陳舜臣さんの『中国詩人伝』(講談社)を読む。
その本での項羽と劉邦の話。
秦の始皇帝の巡幸。
その行列を見て、項羽は「よし、あいつにとってかわってやろう」と言ったという。
一方、劉邦は「男と生まれたからには、あんなふうになるべきだなあ」。
ふたりの人柄が表れている。
日本で言えば、信長、秀吉、家康の<ほととぎすの句>に似ている。
項羽と劉邦の人柄は、その詩にも表れている。
『力は山を抜き 気は世を蓋(おお)いしに
時に利あらずして 騅(すい)は逝(ゆ)かず
騅の逝かざるは奈何(いかが)す可き
虞(ぐ)よ、虞よ 若(なんじ)を奈何せん』
<四面楚歌>で有名な項羽の『垓下歌』だ。
陳舜臣さんの訳でいうと、こうなる。
『自分は山を抜くほどの力を持ち、世界をおおうほどの意気をもっていた。それなのに、時局は我に不利で、我が名馬の騅も進もうとしない。
騅が進まないのだから、どうしようもない。ああ、愛する虞よ、お前にふりかかる不幸を、私はもうどうすることもできないのだ』
悲しくて絶望的な詩である。
そして面白いのは、項羽がこのような状況になってしまった原因を<時に利あらざるして>と分析していることだ。
その原因は、部下を信じないこととか、項羽自身の人格にあったのに、項羽は自分を英雄だと思い、過信していたのだろう、そのことを全く理解していない。
一方、勝利者・劉邦はこんな詩を読んでいる。
『大風起こりて 雲飛揚(ひよう)す
威は海内(かいだい)に加わりて 故郷に帰る
安(いず)くにか猛士(もうし)を得て四方を守らん』(大風歌)
陳舜臣さんの訳はこう。
『大風吹き、雲みだれ飛ぶ乱世はすでに平定され、威光は天下にあまねく、私はこうして故郷に帰った。さあ、どうか勇ましい男たちを得て、この国の四方を守らせたいものである』
このように天下人・劉邦は、自分が天下を取ったのは自分自身でなく、勇ましい仲間達のおかげであり、今後も猛士を得て国を守りたい、と認識している。
自分しか信じなかった<項羽>と、これはと思った人間を徹底的に信じて任せた<劉邦>。
英雄論の議論はここではしませんが、どちらに仕えたいかと聞かれれば、やはり劉邦でしょうね。
その本での項羽と劉邦の話。
秦の始皇帝の巡幸。
その行列を見て、項羽は「よし、あいつにとってかわってやろう」と言ったという。
一方、劉邦は「男と生まれたからには、あんなふうになるべきだなあ」。
ふたりの人柄が表れている。
日本で言えば、信長、秀吉、家康の<ほととぎすの句>に似ている。
項羽と劉邦の人柄は、その詩にも表れている。
『力は山を抜き 気は世を蓋(おお)いしに
時に利あらずして 騅(すい)は逝(ゆ)かず
騅の逝かざるは奈何(いかが)す可き
虞(ぐ)よ、虞よ 若(なんじ)を奈何せん』
<四面楚歌>で有名な項羽の『垓下歌』だ。
陳舜臣さんの訳でいうと、こうなる。
『自分は山を抜くほどの力を持ち、世界をおおうほどの意気をもっていた。それなのに、時局は我に不利で、我が名馬の騅も進もうとしない。
騅が進まないのだから、どうしようもない。ああ、愛する虞よ、お前にふりかかる不幸を、私はもうどうすることもできないのだ』
悲しくて絶望的な詩である。
そして面白いのは、項羽がこのような状況になってしまった原因を<時に利あらざるして>と分析していることだ。
その原因は、部下を信じないこととか、項羽自身の人格にあったのに、項羽は自分を英雄だと思い、過信していたのだろう、そのことを全く理解していない。
一方、勝利者・劉邦はこんな詩を読んでいる。
『大風起こりて 雲飛揚(ひよう)す
威は海内(かいだい)に加わりて 故郷に帰る
安(いず)くにか猛士(もうし)を得て四方を守らん』(大風歌)
陳舜臣さんの訳はこう。
『大風吹き、雲みだれ飛ぶ乱世はすでに平定され、威光は天下にあまねく、私はこうして故郷に帰った。さあ、どうか勇ましい男たちを得て、この国の四方を守らせたいものである』
このように天下人・劉邦は、自分が天下を取ったのは自分自身でなく、勇ましい仲間達のおかげであり、今後も猛士を得て国を守りたい、と認識している。
自分しか信じなかった<項羽>と、これはと思った人間を徹底的に信じて任せた<劉邦>。
英雄論の議論はここではしませんが、どちらに仕えたいかと聞かれれば、やはり劉邦でしょうね。