平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

全日本バレーボール 吉原知子

2006年04月02日 | スポーツ
「甦る 全日本バレー」(吉井妙子・著 日本経済新聞社)より

★吉原知子
 リーダー吉原知子に関して、竹下佳江はこうコメントしている。
「これまでの全日本には強力に選手を引っ張っていく人がいなかった。今、考えれば低いレベルで妥協があったと思うんですよ。もちろん、その時はいっぱいいっぱいと思っていましたけど、自分たちが高いレベルまで行けるんだということを知らなかった。トモさんの背中を見ながら選手個々の意識も変わっていったと思います」

 リーダーは選手を高いレベルまで引き上げるために引っ張っていく。
 あまり口がうまくないという吉原は自分が必死に練習に取り組むことを見せることでみんなを引っ張っていったという。
「あの子たちを口で引っ張っていくのは無理だと思った。私が身体を張らないとついて来ないと思ったし、文句を言わせないためには自分が先陣を切って練習しなければと覚悟した。でも怪我とか後遺症とかを考えていたら、私の身体がそこまで耐えられるのか、それが一番心配だった」
 その身体を張ったその姿は選手のいい見本になった。
 大山加奈は言う。
「ただバーベルを上げるんじゃなくて、この動きはどこに刺激を与えているかを意識しながらウエイトトレーニングをしているんです。サーブの練習でも脳をフル回転させ。知覚神経に動きを覚え込ませようとしていました。だからトモさんはプレイにミスが少ないんだと思います」

 だが、身体ではなく言葉で語った部分も選手たちを変えていった。
 吉原は言った。
「誰かがやっているから私もやらなきゃという練習はやめてね。そんなのは全然意味がないから。自分でこれがうまくなりたい、この技を磨きたいと思ってする練習ならいいけど、体育館で一緒に時間だけ過ごす振りをするのはやめてね」
「身体がつらければ寝ていればいいし、練習が足りないと思えば体育館に来ればいい。自分がアスリートとして大きくなるために今、必要なことはなにか、選手それぞれに判断してほしかった」
 一緒に汗をかくことで満足してしまう選手に考えることを要求したのだ。
 個々が確立することでチームが強くなると吉原は信じている。
 吉原自身もポジションがセンターになったこともあり、練習に取り組まざるを得なかった。
 そんな吉原を見て杉山祥子はこう述懐する。
「人生の中でバレーのことしか考えない時期があってもいいんじゃないか。朝起きた時にオリンピックに行くぞと目覚めるくらいにバレーに集中していいんじゃないか。そんなトモさんの言葉を消化できてから、1日1日が濃かったし充実していた」

 その他にも吉原はこんなことを選手たちに語っている。
「コートから出たらあれこれ悪口を言うのはやめようね。文句があるんだったらコートの中で言おう」
「負けた試合ではミスを指摘し合うのはやめよう。勝った時にこそ問題点を議論しあおう」
 これでチームの雰囲気が悪くなるということはなくなった。
「私はいつバレーができなくなってもいいように常にその時を大切にやっている」

 若いチームの中でキャプテンを任されて吉原はこう覚悟を決めた。
「私なんて煩わしいバアさんだと思われてたんじゃないかな。でも、それでよかったの。ウザイと思われようと細かいと言われようと、とにかく私は勝ちたかっただけだから。世界に勝つというのは本当にどれだけ大変なことか分かってほしかったから」
 一方でこんな弱音を吐きつつ。
「こんな歳にまでなって何をやってるんだろう。自分の将来も見えないのに人の世話なんか焼いている場合じゃない。なんかいつも損な役ばかり。こんな思いをしてまでどうしてバレーをやってるんだろう」

 いろいろな理由をつけて自分に妥協することは簡単だ。
 しかし、吉原は妥協せず、練習でもキャプテンとしての役割でも苦しいことをやって来た。
 それが全日本の選手を変えたのだ。

★研究ポイント
 テーマ
 テーマ研究
 キャラクターの作り方

★追記
 吉原のコメントでこんなものも。
 吉原は代表選考を行うバレーボール協会についてこんなふうに考えていた。
「どんなに腕を磨いたって年齢制限という実力と関係ないところで評価されてしまう」
 一方でこう思った。
「喧嘩するエネルギーがあったら、そのエネルギーを自分の研鑽に向けた方がいい」
コメント
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