「秀頼様の命まで奪うことまでは致しませぬ。そのために私は参った」
大名達の前で語る家康(北大路欣也)。
今回のいくさは大坂城に集まった十万の不逞浪人を始末するものであり、豊臣を滅ぼすものではないと強調する。
しかも、秀頼の責任を問わず命を奪わないのは、将軍・秀忠(向井理)の意向に拠るものと付け加える。
したたかですね、家康は。
さすが戦国の世を生き抜いてきただけのことはある。
父親の下で安穏としてきた秀頼の理想や主張など、簡単にくつがえされ、逆に利用されてしまう。
家康の方が数倍うわて。
そう言えば、片桐且元(三田村邦彦)の家康の<離間の計>で大坂城を追われた。
今の政治家にはこうした家康のしたたかさを見習ってほしい。
対する淀(宮沢りえ)は徹底抗戦。
まず、あくまで平和的解決を望む秀頼(太賀)との対比が面白い。
秀頼は母親の剣幕に押されて、しぶしぶ従っているようにも見える。
初(水川あさみ)との対比も面白い。
初はいくさを回避するためにギリギリの努力をすべきだと主張する。
しかし、淀は初とは背負っているものが違うんですね。
関白・豊臣家を背負っている。家康は秀吉のかつての臣下で、秀頼を支える約束をしたのではないかと思っている。
淀が背負っているもの。こだわっていること。
本当はこれらを捨ててしまえば、もっと自由に平和に生きられるのに、当事者はそれが出来ない。
そこに悲劇が生まれる。
この大坂冬の陣までの人間ドラマ、緊張感もあって、よく出来ていたと思います。
他の大名が駆けつけない中、やって来る真田幸村も格好良かったですし。
千(忽那汐里←「家政婦のミタ」にも出演)の「私は秀頼様の妻にございます」もよかった。
一方、秀忠。
<徳川と豊臣が共に立って世の中を治めていく>という戦略が、出陣の時には<秀頼の命を救う>に変わってしまった。
おまけに対応策としては、「秀頼様が要求を呑んでくれる」か「親父が早く死んでくれればいい」。
まさに、運まかせ、他人まかせ。
江(上野樹里)も手紙は書いたが、あとは神仏に祈るだけ。
史実だから仕方がないが、あまりにも無策なふたり。
これでは主人公とは言えない。
この程度でしか描けないのであれば、江を主人公にすべきではなかった。
そもそも論ですが、企画ミス。
政治に関わった女性を描きたいのであれば、北条政子くらいの人物をやらなければ。
大名達の前で語る家康(北大路欣也)。
今回のいくさは大坂城に集まった十万の不逞浪人を始末するものであり、豊臣を滅ぼすものではないと強調する。
しかも、秀頼の責任を問わず命を奪わないのは、将軍・秀忠(向井理)の意向に拠るものと付け加える。
したたかですね、家康は。
さすが戦国の世を生き抜いてきただけのことはある。
父親の下で安穏としてきた秀頼の理想や主張など、簡単にくつがえされ、逆に利用されてしまう。
家康の方が数倍うわて。
そう言えば、片桐且元(三田村邦彦)の家康の<離間の計>で大坂城を追われた。
今の政治家にはこうした家康のしたたかさを見習ってほしい。
対する淀(宮沢りえ)は徹底抗戦。
まず、あくまで平和的解決を望む秀頼(太賀)との対比が面白い。
秀頼は母親の剣幕に押されて、しぶしぶ従っているようにも見える。
初(水川あさみ)との対比も面白い。
初はいくさを回避するためにギリギリの努力をすべきだと主張する。
しかし、淀は初とは背負っているものが違うんですね。
関白・豊臣家を背負っている。家康は秀吉のかつての臣下で、秀頼を支える約束をしたのではないかと思っている。
淀が背負っているもの。こだわっていること。
本当はこれらを捨ててしまえば、もっと自由に平和に生きられるのに、当事者はそれが出来ない。
そこに悲劇が生まれる。
この大坂冬の陣までの人間ドラマ、緊張感もあって、よく出来ていたと思います。
他の大名が駆けつけない中、やって来る真田幸村も格好良かったですし。
千(忽那汐里←「家政婦のミタ」にも出演)の「私は秀頼様の妻にございます」もよかった。
一方、秀忠。
<徳川と豊臣が共に立って世の中を治めていく>という戦略が、出陣の時には<秀頼の命を救う>に変わってしまった。
おまけに対応策としては、「秀頼様が要求を呑んでくれる」か「親父が早く死んでくれればいい」。
まさに、運まかせ、他人まかせ。
江(上野樹里)も手紙は書いたが、あとは神仏に祈るだけ。
史実だから仕方がないが、あまりにも無策なふたり。
これでは主人公とは言えない。
この程度でしか描けないのであれば、江を主人公にすべきではなかった。
そもそも論ですが、企画ミス。
政治に関わった女性を描きたいのであれば、北条政子くらいの人物をやらなければ。