今回はいいせりふが多かった。
★まずは常高院(水川あさみ)、淀(宮沢りえ)にこう語る。
「もうおやめになったらいかがです。誰よりもいくさを憎み、嫌っていた姉上ではありませんか!」
しかし、淀は「もはや後戻りは出来ぬ」「我らは家康の首をあげることのみを考えればよい」
人間、退く勇気も必要なんですけどね。
こんなせりふもあった。
「私が豊臣と徳川、姉上と江をつなぎとめてみせます」
和睦の使者に立ったことといい、今回は常高院の一世一代の見せ場でした。
欲を言えば、交渉の一部始終をしっかり見せてほしかったのですが……(「龍馬伝」は龍馬の交渉過程をしっかり描いていた)。
そうすれば、もっと常高院が立った。
★福(富田靖子)も渾身の一言。
江(上野樹里)に「何じゃ、その目は?」と問われて
「豊臣に滅ぼされた者たちの目にございます」。
まさに身を振り絞るような心の叫び。福の憎悪の深さを感じさせる。
この渾身の叫びに、お姫様・江は何も言い返すことが出来ない。
このふたりの関係、どうまとめていくんだろう?
★家康(北大路欣也)は人の心を知り尽くしている。
「一度緩むと次の恐怖は倍にも三倍にもなる」
「お命を狙っているのではない。淀殿には、ちと肝を冷やしていただくだけ」
秀忠(向井理)の「約束が違う!」というせりふには、「約束などしていない」と惚けるし、実にしたたか。
でもね、リーダーって、これくらい人の心を知り尽くして、したたかでないとダメだと最近思うんですよ。
誰もがハッピーエンドになるなんてことはウソ。
もし家康が現代にいたら、日本の外交ももっとしっかりしていたでしょうね。
現代日本の政治家は小粒だ。しかし、それが平和と成熟した民主主義の結果で、僕は支持するのでありますけど。
秀忠や秀頼(太賀)が、家康や秀吉よりは小粒なのもそのせい。
彼らは戦国時代がほぼ落ち着いた平和な時代の<新しい世代>なのだ。
それから秀忠のエディプスコンプレックス。
<男の子は父親を乗り越えようとするもの>らしいですが、秀忠は偉大な父親を乗り越えることが出来ないようです。
★淀は悲劇。滅びの美学。
家臣が駆けつけなかったことについてこう嘆く。
「人の心とは、これほどはかないものなのか? 豊臣の世はとうに終わっておったのか?」
そうなんですね、人の心はどんどん変わっていく。
自分が老いるように、世の中に変わらないものはない。諸行無常。
シェークスピアの悲劇を見るような感じが淀にはある。
★最後に秀頼。
埋め立てられた堀を見ているシーンにはせりふがなかったが、十分に彼の気持ちは伝わってきた。
そしてラストの秀忠とのやりとり。
「私は世の中を知らなかった。悔しさも憎しみも知らなかった。しかし、今は悔しい。徳川が憎くてたまりません…!」
これも、心の底から出たせりふ。
こういうせりふは胸を打つ。
そして、さらにやりとりは続き
秀頼「城は私自身なのです」
秀忠「そうではない! 城の外にも未来はありまする!」
秀頼「城を出たら、私は死ぬのです」
秀忠の言っていることは正論かもしれませんが、人の心というのは、理屈じゃないんですね。
また、「城を出たら、私は死ぬのです」というせりふは実に深い。
様々な思いが含まれていて、余韻がある。
名せりふと言ってもいいでしょう。
今回はいいドラマでした。
このクォリティで、がんばって!
★まずは常高院(水川あさみ)、淀(宮沢りえ)にこう語る。
「もうおやめになったらいかがです。誰よりもいくさを憎み、嫌っていた姉上ではありませんか!」
しかし、淀は「もはや後戻りは出来ぬ」「我らは家康の首をあげることのみを考えればよい」
人間、退く勇気も必要なんですけどね。
こんなせりふもあった。
「私が豊臣と徳川、姉上と江をつなぎとめてみせます」
和睦の使者に立ったことといい、今回は常高院の一世一代の見せ場でした。
欲を言えば、交渉の一部始終をしっかり見せてほしかったのですが……(「龍馬伝」は龍馬の交渉過程をしっかり描いていた)。
そうすれば、もっと常高院が立った。
★福(富田靖子)も渾身の一言。
江(上野樹里)に「何じゃ、その目は?」と問われて
「豊臣に滅ぼされた者たちの目にございます」。
まさに身を振り絞るような心の叫び。福の憎悪の深さを感じさせる。
この渾身の叫びに、お姫様・江は何も言い返すことが出来ない。
このふたりの関係、どうまとめていくんだろう?
★家康(北大路欣也)は人の心を知り尽くしている。
「一度緩むと次の恐怖は倍にも三倍にもなる」
「お命を狙っているのではない。淀殿には、ちと肝を冷やしていただくだけ」
秀忠(向井理)の「約束が違う!」というせりふには、「約束などしていない」と惚けるし、実にしたたか。
でもね、リーダーって、これくらい人の心を知り尽くして、したたかでないとダメだと最近思うんですよ。
誰もがハッピーエンドになるなんてことはウソ。
もし家康が現代にいたら、日本の外交ももっとしっかりしていたでしょうね。
現代日本の政治家は小粒だ。しかし、それが平和と成熟した民主主義の結果で、僕は支持するのでありますけど。
秀忠や秀頼(太賀)が、家康や秀吉よりは小粒なのもそのせい。
彼らは戦国時代がほぼ落ち着いた平和な時代の<新しい世代>なのだ。
それから秀忠のエディプスコンプレックス。
<男の子は父親を乗り越えようとするもの>らしいですが、秀忠は偉大な父親を乗り越えることが出来ないようです。
★淀は悲劇。滅びの美学。
家臣が駆けつけなかったことについてこう嘆く。
「人の心とは、これほどはかないものなのか? 豊臣の世はとうに終わっておったのか?」
そうなんですね、人の心はどんどん変わっていく。
自分が老いるように、世の中に変わらないものはない。諸行無常。
シェークスピアの悲劇を見るような感じが淀にはある。
★最後に秀頼。
埋め立てられた堀を見ているシーンにはせりふがなかったが、十分に彼の気持ちは伝わってきた。
そしてラストの秀忠とのやりとり。
「私は世の中を知らなかった。悔しさも憎しみも知らなかった。しかし、今は悔しい。徳川が憎くてたまりません…!」
これも、心の底から出たせりふ。
こういうせりふは胸を打つ。
そして、さらにやりとりは続き
秀頼「城は私自身なのです」
秀忠「そうではない! 城の外にも未来はありまする!」
秀頼「城を出たら、私は死ぬのです」
秀忠の言っていることは正論かもしれませんが、人の心というのは、理屈じゃないんですね。
また、「城を出たら、私は死ぬのです」というせりふは実に深い。
様々な思いが含まれていて、余韻がある。
名せりふと言ってもいいでしょう。
今回はいいドラマでした。
このクォリティで、がんばって!