財 ふれる・まわせる名茶碗コーナー」。


私も体験してみました (^^ゞ


私が選んだのは、重要美術品に指定されている「大井戸茶碗 銘『有楽』」(東京国立博物館所蔵)。織田信長の弟で茶人の有楽斎が所有していたことから、この銘が付けられたそうです。8K画像、さすがに感動ものの高精細でした。


出品されたほとんどの作品を収蔵する大阪市立東洋陶磁美術館の外観。


10月には『古代メキシコ』展が行われる予定です。16世紀、スペインに侵攻されるまで、3千年以上にわたって繫栄したメキシコ古代文明。この特別展も楽しみにしています。
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プチ・パレ美術館展@北九州市立美術館

2023年05月29日 | 絵画や音楽
先月下旬、北九州市立美術館(本館)で開催中の「スイス プチ・パレ美術館展~ルノワール、ユトリロから藤田嗣治まで」を観にいきました。4月22日に始まったこの展覧会は、6月18日(日)まで行われています。


スイスのプチ・パレ美術館は、チュニジア出身の実業家オスカー・ゲーズ氏が1968年ジュネーヴに創立した美術館で、19世紀後半から20世紀前半のフランス近代絵画を主体に所蔵しています。1998年、ゲーズ氏が亡くなった以降は休館となり一般公開はしていませんが、世界各地の展覧会に出品協力を続けています。日本での展示はおよそ30年ぶりだそうです。


エントランスホール。写真の右側にチケットカウンターやオフィス。正面は、この美術館のコレクション展示室(常設展)に続く階段です。


プチ・パレ美術館展は上の写真の左側、企画展示室B(第1章~第4章)及び企画展示室A(第5章~第6章)で行われています。
第1章 印象派
第2章 新印象派
第3章 ナビ派とポン=タヴァン派
第4章 新印象派からフォーヴィスムまで
第5章 フォーヴィスムからキュビスムまで
第6章 ポスト印象派とエコール・ド・パリ


ホールから企画展示室Bに向かう通路には、その時々の展覧会の主要な絵画がタペストリーにして飾られており、ここだけが写真撮影OKとなっています。


ギュスターヴ・カイユボット《子どものモーリス・ユゴーの肖像》1885年
レースのワンピースを着た赤ちゃん。女の子のように見えますが、実は男の子なんです。この絵が描かれた当時は幼児期の男子の生存率が低かったため、フランス上流階級では敢えて女の子の服を着せ、無事に育つことを願ったのだそうです。


ラウル・デュフィ《マルセイユの市場》 1903年


モーリス・ユトリロ《ノートル=ダム》1917年
エコール・ド・パリを代表する画家の一人、ユトリロ。この絵は、大聖堂を真正面から骨太に描いています。
この展覧会では、恋多き女だったと言われるユトリロの母、シュザンヌ・ヴァラドンの絵も展示されており、図らずも親子画家の競演を観ることができました。


モーリス・ドニ《休暇中の宿題》1906年


この通路の広い窓から見える北九州市街と野外彫刻。


戸畑区と八幡東区が接する丘陵地に建つ市立美術館。以前も書きましたが、建築界のノーベル賞ともいわれる『プリツカー賞』を受賞した建築家、磯崎新氏により昭和49年(1974)に竣工しました。カテドラル(聖堂)をイメージして設計されたものですが、市街を見渡す小高い丘の上に建つ印象的な外観から「丘の上の双眼鏡」という愛称が付けられています。


双眼鏡から見えるのはこんな風景。


市立美術館周辺は、彫刻広場・屋外展示場・遊歩道などが「美術の森公園」として整備され、市民の散歩やジョギングコースとしても親しまれています。
厚地正信《4つの四角なオベリスク》


三谷慎《抱擁》


フランク・ステラ《八幡ワークス》
この作品は、リサイクルをテーマにした「第2回国債鉄鋼彫刻シンポジウム '93北九州」に参加したアメリカの現代美術家フランク・ステラ氏が北九州市民のために制作した作品です。


絵葉書を2枚買って帰りました。1枚は、リーフレットに使われたオーギュスト・ルノワール《詩人アリス・ヴァリエール=メルツバッハの肖像》。ルノワール晩年の作品で、リウマチ療養中だったこともあり当初は乗り気ではなかったものの、詩人の美しい髪に惹かれて肖像画の依頼を引き受けたとされています。


もう一枚はモーリス・ユトリロ《ノートルダム》。ユトリロは、生まれ育ったパリ・モンマルトルの通りや狭い路地などの風景を好んで描きました。私も、久留米の石橋美術館(当時。今は久留米市美術館)、パリ・オランジュリー美術館、モスクワ・プーシキン美術館などでユトリロの絵を観て、抑えめな色調でちょっと物憂げながらも、独特のタッチに惹かれたことを憶えています。


ユトリロの絵と近いアングルから撮ったノートルダム大聖堂(2014年撮影)。大聖堂は、2019年4月に起きた火災により大きな被害を受けましたが、来年12月の一般開放を目指して本格的な再建工事が進められているそうです。


そんなユトリロが、モンマルトルの古くからの急こう配の道、モン=スニ通りを描いた《モンマルトル モン・スニ通り》(プーシキン美術館ヨーロッパコレクション部所蔵)。


こちらは、同じモン=スニ通りの一角の人の往来を描いた《ラ・メゾン・ベルノ La Maison Bernot》(オランジュリー美術館所蔵)。


北九州市立美術館、次の催しは「アルフォンス・ミュシャ展~アールヌーヴォーの華」です。会期は7月15日(土)~8月27日(日)。リバーウォーク4・5階の分館で行われます。こちらも楽しみです。
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