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おろし蕎麦 @川むら


今日の東京は晴れ
昨夜はかろうじて熱帯夜ではありませんでしたが、朝から照りつける太陽は真夏並み
今日も暑くなりそうです


さて、写真は 日暮里駅から「夕焼けだんだん」の方に坂を登った所にある「川むら」の「おろし蕎麦」。
昨日のお昼に行きました。

小ぢんまりとした目立たない小体な店構えですが、お酒の品揃えや肴の充実度はあなどれません。
昨日は残念なことに仕事の途中ということで、お酒の方は断念
すっきりとお蕎麦をいただきました。

写真ではフレームの外になっていて分かりませんが、蕎麦猪口には大根おろしに加えて、ピリッと辛い貝割れ菜といい香りの海苔がタップリ!


今回いただいたのは「大盛り」でしたので、こんもりとした「山」の上から3~4本綺麗に切り揃えられたお蕎麦をそのまま手繰ってみます。
ほのかに鼻腔をくすぐるいい香り

おつゆとおろしを絡めて ずずっ~と・・・

アッという間に 1枚平らげ 午後の仕事の充電ができました
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講演会 さようなら原発


今日の東京は、日中出歩くと日差しは少し暑いものの、爽やかな晴れの1日でした。

仕事を終えて、日本青年館で開かれている「講演会 さようなら原発」に参加しました!

あの大震災から間もなく半年を迎えますが、地震や津波の直接の被害からは、徐々に立ち直りつつありますが、福島を中心とする原発事故の放射能被害は立ち直るどころか、まだ収束のメドも立たない、と云うのが実状です。

この「節電の夏」は乗り切ったわけですが、まだまだ予断は出来ません。


こんな中で、何か自分にも出来ること…と思って、今日の講演会に来てみました!

こうしたことをきっかけに、被災地の支援を考えなきゃ~との思いを新たにしました。

写真は詩を朗読する落合恵子さん
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青ねぎと刻みきつねうどん @雅楽


今日の東京は台風一過の青空とまではいきませんが、飯田橋の高層ビルからは遥か丹沢山系が見えています!

富士山は…と云うと、隣のビルに隠れて こちらは全く見えず…


さて、朝から仕事で、某ビルに缶詰め。
やっと仕事の区切りがついたら、そろそろお昼時
「さて どこに行こうかなぁ~」ど下の通りを見下ろしてみたら、某有名ラーメン店の前は11時半と云うのに長蛇の列!


早々にラーメンは諦めて、そばのうどん屋さんに行きました。


いただいたのは青ねぎがタップリ載った「青ねぎと刻みきつねうどん」♪

いつもながらの、しっかりとした弾力!!
オフィスの冷房で冷えた体に優しい温かさです。
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蓼科の夕ご飯


去年に続いて利用した蓼科東急リゾートは、1933年(昭和8年)開業の上高地帝国ホテルには及びませんが、7月に開業30年を迎えた、木の質感を生かした高原のクラシック・ホテルです。

赤々と燃える暖炉では、マシュマロのサービスも♪

夕食は「本格的」なフレンチ!

最初の一品は 「長茄子と赤ビーツのガトー仕立て
ルコラで作ったソースと一緒に」

スープは 「いろいろ野菜の冷たいクリームスープ」
結構複雑系で 美味しい

本日のお魚料理は 「鱸」
プロバンス風のトマトソースでいただきました

メインのお肉は仔羊とビーフが選べますが、モチロン「仔羊のロースト」♪
クスクスと地元野菜のサラダと一緒にいただきました。

チョッと火を通し過ぎてたかな?
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縄文のヴィーナス

蓼科湖畔でお蕎麦をいただいてから、「尖石縄文考古館」に行ってみました。

中央本線・茅野駅から八ヶ岳に向かう標高1000m余の緩斜面には、多くの縄文遺跡が発見されています。
中でもこの「尖石(とがりいし)遺跡」 は、昭和初期から地元に住む宮坂英弌氏が発掘調査を進め、日本で初めて縄文時代の集落研究が行われた遺跡で、学術的価値が高いとして国の特別史跡に指定されています。

