散歩の途中でのスナップ。携帯替えてから普段の写真はiPhoneXs。 CanonEOS6D FUJI X70はサブに
散歩の途中で… お腹がすいたよ~♪
天草の旅(その19) 空の旅のあとも、、、「宮武うどん」
天草~熊本の旅も最終日の10月12日。LCCの搭乗時刻が10時過ぎのため、朝食後は荷物をまとめTAXIに分乗して空港へ、、、
瀬戸内海の上を飛ぶのかな?と思っていたら、九州を横断したあとは太平洋上を房総半島に向かったらしいのですが、迷走台風の影響で眼下に見えるのは雲海のみ。
着陸体制に入る頃、はるか遠方の雲が金床状の積乱雲。その下はまとまった雨だったのでしょうね?
地上についたあとのPETボトル 気圧差でこんなになりました
しっかり朝ご飯を食べましたが、成田に着いたのは1時ころだったので、チョッピリ小腹が空いて軽めの昼食。
またまた「宮武うどん」のお世話になりました
うどんを食べて地下に下りたら、ちょうど京成スカイライナーの発車時刻
JRの特急「はくたか」が新幹線・金沢開業で廃止されて以降、在来線で160Kmという最高速の列車に乗ってみました
瀬戸内海の上を飛ぶのかな?と思っていたら、九州を横断したあとは太平洋上を房総半島に向かったらしいのですが、迷走台風の影響で眼下に見えるのは雲海のみ。
着陸体制に入る頃、はるか遠方の雲が金床状の積乱雲。その下はまとまった雨だったのでしょうね?
地上についたあとのPETボトル 気圧差でこんなになりました
しっかり朝ご飯を食べましたが、成田に着いたのは1時ころだったので、チョッピリ小腹が空いて軽めの昼食。
またまた「宮武うどん」のお世話になりました
うどんを食べて地下に下りたら、ちょうど京成スカイライナーの発車時刻
JRの特急「はくたか」が新幹線・金沢開業で廃止されて以降、在来線で160Kmという最高速の列車に乗ってみました
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天草の旅(その18) 朝ご飯の前に、、、熊本城
天草~熊本の旅も最終日。
泊まった場所がお城の目の前だったので、昨日は遠くから正面だけ眺めた熊本城へ朝ご飯の前に散歩。
まずは加藤清正公を祀った神社で旅の安全と無病息災を祈念
2016年4月14日の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城。
正面からの眺めは修復工事がずいぶん進んでいるように見えましたが、清正神社など裏手に回るとまだまだ復旧途上。
崩落した土塀など痛々しいですし、復旧を待つ屋根瓦などビッシリ積まれていました。
清正公の銅像を眺めてからホテルの朝食。
ブッフェ形式ではなく各人宛に配膳されるのでチョッと多めなのは、コロナ対策で仕方ないですね
泊まった場所がお城の目の前だったので、昨日は遠くから正面だけ眺めた熊本城へ朝ご飯の前に散歩。
まずは加藤清正公を祀った神社で旅の安全と無病息災を祈念
2016年4月14日の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城。
西南戦争直前に城内で起きた失火とそれに続く西南戦争で、大天守・小天守・本丸御殿・本丸東三階櫓・月見櫓・小広間櫓・小広間西三階櫓・長局櫓・耕作櫓門・三之櫓門・東櫓門など多くの建物が焼失しましたが、1960年には現在の天守閣が復元され、熊本のランドマークとなっていることはご承知のとおり。
また1877年(明治10年)の西南戦争では、政府軍の拠点となり4000人が籠城。これを12000人の西郷軍が攻めましたが、清正公が心血を注いで築城した熊本城は、最初で最後の攻防戦でその防衛力の高さを発揮。「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と、西郷が嘆いたというエピソードが伝わっています。
熊本城公式HP(https://castle.kumamoto-guide.jp/)
また1877年(明治10年)の西南戦争では、政府軍の拠点となり4000人が籠城。これを12000人の西郷軍が攻めましたが、清正公が心血を注いで築城した熊本城は、最初で最後の攻防戦でその防衛力の高さを発揮。「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と、西郷が嘆いたというエピソードが伝わっています。
熊本城公式HP(https://castle.kumamoto-guide.jp/)
正面からの眺めは修復工事がずいぶん進んでいるように見えましたが、清正神社など裏手に回るとまだまだ復旧途上。
清正公の銅像を眺めてからホテルの朝食。
ブッフェ形式ではなく各人宛に配膳されるのでチョッと多めなのは、コロナ対策で仕方ないですね
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