「縄文のヴィーナス」は、工業団地の造成に伴い、昭和61年に発掘され、顔はハート形のお面を被ったような形をしています。
切れ長のつり上がった目や、尖った鼻に針で刺したような小さな穴、小さなおちょぼ口などは、八ヶ岳山麓の縄文時代中期の土偶に特有のものだそうです。

この施設は写真撮影OK!
ガラス越しですが、正面から撮らせていただきました


個人的にチョッと魅かれたのがこちら。
「仮面の女神」
全長は34cm、重量は2.7kg。顔に仮面をつけた姿を思わせる形であることから、一般に仮面土偶と呼ばれるタイプの土偶です。
今から約4000年前の縄文時代後期前半のものと云われています。
細い粘土紐でV字形に描かれているのは、眉毛を表現しているのでしょうか。その下には鼻の穴や口が小さな穴で表現されています。
縄文人たちは 何を思って この不思議な面を着けた土偶を造ったのでしょうか…

施設内のジオラマの縄文と弥生のそれぞれの遺跡を示したものを眺めていて気付いたのですが、縄文時代の遺跡に比べて、弥生時代のそれは非常に数が少なくなっています。

神長官守谷史料館で聞いた、縄文期の遺跡に代表される狩猟採取の先住民族を後に南方の農耕民族が徐々にから侵入してきて弥生式の遺跡を残していったのではないか?・・・等の歴史を彷彿とさせる『ヴィーナスたち』です。

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Non Alcohol Beer @手打そば処 やまなみ

台風は山陰沖へ抜けたようですが、今朝の東京はまだ不安定な天気です。
つい今しがたも、ザ~っと驟雨のような雨で慌てて洗濯物をしまう始末。

さて、日記は28日の諏訪大社の続きです。

大社をお参りすると丁度時分どき。小腹も空いたので、最初はネットで高評価を得ていた「みつ蔵」に行ってみましたが、もの凄い行列で断念。 蓼科湖畔の「やまなみ」に行ってみました。

こちらのお蕎麦は「国産のそばだけを石臼で挽き、やや細目に打ち、のどごしと香りを楽しんでいただけるように心がけて」いるそうです。
お品書には、山菜天ぷら、夏野菜盛り合わせなどもありましたが、今回の蓼科の旅では列車+レンタカーを使った関係で、ランチタイムはアルコール抜き! 軽く玉子焼きをお願いしました

チョッピリ甘口ですがしっとりしていて美味しい♪

初めて「キリン・フリー」を飲んでみましたが、まぁそこそこイケますね!


肝心のお蕎麦は、10割の玄挽き蕎麦をお願いしました。
写真では分かり難いですが、細かな星が飛んでいて綺麗な細打ちです♪
おつゆも地方に行くと薄めでガッカリすることも多いのですが、まずまずの出来!

お腹もくちくなったので、次は「縄文のヴィーナス」とご対面! と行きましょうか♪

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「信濃國一之宮」 諏訪大社

台風12号は四国に上陸する模様です。
自転車並みの遅い歩みで、各地で大雨による被害も伝えられていますが、昨日スタートした野田内閣の歩みはどうなることやら…
迷走だけはしてほしくないものです。

さて、写真は28日、神長官守谷史料館で色々なお話しを伺ううちに、「一度は諏訪大社も行ってみなくちゃ」と思い、近くの諏訪の上社に行ってみました。


「信濃國一之宮」とも呼ばれ、幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式で、家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物も多く残っています。

諏訪大社と言えば、何と言っても『御柱』
幣拝殿と片拝殿を囲む四方には立派な『御柱』が建っていました。

去年、「坪庭」に行った時に思ったのですが、諏訪地方ではあらゆる神社の廻りに「御柱」が廻らされています。
こちらは、守谷史料館の裏手のミシャグジさまが祀られている社脇の小社。
可愛らしい「御柱」がそれぞれの社を囲んでいました。

ところで、諏訪大社で有名なものの一つが『鹿食免』。

守谷史料館の日記で書きましたが、以前から諏訪地方で狩猟採取で生計を立ててきた人々に対し、大社に祀られることになった征服者は、“慈悲と殺生を両立する”という狩猟の免罪符を与え、『尊い生命と自然の恵みに感謝して食べる』食肉文化が培われてきたのです。

それが『鹿食免』で、中には「諏訪の勘文」が書かれているそうです。
業盡有情
雖放不生
故宿人身
同証仏果

その意味は、、、
前世の因縁で宿業の尽きた生物は
放ってやっても長くは生きられない定めにある
従って、人間の身に入って死んでこそ
人と同化して成仏することができる
という意味だそうです。

焼肉屋さんに行くときにはそのコピーを持って行ったらウケルかなぁ?!
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神長官守谷史料館

今回の旅行は、天候に恵まれました。 地元の方に聞くと1週間ほどずっと愚図ついた天気が続いていたそうで、「今日は久しぶりの晴れ」だったようです。
そんな青空の下、神長官守谷史料館に立ち寄りました。

近くに生家のある建築築史家の藤森照信氏が初めて設計した建物で、躯体はRC造ですが、屋根には地元特産の鉄平石葺き、外壁はワラを混ぜたモルタルとサワラ等の自然素材を用いて、風景の中に溶け込んでいます。
4本のイチイを用いた「屋根突き柱」は諏訪大社の御柱を連想しているとのことです。

近くで見上げると、中の2本の柱何か刺さっているようです。
柱に刺さっているのは「薙鎌(なぎがま)」と云って、本来の用途は、薙ぐ、突く、切る、刃を引っ掛けて相手を倒すなどに用いる『武器』ですが、「魔よけ」とされ、諏訪大社では、御柱に選ばれた木に目印として薙鎌を打ち込むそうですが、御柱を引っ張る時には危険なので外してしまうようで、諏訪大社の境内に立っている御柱に薙鎌はついていませんでした。
神長官守谷史料館の薙鎌は、茅野市長が打ったそうです。
『薙鎌』

狭い館内に入るとそこには江戸時代の「御頭祭」の模様を再現した鹿や猪、串刺しにされた兎(剥製)が並んでいます。

そもそも、守矢家は、諏訪の先住民族の長であった洩矢神(もりや(または「もれや」)のかみ)の子孫と言われ、明治の初めまで諏訪大社の神長(筆頭神官)を勤めてきた一族であったそうですが、この守矢家の祖先と言われる洩矢神は、諏訪大社の成り立ちに大きな関係があるようです。


諏訪の地でも、出雲の神話のような先住民族と後に入ってきた農耕(稲作)民族の争いの歴史があったようで、今の守谷家に繋がる諏訪の先住民族は、現在の前宮周辺を中心に、土着信仰であるミシャグジ神を崇敬し、その祭事を執り行っていましたが、出雲からやってきた稲作民族と、天竜川を挟んで激しく戦いますが、この戦いに勝ったのは出雲から入ってきた稲作民族でした。
戦に勝利した彼らは、諏訪大明神として祭られ、その子孫は生神である「大祝(おおほうり)」と呼ばれるようになります。
その一方で、戦いに敗れた洩矢神の子孫も、「神長」として「大祝」に仕えながら神事を執り行い、祭祀と政治の実権を持ち続けた…という歴史があったようです。


そんな半ば『神話』の世界の話を聞きながら、鹿や猪を眺めていると、太古の昔に引き込まれていく様な気がしてきます。





こちらは、「御頭祭」で神前に供される75頭の鹿の中に必ず1頭入っていると言われる「耳裂け鹿」。
神の矛にかかって耳が裂けたと云われています。



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高過庵と空飛ぶ泥舟

8月28日、茅野に降りたって最初に向かったのが、藤森照信氏の生家近くに建つ『高過庵』(たかすぎあん)と『空飛ぶ泥舟』。
藤森先生のことを知ったのは、彼の本業の建築史ではなく、赤瀬川原平や南伸坊らと結成した「路上観察学会」での活動に興味を持ったのがきっかけでしたが、なかなかユニークな視点の持ち主です。

氏の処女作である『神長官守谷史料館』の先の畑の間を縫って行くと、木々の間から不思議なオブジェが見えてきます。



昨年夏に茅野市美術館の企画展「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」に際して造られた『茶室』で、今年3月に現在の同市宮川高部に移設しました。

近くの栗の木の上には『高過庵』


見上げると、梯子を掛けて昇れるようになっているのですが、ここでお茶をいただいてもチョッと落ち着かないかも??


畑の中で仲良く並んでいました!


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